出航!
□第三章!
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ガタン
ゴボゴボ…ゴボゴボ…ゴボゴボゴボ…
何の音だろ。
薄目を開けると、グレーの低い天井と、壁の反対側には、クリーム色のカーテンが見えた。
ああ、そうだった。
ハートの海賊団の、潜水艇に乗り込んだことをようやく思い出した。
日の光が届かない潜水艇の中は、時間間隔を狂わせる。
うぅ…トイレ……
カーテンを開け、常夜灯の灯る部屋の中を見渡してみる。
まだ二人とも寝ているのか、どちらのカーテンも閉じられたままだった。
ベッドから降り、部屋を出た。
確か、廊下の突き当たりがトイレ。廊下の中ぐらいまで行くと、ダズが部屋から出てきた。
「(小声で)あ、起しちゃった?」
「一人で出歩くなと言われているだろ」
静かに言った。
ダズにトイレまで付いてこられるのは、正直恥ずかしいが、まあ、仕方ないか。
トイレの後、何か飲み物を飲みたくて食堂に向かった。
食堂は昨日来た時とは違って、団員達が食事をとるテーブルが並んだ部屋の明かりは消えていた。食堂の大きな時計の針は、午前5を指している。調理場には明かりが灯っていて、コックらしき人が忙しそうに働いていた。
「あの〜」
アサヒが恐る恐る声をかけると。
「お、起きたのか?
腹空いたろ! 今、準備するよ。そこに座って。昨日は疲れたろ〜」
「え、あ、い、いいんですか?」
そういえば、昨日、あれから何も食べてなかったことに気が付き、急激に空腹感が襲ってきた。
「気にすんなって、君ンとこのボスのお陰で、俺たち飢え死にせずに済んだよ。ありがとな」
「え…」
ダズの顔をみると、そうゆう事だから遠慮するな、と笑った。
「俺は、ジャック。よろしくな! 向こうのふたりは、テッドとアーロンだ」
温かいお茶を持ってきてくれたジャックさんは、金髪に青い目をした超イケメンだ!
年齢は幾つぐらいだろうか?
顎に髭。良く見ると右の頬から耳にかけて、大きな傷があった。
「ありがとう。わたしは「知ってるよ、アサヒにウェストブルーの殺し屋ダズ・ボーネス」
ニッコリ笑った。
「ド・フラミンゴから逃げてきたんだってな」
「うん」
「お前のボスすげーよな! 憧れるぜ!」
指をかぎ爪の形にして笑った。
「うん!」
砂嵐の中、闘いながら現れたボスに、思わず見とれてしまった事は、まだ、秘密にしておこう。
温かいお茶を一口。
あぁ、ホッとする。
ジャックさんがカウンターのところで、作業をしながらおしゃべりが続いた。
「あれは何だ」
食堂の隅に立てかけられているボードを指さし、ダズが唐突に聞いた。
「あ、あれはキーボードだよ。いろんな音が出るやつ」
「弾いてるのはだれなんだ? 昨日はいなかったが」
「あ〜、いねぇよ。先月、結婚するって船を降りちまった。それが、どうした?」
ダズがアサヒに目配せをした。
「あの、あとでいいので、弾かせてもらってもいいですか?」
ジャックさんの表情がパアっと明るくなった。
「今、弾いてみてよ! ご飯が炊きあがるまで時間あるから!」
カウンターから出てきてバタバタとキーボードをセットし始めた。
さあ、さあ、とアサヒの手を取って鍵盤の前まで連れて行いかれた。
ボタンはシンプルだけど、意外と本格的な感じの造りで、コードに繋がったペダルもあった。
「あの、朝早いし、怒られません?」
「かまやしないよ」
ジャックさんの、満面の笑みで“さあ”と手を広げられると、断り切れない状況で、仕方なく頷いた。
ボリュームを極力下げて、出来るだけ静かな曲。
やっぱり“ジムノペティ“かな
♪〜〜〜〜〜
出来るだけ力を抑えて、静かに、静かに………♪
アサヒのピアノが、早朝の船内に静かに響き渡った。
まず、最初に飛び込んできたのはピエールさん。
誰だ?
