出航!
□第九章 ノースブルー編
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9章
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セント・アンドルーズ
そこは、ノースブルー最大の街クイーンから、北に位置する。古い城壁に囲まれた小さな街。
その街はずれの高台には、針葉樹の森に囲まれた、ロマネスク様式の素朴な石造りの教会がひっそりと佇む。
この街に教会はここだけで、クリスマスの時期には、神父手作りの陶器に、キャンドルを灯し、幻想的にライトアップされていた。
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雪の夜。
ある男が、そこにたどり着いた。
その男は、痛みと寒さで飛びそうな意識の中、柔かな光に包まれた教会の景色に、おとぎの国に迷い込んだような、不思議な感覚に襲われた。
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翌朝、教会の前で倒れ、痩せこけボロボロになった浮浪者は、わずかに息があった。
不憫に思った神父は教会に運び込み、医者を呼んだ。ただ、彼の傷は酷く、然も生きるという気力も何もかも無くしたように、目も死んでいた。
食事も何も口にしようとはせず、教会の隅で、ただただ、死を待つかのように、静かに横たわっていた。
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毎年この教会では、街の交響楽団によってクリスマスコンサートが開催される。
クリスマスが近づいた日曜日。
柔らかなオーケストラの演奏は、教会の隅に横たわった男の耳を楽しませた。
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♪〜〜〜〜〜
柔らかなピアノの音にアサヒを思い出す。
もうすぐ、逢えるな……。
死ぬのも悪かねぇかもな。
〜〜〜〜〜♪
コンサートが終わった教会では、楽団員達が今日の反省や、クリスマスの予定を話しながら、後片づけをしている。
笑い声や、誰かのハミング、別れの挨拶………少しずつ、誰かが出て行き、教会は静かになってゆく。
「ねぇ、あの人、いつから?」
……透きとおるような女の声が響いた。
神父とその声の女が話しながらこっちに歩いてきている。
「…3日ほど前、教会の前に行き倒れていまして」
「酷い、怪我ね、医者には?」
いい声だ。
「診せましたが、もう、ここに来てから何も口にできない状態で、あと僅かかと……」
その女はしゃがみ込み、不意に俺の手を握った。
ドクン!
心臓が跳ね上がった。
思わず眼を開けると、そこには、懐かしい顔が眼に映った。
一瞬、世界が静寂に包まれた。
「スノウちゃん、そんな奴放っておこうぜ! 」
乱暴な男の言葉に、我に返った。
くそっ!
声が出ない!
力が、入らねぇ!
女は、その男の声など聞こえないのか、俺を真っ直ぐに見つめ微笑んだ。
「ごめんなさい、驚かせちゃった。あの、おでこ、触っていい?」
力を振り絞り、精一杯頷くと、柔らかで温かな手が額に触れた。
額の髪をかき上げ、俺の頬を両手で包み込む。
手の温かさに感情が呼び戻されたのだろうか。思いがこみ上げ、涙がこぼれた。
「スノウさん、あんたは関わらん方がいい」
うるせぇよ、クソ神父!
「…………」
手を放したその女は、悲しそうな、つらそうな、何ともいえない表情で俺を見つめた。
……お願いだ! 行くな!
……行かないでくれ!
涙が、頬を伝っていく。
……お願いだ!
「うん(にっこりほほ笑み)……連れてく! 」
「ええっ!?」
一同驚嘆の声。
「この人、家に連れて行くから。お願い、みんな手伝って! 」
「なっ、スノウ! ペットじゃねぇんだ、簡単に言うな! 」
……え、おい、アサヒじゃねぇのか。
「じゃあ、簡単にこの人、このままにしていいの! もう少しで、クリスマスなのに! 」
その女は泣いていて、それを見た団員達が静まりかえった。
……クリスマスなのに!
ってのが理由なのか!?
俺は、大声で笑いたかったが、声は出ず、ただただ涙が止まらなかった。
「……そうしましょう、私も手伝います」
神父が涙声で言った。
「いいですか?」
女は、俺の目を見つめ頬笑み、手をギュっと握った。
こぼれた”スノウ”という女の涙が、俺の頬にかかった。
柔らかなその手を、握り返すだけで俺は、精一杯だった。