出航!
□第一章 黒のテンペスト
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あれから、小さな港から船で数時間航海し、辿り着いた島は、なんとリゾート地だった。
青い海に、海岸沿いは白い砂浜、ヨーロッパ風の教会、お城、スーパー、オシャレな服屋さん、雑貨屋さん…。ブーゲンビリアの咲く塀、ジャスミンの並木道。昨日までの殺伐とした風景から一変、街は色で溢れていた。
宿に行く前に、狼によってぼろぼろにされた私の服を買いに行き、それから3人で“宿”に向かった。
「宿」
って……。
クロコダイルが、ここだと言い立ち止ったのは、巨大で豪華な建築物。
彫刻が施されたファザードに、エレガントな円柱が並び花が咲き乱れる回廊、豪華で華やかすぎる”宿”と言った建物をポカーんと見上げた。
「あの、ダズ」
「どうした?」
「いつもこういうところに泊ってるの?」
「まあ、そうだな」
チェックインを済ませ、クロコダイルがこっちだと目で合図し、スタスタとエレーベーターの方へ歩いていった。ポーターさんが私の荷物を持ち、こちらです、と案内してくれた。エレベーターの中も、装飾がすごくて思わず見とれた。
「すてき! これって、ええと、バロック様式?」
一瞬、二人が驚いた顔で見たが、クロコダイルが続けて。
「惜しい、ヴィクトリア様式だ」
「よくご存じで」
ポーターさんが微笑んだ。
チン
「ご案内するプレミアムスウィートルームは、この階に一部屋のみでございます」
エレベーターを降りてすぐのところに、装飾の無い重そうな扉が見えた。カードキーでその扉を開け。廊下の電気をつける。
「どうぞ」
「ここまででいい」
ボスがポーターにチップを渡し、私はお礼を言い紙袋を受け取った。
明かりの点いた短い廊下を歩いて奥の扉を開けると、思わず声が出てしまった。
「すご〜い」
部屋の中央まで進むと、それはもう言葉では表せられない程豪華な作り。旅行もほとんど行った事がないが、テレビとか雑誌とかでも見たこともないくらい広い。
ソファー、ダイニングテーブル、書き物机といった家具はいちいち大きいが、それを感じさせないくらい部屋が広い。天井にはシャンデリア、カーペットは細かい柄や踏み心地がまた値段の高さを予想させる。
そして、リビングの奥にはグランドピアノ。黒いフォルムはピカピカでこの部屋の重厚感になじんでいた。どんな音色がするんだろう。
部屋には五つ扉があり、一つはあきらかにレストルーム、更に洗面所かバスルーム。そして残る三つの扉。それはどうやら寝室のようだった。一通りボス達と、部屋を見て回り、私はドレッサーと鏡のある部屋を選んだ。
右奥の部屋にクロコダイルが入って行き、ダズが右手前に入って行った。私も中央の部屋のソファーの傍に置いていた紙袋を、部屋に運び込んだ。そうしているうちにダズが戻ってきた。
「ダズ、私は何をすればいいかな」
「そうだな。それより、アサヒは何か必要なものはあるか?」
「え?」
「今日は、ボスを待たせていて急いで買っていたようだから、足りないモノもあると思ってな」
「あるにはあるけど、今すぐって訳じゃないので大丈夫」
話しているとクロコダイルがダズを呼びに来た。何かダズと話してから、ダズが私のところに来て。
「疲れただろう、しばらく部屋で休んでいていいそうだ」
「わかった」
部屋に入ると、新ためてその広さに感動する。
サーモンピンクの壁紙に白い家具、この部屋だけ軽やかなワルツ調の調べが似合いそう。
悪いことばかりじゃない今の現状は、少なくとも疲れきっている私の精神を休めてくれる。この先どうなるかは分からないが、とりあえず言われた通り休暇とやらを満喫するだけだ。
楽しみといえばあのピアノ。
あとでこっそり弾いてみよう……ダメダメ、まずこの世界に慣れてから!
先のことは、今はあまり考えたくなかった。
5-2
ワルツの調べが似合うなんて思ったからなのか、ショパンのワルツ14が聞こえてきた。
♪〜〜フフッ
ショパンのワルツ集は、好きでよく思い出して弾いていた、楽しかったなぁ。教え子たちが、伸び伸びといろいろな表情や表現で弾くのを聞くのも嬉しかった。ああ、ピアノが弾きたいな。
ドシン!
「痛〜〜〜〜」
ベッドから落ちていた。
部屋の中は暗く、わずかに開いたドアの隙間から灯りが見えた。
何時だろう?
寝ぼけながら、恐る恐る中央の部屋へ行くと。ゴージャスな部屋が柔らかなオレンジ色のダウンライトの灯りで、また違った風情を醸し出していた。
うわぁ…。
夢だろうが、漫画だろうが、こんな体験は初めてで、心底感動していた。
視線を移すと、ソファーに座りながら新聞を読んでいるクロコダイルと目があった。
「起きたか」
「…おはようございます」
“こっちへ来い“的に顎を振るのでソファーまで行くと。
「まだ、夜中だ。夕食はどうする」
「へ…」
「好きなものを頼め」
ぼんやりしていると、縦長の小冊子を渡された。それはルームサービスメニューで、前菜からコース、アラカルト、デザート、おつまみ、ドリンクが細かに記載されていた。
「一度、お前を起こしたんだが、起きなくてな」
部屋の時計を見ると、夜の11時を過ぎていた。
「すいません。でも、大丈夫「俺にはサーモンのオードブルと、シェフのおすすめ赤ワインのボトルをついでに頼んでくれ」
ボーッとしていた意識も、クロコダイルに矢継ぎ早に頼まれ、目が覚めてきた。
「え、あ、はい」
「遠慮するな、さっさと決めろ」
クロコダイルを待たせてはいけないと思い、とっさに目に飛び込んだメニュ−を口走った。
「は、はい、ええと、魚介のスープパスタのセットで」
「じゃあ、あれで注文しろ」
視線の先には電々虫!