とパジャマ姿で。
次はベポ。
そして、数人が駆け込んできて、目が合うとニッコリ微笑んでくれた。
〜♪曲が終わる。
拍手が起こった。
「起してしまって、ご、ごめんなさい」
恥ずかしさと申し訳なさから起立して、頭を下げた。
「もっと、おもいっきり弾いてみろよ。そうだな……もっとボリュームを上げて、景気のいい曲を、頼むよ」
ボサボサの頭のロー船長が、笑った。
「え、あ、はい」
ロー船長の頼みじゃ仕方ないわね。よし、おもいっきり!
ボリュームMaxで!
♬モーツアルト ピアノソナタ8番 第一楽章
♪〜〜
クロコダイルはピアノの音で目覚めた。
始めは、空耳と思ったが、次の曲が始まったとたん飛び起きた。
……アーサー音楽堂
あの時のピアノ。
確か、アサヒが弾いていたとあの野郎が言っていたが。
壁越しにかすかに聞こえる、くぐもった音じゃいまいちよく分からねぇ。髪を整え、ピアノの音がする方へ向かった。
モーツアルトが終わり、次の曲
♪ソナタ悲愴第二楽章
♪
徐々にピアノの音に近づくにつれ、それは確信に変わっていった。
食堂は乗組員たちで溢れかえっていた。この船の野郎どもも、あの時の俺と同じように心を奪われていたようだったが、俺の姿を見ると皆、一斉に道を開けた。食堂の奥のカウンター席にダズとトラファルガーが腰掛け手招きしている。
アサヒは…どこだ?
奥へ進むが、あのクマが邪魔で見えない。
ようやくピアノの側まで近付くと。
「アサヒ」
俺の声に反応しこっちを見た。
「あ、ボス! おはようございます」
弾きながら笑顔で挨拶をして、すぐに鍵盤に顔を戻した。
〜♪
曲が終わる
「ボスに聞いてもらうの初めてだから緊張しちゃった!」
俺の方を向いて笑った。練習していたことは知っていたが、やるじゃねぇか。
「ほぅ、悪くねぇ。もう1曲頼む。出来るか?」
アサヒの表情が一瞬で明るくなった。褒めたつもりはなかったが、そんなに嬉しいものなのか。
「はい!」
ダズの方をみて小さくガッツポーズをしている。ダズは、一瞬笑顔になったが、俺と目が合うとまた元の表情になり、席を立ち、俺をカウンター席に座らせた。
「知らなかったのか?」
トラファルガーが聞いてきた。
「……あぁ」
「本当か? もったいねぇ」
「アサヒがボスを驚かせたいと秘密にしていた」
ダズが付け加えた。
「マジかよ、おまえら」
よほど意外だったのか、トラファルガーは呆れたように笑った。
あいつが俺達をどう想像していたのか気になるところだが、とにかくアサヒの存在で、ハートの海賊団に対して戦意はない事だけは理解しているようだ。
アサヒは目を閉じ、呼吸を整えた。
緊張しているのか?
フワリと白い指が鍵盤に触れた。
♪〜〜〜テンペスト第三楽章
やっと聞くことができた。
あの音楽堂の前で聞き惚れてしまった旋律。
“まったく、おれは何をやっていたんだ!”
魂が震え、様々な感情が解きほぐされる。
あぁ、激しくも切ないメロディー。
砂嵐の中、嬉しそうにこっちに駆けてくるアサヒを思い返した。
どこまでも白い世界に、降り続く雪。
様々な思い出が蘇り胸を締め付けた。
そして、これ程までに心を揺さぶられている自分に驚いた。
信じられねぇが、俺も船のクルー達もいつの間にか、涙が頬をつたっていた。それぞれの思いが、身を焦がすメロディーにかき乱され、感情が溢れだしたようだった。
「……すげぇじゃねぇか……」
小柄な身体から繰り出せれる音色の渦は、想像を超えるほど強く切なく激しく、この船のクルーたちを飲み込んだ。
♪タラララ〜タラララ〜タラララ〜タラララ〜
やっと、やっと、ボスに聞いてもらえる喜びでいっぱいだった。
集中、集中!
