出航!
□第一章 黒のテンペスト
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ピピピ・・・
目覚まし時計の音で目を覚ました。
着替えてから、顔を洗うために部屋を出て、洗面所に向かう。
リビングに行くと、葉巻の香りがして、見るともう身支度を済ませたクロコダイルがソファーで新聞を読んでいた。
「あ、おはようございます。ボス早いですね」
「ああ」
チラっと顔を向けるも、またすぐに新聞に戻った。
“海賊”っていうから夜通し飲み明かして昼まで寝ているイメージだったんだけど。
クロコダイルが、こんなにも早起きだったとは意外!
もしかして、朝いちでコーヒーとか用意しないと。
「すいませんボス! コーヒー、すぐに準備しますので」
「いや、いい。お前の支度が終ってからでいい」
「え、あ、はい」
洗面所で顔を洗い、アメニティのクリームや化粧水を付け、髪を整える。
コンコン
「はい」
「俺だ。入っていいか」
ダズだ。
「あ、ダズ、いいよ」
無精ひげを生やしたダズが入ってきた。眠そうな顔をしていて顔には枕の皺の跡が付いていた、こうしていると殺し屋には全然見えない。横に長い洗面スペースは2か所あって、手前が私でダズは空いている奥の洗面スペースに向かう。
「おはよう」
「おはよう、早いな」
「ボス程じゃないよ。ボスはいつもこんなに早いの?」
「……そうでもないが」
「今日、何か用事でもあるのかな」
身支度が済んだので洗面所を出てリビングに戻るとクロコダイルの姿が無かった。クロコダイルの部屋のドアが少し開いていたので、自室に戻ったんだと理解した私はポーチを置きに自分の部屋に向かった。
部屋に入り目に飛び込んだのは黒い影! クロコダイルが部屋の姿見を見ながらタイを締めていた。
「あ、ボス!?」
「なんだ」
体制を変えながら身なりをチェックしている。もしかしたら、姿見のある部屋を使いたかったのかな?
「あの、替りますか? 部屋。
(聞いてます?)ボス?」
「いや、いい」
チェックを終え、私の前に立った。
「アサヒ」
無表情な顔でじっと見つめた。上から見下ろされているので威圧感が半端ない。
「はっ、はい!」
緊張で声が上ずる。
そんな私を見て可笑しかったのかフッと笑い目をそらした。
「コーヒーを頼む」
「は、はいっ!」
今、笑ったよね。あんな顔もするんだ。
リビングに戻り、コーヒーを煎れるためのお湯を電気ポットで沸かした。ボスは、さっきと変わらず新聞を読んでいる。そこへ洗面所からダズが出てきた。ボスはダズが出てくるのを待っていたのか、ダズにメニュー表を渡した。
「ダズ、朝食を頼む。俺は、ベーコンサンドとシーザーサラダ」
「はい。アサヒはどうする?」
メニューを渡され、目を通す。
「じゃあ。卵サンドにイチゴヨーグルト」
「そうか」
ダズがあの電々虫で電話を掛けている間に、コーヒーを準備する。
いい匂い。
♪
朝の職員室でいつも流れていた“ラヴェルのソナチネ”を聴きながら朝の一杯。
懐かしいな。
頭の中を光の粒になった音符が流れて行った。
「で、アサヒ。必要なものがあるだろう。ダズ、買い物付き合ってやれ」
「はい」
「え、そんな、私のものは後でいいですから」
朝食を食べながら新聞を読んでいたクロコダイルが不意に話し始めた。
新聞は数十部、朝部屋に届けられていた。私たちが荒野で野宿していた間の分も取り寄せられていて、それら全てにクロコダイルは目を通していた。
勤勉。と言うべきか、それとも…。
こういう姿を見ると、アラバスタ時代の“社長“のイメージが浮かんでくる。
「俺がいいと言ってるんだ。おとなしく行って来い。頼んだぞダズ」
「はい。アサヒ遠慮するな」
ダズがこっちを見て微笑む。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
本当はとても助かった、化粧品も無かったし、物を入れるバックも欲しかった。
私の答えに満足したのか、クロコダイルは
「フ…」と笑った。そして新聞に目を落とす。
「ああ、あと、コーヒーをもう一杯」
「はい、ボス」
残りのサンドウィッチを口に放り込んだ。
6-2
今朝、アサヒの部屋に行ったのは返事を聞くためだった。
こういう事は性格上、はっきりとさせたかった。
だが、あいつの間抜けな質問に拍子抜けしたと同時に、もう既にあいつの中では俺の部下であるらしく、俺を気安くボス、ボスと呼ぶ。
聞くまでもねぇか。
近づけば、大きな眼で俺を見上げる。
なんの疑いもなく向けられるまっすぐな眼差しに、なんともいえない感情が込みあげてくる。
昨日は昨日で、下着丸出し大股開きで眠っていたので毛布を掛けてやった。
男二人と行動を共にしているというのに危機感がまるで無ぇ。
しかも俺たちは海賊でいつ誰に襲われ殺されてもおかしくねぇのに、本当にこいつは何からなにまで甘い。
これから色々と教えてやることがありそうだ。
だがしかし、アサヒのコーヒーの味には、驚いた。煎れる度に味が変わる奴もいるが、アサヒのコーヒーは今朝も変わらす美味しかった。
6-3
さすがリゾート地!
