出航!
□第一章 黒のテンペスト
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「いらっしゃい」
どこからか声がしたが、姿は見えない。
店内はいろいろな楽器が雑然と置かれている、表からは想像がつかないほど、中は広かった。
すると、入口の楽譜がびっしりつまった本棚のかげから、金髪のロングヘアーでサングラスにTシャツ、ジーンズ姿の男の人が顔を出した。
「こんにちは」
もう一度挨拶すると。
「おぉ、80点! スカートだったら100点だったのに」
あまりの軽いノリに驚くも、気を取り直して。
「あの、ピアノの楽譜ってどこにありますか?」
「ああ、あっちだよ」
と、指をさす。
「ありがとうございます」
私のちょっと冷静な態度に、金髪の店員さんは少しシラケタ感じだった。
棚に並べられた楽譜は膨大な量で、整理もあまりなってない。それに、やっと見つけたベートーベンは、BがV、モーツアルトがMがNに、ノーツアルト?なんじゃこりゃ譜面の内容はこっちの世界とほぼ同じだけど、指番号や、スラーもなかったり、あまり親切なものじゃなかった。原譜とか版が違うのかな?
ベートーベンのソナタ
モーツアルトのソナタ集
バッハ
ラヴェルとかあるかな?あとフォーレ、シューベルトも
「へぇー、君変わってるね。その曲弾くの」
さっきの店員さんがすぐ後ろから声をかけた。集中していたので、後ろに立っていたことすら気付かなかった。
「わ!」
振り返ってみると、見上げるくらい大きい。まったくこの世界の住人は、身長が規格外な人が多い。
「変ですか?」
ぶっきらぼうに言うと。
「へ〜、(しばらくニヤニヤ)ね、君さえよければ、そこのピアノで練習していっていいよ」
店の奥には5台ぐらい大きなグランドピアノが置いてあった。白いクラシカル調、重厚な黒、マホガニー。すごい!
どれも大きなホールにあるような大きさのピアノが所狭しと置かれていた。
弾きたい、けど……。
「よろしいんですか?」
「いいぜ、好きなのどれ?」
「あの、あとであなたが怒られたりしません?」
「おれの心配か? ハハハッ…平気さ、だってここ俺の店だもん。さあ、どれがいい?」
「店長さん?」
「オーナーと呼びなさい」
この世界の人たちって…私は苦笑いをした。
綺麗な金髪がキラキラとしていて目を惹いた。初めの印象は最悪だったけど、意外といい人なのかも。お言葉に甘えてピアノをひとつひとつ見て回った。マホガニーもいいけど、やっぱり黒の重厚感のあるピアノ。
「音を聞いてもいいですか?」
「ご自由に」
ニッコリ。
店内は、他にお客も無くのんびり時間が過ぎていく。
「うん、やっぱりこれにする」
黒の大きいピアノを選んだ。
Sting&way???スタインウェイ&○○みたいなタイプなのかな?
オーナーさんが蓋を上げてくれた
「僕、奥に行ってるから気にしないで好きなだけ弾いていって」
思いがけない一言に。
「ありがとうございます」
人前で久しぶりに弾くんで、少し、恥ずかしかった。
よし!……さて何を弾こうかな。
さっき棚から見つけ出した楽譜を眺めた。
テンペスト第3楽章
あやふやだった個所を一通り譜読みして、弾き始めた。
♪タラララン〜タラララン〜タラララン〜タラララ〜〜
気持ち悪くない。ちゃんと気持ちを入れて意識して弾くといいのかな……?
よし、指が動く!
こんなにも軽やかに指が鍵盤を叩くのは久しぶり!
♪
このピアノ反応がすごくいい。トリルも完ぺきに軽くて弾きやすい。
次は、モーツアルトのソナタ第8番第一楽章。
楽譜をさっと譜読みした。
モーツアルトの次は、フォーレかな。バッハもいいな。ラヴェルは苦手だから練習しようかな。ボスに聞かせたいな。喜んでくれるといいんだけど……。
♪
時間を忘れて私は弾きこんでいた。
面白いほどに譜面の音符の波は私の中に入り、指に伝わり音を奏でる。
ああ、このピアノは、思うだけ、想像するだけで音を紡ぎ出せるようになっているのだろうか?
8-2
鳥肌が立った。
楽器店のオーナー、アーサーは正直驚いた。
はじめの印象からは全く想像もつかない選曲、しかも上手い。息もつかせない調べとせつないメロディーに、心底感動していた。
彼女は何者だろう?