でも……この不安はなんだろう
なんかこう
あれっ
クラクラする
〜〜〜♪
曲が終わる。
力が抜け、頭が右に傾き、椅子から転げ落ちてた。
「どうした!」
ボスの声の声がなんだか遠くに聞こえ、視界が暗く狭くなっていった。
ダズに抱き起こされてようやく、気付いた。
「あ、ごめんなさい。お腹空きすぎて、もう、駄目です」
「!?まだ、食べてなかったのか?」
呆れた表情で笑った。
わ! ボス、笑った!
すぐに元のポーカーフェイスに戻ったけど、私はボスのこのなんともいえない表情が好きだ。
カウンターにジャックさんが朝食を出してくれた。
「ご飯に、あさりの味噌汁、サーモンの塩焼き、ホウレンソウの胡麻和え、わかめサラダ。かなり出血したと、船長に聞いてたので鉄分とミネラルたっぷりメニューだぜ!」
和食!
「和食は大丈夫か?」
ロー船長が心配そうに聞いた。
「大丈夫です。頂きます!」
もうお腹が空きすぎていたので夢中で食べてしまった。
お箸を使って食べるのは、この世界に来て初めてで嬉しくなった。ダズも、箸を持ってみたが、すぐにフォークに持ち替えた。隣に座るボスが箸を器用に使うのを見て、ピアノ奏者ってのは根本的に手先が器用なのか、と聞いてきた。
「お箸は慣れですよ。ボスは、使ったことありますか?」
「ねぇな」
即答し、プイッとそっぽを向いた。
ご飯にサーモンが良く合った。前の世界と同じ味付けの、ほうれん草の胡麻和えもおいしい。
夢中で食べているとジャックさんが話しかけてきた。
「良かった。ご飯が苦手だったらどうしようかと思ったよ。アサヒちゃん、苦手なものとかある?」
「ナマコとか」
「そもそも食えるものなのか?!」
ボスが驚いた。
「私もどう調理するのか解らないですけど、触りたくないし」
「和の国で食べるらしいよ。あとは? なにかない?」
「えっと、生のトマトかな。ケチャップやスープは大丈夫なんだけど」
「むしろ好都合だよ。長い船旅には生のトマトより、保存の効く缶詰のトマトソースとか多く使うから」
「よかった」
ご飯を口に頬張った。イケメンのジャックさんがいろいろ気を使ってくれてうれしくなった。もぐもぐしながらニヤニヤしていたら、ボスと目が合った。
「…………」
み、見られてた!
「マヌケ面してねぇで、さっさと食え、冷めちまうだろ」
「!はい」
ダズがフッと笑った。
マヌケ面って、ひどい。
ほとんどのクルーが食堂にいるということで、ロー船長は今後の事について話し始めた。
アサヒがド・フラミンゴに狙われていたこと、クロコダイルのお陰で財政難から救われたこと、私を匿うためにノースブルーへ向かうこと。
「ボス! 匿うって?」
「ノースブルーは、ついでだ! 気にすんじゃねぇ。それでだ、名前は、何がいい?」
矢継ぎ早に話され、少し焦った。
「な、名前?」
「ああ、そのままでもいいが、変えたほうが身のためだと思うが」
ハートの海賊団と潜水艇生活に浮かれていた私は、一瞬にして現実に引き戻された。
「あの、ボスが決めてください」
「そうだな…」
金色の瞳が私を見つめる。
見つめられると、なんだか緊張してしまうし、それに、タイこそ付けてはいないが、起きがけの筈なのに、きちんとシャツを着て髪型もバッチリ決まっている。
ボスは、しばらく考えてから。
「“スノウ“はどうだ?」
“スノウ”!
おお! なんかすごい。センスがいい!
「はい! じゃぁスノウ!」
ほとんど即答で返事をしたら、すんなり受け入れたのが不思議だったのか、驚いた顔をした。
「いいのか?」
「はい! 名前ありがとうございます」
横で私達のやり取りを見ていたロー船長が、立ち上がった。
「今日から、アサヒはスノウだ!
お前ら、ハートの海賊団の誇りに懸けてスノウを無事にノースブルーに届ける、いいか?」
「オー! スノウを守るぞー!」
クルー達が拳を上げた。
“スノウ “
ボスからもらった名前
「あ〜おいしかった〜」
食後のお茶を飲みながら大変なことに気付いた。
そういえば私、顔洗ってないし、髪もボサボサだよね。
急遽部屋に退散した。