青い海に白い砂浜。海岸沿いには店やリゾートホテルが立ち並ぶ。昨日は気がつかなかったが、いろいろなお店がたくさんある!
午前中は、ダズの用事と私の化粧品やバックを買い、昼食までにはホテルに一旦戻った。
ホテルにはボスは不在で、私とダズは、向かいのカフェでランチを済ませて、また、買い出しに出かけた。
途中、“アーサー音楽堂”という楽器屋さんを見つけた。楽譜とかあるのかな? ああ、でも、生活に慣れるまではまだ我慢よ、なんて考えていたらダズが、
「気になるのか?」
ダズが聞いてきた。
「あ、うん。でも今日はいいや。いろいろ買う物あるし」
「そうか。本当にいいのか」
「うん。夕食の調達もあるんだよね。良さそうな店を見つけるだけでも時間がかかりそうだしね」
「そうだな」
ダズの買い物は、主に下着類。
着替える時にうっかり破いてしまったりしてしまうので何枚かストックが必要だそうで、できるだけ丈夫な物を選んでいるという。能力者って大変なんだねと言うと、慣れてるよと笑った。
それから、酒屋さんに行き、ボスが10種類ほどメモに書いた銘柄のワインを購入。酒屋さんから美味しいチーズ屋さんを紹介してもらい、チーズ屋さんから美味しいお惣菜屋さんを聞き出し、ハム屋さんや果物屋さんを回り、ホテルに着いたのは夕方の6時過ぎだった。
「ボス、ただいま戻りました」
「ああ」
ボスは書き物机のところにいて、顔を少し上げこちらをチラリと見た後、また書類に目を落とした。
「アサヒ、盛り付けを頼んでも大丈夫か?俺はフルーツを切ってくる」
「うん。ん?切ってくるって、どこで?」
「バスルームだ。オレンジを切ると汁があちこちに飛び散るからな。」
「え、だったら私が切ってあげるのに」
「……皿を持ってちょっと、付いて来い」
バスルームに行くとダズが手を洗い、シャツを脱いだ。右手を刃物に変形し、オレンジを掴むように手を被せ、回転させるとあっという間に皮が剥けた。それから、指で八等分にしてお皿に綺麗に盛り付けた。皮を剥くとき少し汁が飛ぶが、確かに、早い!しかも綺麗!