有名な音楽家の弟子とか……そういった情報は真っ先に俺に入る筈なのに……。
気がつけば涙が頬をつたう。
そして、また次の曲が始まった。
8-3
ハァ〜(ため息)
昨夜の事が気まずく、アサヒが起きる前に、出掛けたはいいが、その用事があっさり済んでしまい昼前にはホテルに戻っていた。
ダズもアサヒも出掛けたのか…。
特にすることもない。
ダズやアサヒが居ないだけで、この部屋が異様に広く感じられた。いつものカフェにコーヒーでも、とホテルを出た。
カフェに行くも、落ち着かず、13時過ぎ、カフェを出、今度は情報屋のいるバーに顔を出した。
「珍しいな」
オヤジは笑った。
「たまに飲みに来るといっただろうが」
「へぇ〜、あっそういや海軍のやつら撤収だってよ。誰か追ってたようだが」
クロコダイルを覗き込む。
「さぁな、」
グラスに注いだ酒をグッとあおった。
14時か、一度ホテルに戻ってみるか。
店を出てホテルの方角に歩いていると、どこからかピアノの音が聞こえてきた。
♪〜
音のする方向を見ると、一件の店の前に数人の客が立ち止まっていた。
このピアノに聞き入ってる客らしい。
店のドアの上部の小窓が開いていて、そこからピアノの曲が聞こえている。
♪〜〜
「ほう…いい曲だな」
中に入ればいいものを、入ろうとすると。店には「Close」の看板が掛けられていた。
なんだ閉店か。それとも貸し切りか? ショーウインドウを覗くも……この楽器屋、雑然としすぎていて奥まで見えなかった。
それにしても。いい。
なんという曲だろう。軽く繊細で、透通るメロディー…弾き手は、女か?
曲が終わり、次の曲が始まった。
♪〜
ほう! こりゃ凄げえ!
8-5
一方そのころ。
アサヒは、ショパンのエチュード25−5を弾いていた。
譜面を見ながらなので、ゆっくりで自分的にはいまいちだった。
この曲もいいな、ボスは聞いたらなんて言うかな?
それにしても、この店って本当にお客さんが来ないな。ちらっと奥の時計を見るともう14時を過ぎていた。
「え、ああっ。こんな時間!」
ああっ、でも、最後にもう一曲だけ。
ベートーベンのテンペスト♪
♪タラララタラララ〜
〜♪
弾き終わり、ピアノにカバーをかぶせていると、奥からオーナーさんが出てきて、手を握ってきた。
「素晴らしかったよ」
「あ、あの、すいません。長時間も、ありがとうございました。あと、この楽譜ください。おいくらですか?」
「ああこれね、あげるよ。だから、また、ピアノ弾きにおいで」
不意にギュッと抱きしめられハーブのような香りに包まれた。いいにおい。
って、えぇ〜っ!
思わず手で突っぱねた。
「え、あ」
「あっ、ごめん。つい…。あのっ、き、君、名前は?」
オーナーはサングラスを外し私を見つめた。青いきれいな瞳に整った顔立ち……絵に描いたようなイケメンに思わず見惚れた。
「あ、アサヒです」
「アサヒちゃん」
名前を呼ばれ心臓が飛び出しそうなくらいドキドキした。
「僕は、アーサー・D・W・エンジェル。これからはアーサーと呼んでくれ」
「えっ、あ、はい、素敵なお名前ですね」
・・・
店を出る頃には16時を過ぎていた。
ランチはまだだろうと、アーサーさんと、サンドイッチを一緒に食べ、それから音楽の質問攻めに合い、なかなか帰してくれなかった。
音楽にはとても興味があるみたいで、曲の解釈の仕方とか、大学の話、好きな作曲家とか…。
この町で、はじめてお友達ができた気がした。
そして最後に、もう一曲弾いてと懇願され、テンペストを弾いてから店を後にした。
店を出る時、店の扉に「Close」の看板がかけられているのに気付き恐縮した。あまりお客さんの来ない店だとばかり思っていた自分に反省する。
”アーサーさん、ありがとう”
店の前で私は、思わずお辞儀をしてしまっていた。
8-6
(その数時間前)
ピアノが鳴りやんでからしばらく経つ。
弾いてる奴が出て来るのを待ってみたが、出てくる気配がなかった。
あいつに、アサヒに聞かせたいと思った。
仕方ねぇ、また次にしよう。
「アーサー音楽堂」か、たいそうな名前だ。
楽しみが一つ増えたことでクロコダイルの足取りは軽かった。
8-7
店の奥。
「さっきのピアノのお嬢さん、この世界のもんと違う気がするんじゃが」
「藤寅さん、涙が。これ使ってください」
アーサーがハンカチを手渡した。
「アーサー殿、いいもの聞かせてもらいやした。それから、さっき店の外に怪しげな男がおったろう。お嬢ちゃんを少し足止めしたのは、その男の気配がなくなるのを待ってたんだろう?アーサー殿?」
「ハハハ、かなわねぇな、あんたには何もかもお見通しってか?
それにしても、美人だったぜ、アサヒちゃん。こういう出会いがあるからこの店止められねぇんだよな。そこまで送るよ。藤寅さん」
「いや、この余韻に浸りたいのでな。…グスッ……失礼しやす。
あ、またあのお嬢ちゃんがきたら連絡してもらえるとありがたいねぇ。しばらくこの島で休暇をとるのでねぇ」
「わかったぜ、藤寅さん」
アーサーは藤寅を見送った。あの人ならまず、心配ないだろう。