「わあ、ダズすごい!」
「ここは任せろ」
「分かった」
リビングに戻り買ってきた惣菜をお皿に盛りつけ、ソファーのあるテーブルに並べていく。
ロースハムのサラダ、ローストビーフ、パスタのペンネアラビアータ。タコと野菜のマリネ、つまみ用のオリーブの実。チーズ、パン。ワインとミネラルウォーターを並べた。ダズもフルーツの盛り合わせを完成させてテーブルに飾る。凄い。果物の汁が付いたのでダズはさっとシャワーを浴びると言い、バスルームに戻った。
準備が終わる頃、ボスは書類の束をまとめ、重し代わりに分厚い本をその上にドンと置いた。
「そろそろか」
ソファーに座り足を組んだ。
「はい。ボス。あ、スーツ新調なさったんですか?」
黒一色の服装だったボスが、今日は爽やかな白いシャツに、黒にキラッと控えめに光るラメのストライプラインの入ったスラックスになっていた。
「ああ。新しい街に着いたからな。服装も街の雰囲気に合わせねぇとな」
素敵です。
言おうかどうしようか迷っていると。私の顔を見てから、顎でワイングラスを差した。
「え?あ、ワインですか?」
「ああ」
ボスからの仕事と張り切って、ワインを開けようとワインオープナーを探していると、あれ、無い。そう言えばここに来てから見たこと無かったかな。するとボスは待ちくたびれたのかワインを手に取り、鍵づめでキリキリキリ……とコルクの上に被せてあるアルミキャップを剥がし、鍵づめの先をキュッとコルクに差し込み、ポンッ、と栓を抜いた。そして、自分のグラスにゆっくりと注ぐ。
「いい色だ。ノースブルー産か」
ワインのラベルを眺め、つぶやき、涼しい顔でワインを一口飲んだ。
「うん、まあまあだ」
オープナーは、あとで場所を確認するだけはしておこうと考えながら、カトラリーケースを取りに向かった。が、さらっと飛んできた鉤爪が腰に回され、ソファーに引き戻され、クロコダイルの隣に座らされた。隣と言っても、3人掛けの大きなソファー、間隔はだいぶ空いているが、突然のことで怖くて固まってしまった。何か、気に障ることでもしたかな?
「アサヒ、飲んでみろ」
空いているもう一つのグラスに、さっきのワインを注いだ。
「すいません、ボス、あの、ワインは苦手なんです。私はミネラ「いいから飲んでみろ」
なんか×ゲームみたいに、強制的にクロコダイルからグラスを手渡され、中の赤い液体を見つめた。
バスルームから戻ってきたダズが、心配そうな顔で見ていた。
もう、いいや、しょうがない、ワイングラスを口に付けグイッと飲みほした。
ん!?
サラッとしたジュースのような味!
「えぇっ! 美味しい! ワインだけど美味しい!」
ボスの表情が崩れた。
「フッ、これならお前でも飲めると思ってな。フルーティーでアルコール度がやや低いタイプだ」
ホッとした感じで笑い、チーズを指でつまんだ。
「あ、その、え、私のために?」
「ん、…あ、ああ。ディナーにお前だけ水じゃあつまらねぇだろ。ダズ、始めるぞ」
「はい、ボス」
「ボス、ありがとうございます。いただきます!」
ボスが私のために選んでくれたワイン。
嬉しくて、ワイングラスに1pほど残った鮮やかな赤いワインをじっと見つめた。ワインって、渋くてアルコールがきついものしかないものだと思っていた。このワインを飲むまでは。
ああ、こんな美味しいワインもあるんだ。
曲で言うと、さしずめ♪ショパンのエチュード25−1。
軽やかで華やかで、どこまでも澄んだメロディー。
“ショパンのエチュード”と聞くと激しくキツイ、イメージだったが、この曲は柔らかくて清々しい。難易度はそれなりだけど、弾いた時の幸福感が忘れられない。
ピアノ、どれぐらい弾いてないだろう。こっちの世界に来る前も、旅行の準備や仕事で弾く暇が無かった。ここに来て、こんなにも弾きたいと思う気持ちが、ますます強くなっていた。
ボスは、私のピアノを聞いてくれるのだろうか。
ワインを飲み干しグラスをテーブルに置くと、またボスがワインをグラスに注ぎ足した。
「これはお前用だ。ダズ、そっちのワインを開けてくれ」
ダズは指をナイフに変え、慣れた手つきでワインに被せられたアルミキャップをくるりと切り取り、次に指先をワインオープナー状にし、コルクに突き刺し、ポンッ、と栓を抜いた。この人たちには、ワインオープナーは必要ないんだ。
能力者ってこういうとき便利でいいよね、と言うと、能力は使いようだからなと笑う。
“使いよう“か。
考えてしまった。
戦闘向きでもない、私の超再生能力は何に使えるんだろうか?
この力は、ボスの役に立つんだろうか?
いつの間にか私は、ボスの役に立ちたい、期待に応えたいと思い始めていた。