大きいカタツムリ!
現実世界では、正直カタツムリが苦手なのに……それに、掛け方?
あれを触るの?
メニューには11番と書いてあるけど、いったいどうやって!?
私が電々虫のところでモタついていると
「どうした」
クロコダイルが声を掛けてきた。
「あの、掛け方がわからなくて」
「そうか、もってこい」
“巨大カタツムリ“をですか!?
恐る恐る持ち上げると、フニュ! と尻尾を動かすので思わず。
「きゃぁ……わッ」
カーペットの床に落としてしまった。
「何やってんだ」
「すいません、使い方がよく解からなくて」
殻のところをそっと掴み、持っていくと……。
「なんだ知らねぇのか? まず受話器を取る。そして、ボタンを押す。解かったか。
ああ、あとは俺が注文しておく、お前は食事が来る前に風呂にでも入ってサッパリしてこい」
受話器を取りボタンをピ、ピ、と押し、早く行けとばかりに鉤爪を振った。
何日かぶりのお風呂は気持ち良かった。
流石は高級ホテル、シャンプーもボディーソープも何もかも、ちゃんと男性用、女性用と分けられており、香りもいいし、質も高い。今まで使ったことのないような高級感に、感動しながら、このお金はいったいどこから得たものなのかと、後ろめたさと申し訳なさを感じた。
中央の部屋に戻ると、ソファーのテーブルに銀色の大きな蓋が掛けられた食事が置かれ、その向かいでクロコダイルはワインを片手に、サーモンのオードブルをつまんでいた。
「きたか、飲むか?」
返事をする間もなく、ワインをグラスに注いだ。ワインは苦手だったが、機嫌を損ねたくはなかったのでそのままに、食事に掛けられた銀色の蓋を持ち上げた。
重っ!!!
そして広がるパスタのいい香りが、新しい事づくめで興奮し、忘れていた食欲を思い出させた。
「いただきます」
とにかくお腹もすいていたので、魚介のスープのパスタを夢中で食べた。
美味しい!
エビやカニの他に、イカ、タコ、サーモン、アサリと、なんて贅沢なんだろう!!!
お腹も落ち着きふと前を見ると、クロコダイルは黙って新聞を読みながらサーモンのオードブルを食べワインをゴクゴク飲んでいる。
そんなにおいいしいのかな?
「う…」
思い切って飲んでみると、渋みとアルコールの強さに顔が固まった。それを見ていたのか。
「なんだ、ワインは苦手か?」
残念そうな顔で私を見た。
「はい」
「苦味か?それとも酸味か?」
「どっちもです、あとアルコールが強すぎて」
「そうか、いらねぇんなら貰うぞ」
私のグラスに残ったワインを飲み干した。
「ああ、そうだ。ワゴンのクーラーボックスにデザートがある。もってこい」
「はい」
ワゴンの横の扉を開けると、白い冷気があふれ出した。中にはチョコレートでコーティングされた雪だるまアイスとフルーツのロールケーキのお皿が二つ並んでいる。
「わ、かわいい!」
お皿を運ぶとすぐにクロコダイルは、ロールケーキを手でつかみ、パクッと一口で食べた。
それを見て、あれ、もしかしたら、残りのもう一つは、クロコダイルのおかわり用なのかと思い、もう一つのお皿をクロコダイル寄りに置いたところ
「なんだ、これも苦手なのか?」
「え、あ、って、わ、私のだったんですか?」
「当たり前ぇだ、苦手だったら仕方ねぇが」
フッと笑い、もう一つのロールケーキに手を伸ばした。
「わわっ!ありがとうございます!いただきます!」
「その前にスプーンを取ってくれ」
「あっ、はい」
カートのカトラリーケースからデザートスプーンを二つ取り、クロコダイルに手渡した。
指先でスプーンの柄ををつまみ雪だるまの頭を掬い、口に運ぶ。わりと大き目のデザートスプーンが、小さく、そしてなんだか、クロコダイルがかわいらしく見えた。
「さっさと食べろ」
「は、はい」
クロコダイルは怪訝な表情で食べ終わり、新聞に顔を向けた。
早速、ケーキをいただくことにした!
「美味しい!」
久々のケーキに嬉々とするも、向かいのクロコダイルは黙ってワインを飲みながら新聞を読んでいる。
……続く沈黙。
「ごちそうさまでした」
挨拶をすると、クロコダイルはこちらに顔を向け。
「食器はカートに片づけて、廊下へ出しておけ、そのあとコーヒーを頼む」
食器を片づけ、これも頼むと渡されたワインのボトルは空になっていた。この人は、水代わりにワインって感覚なのかな? 信じられない。
コーヒーを淹れるため、部屋の隅にある棚&カウンターへ向かったが、よくよく見るとあまりのゴージャスさに固まってしまった。重厚で金色の彫刻が施され、ピカピカに磨かれた棚。棚の中には高そうなティーセットがずらりと並んでしまわれている。棚とセットであるカウンターの上にはポットが置かれ、天板の下の部分には、グラス類、そして、ワイングラスが、バーとかで見るように、さかさまに収納され、これもまた、手垢一つないほど綺麗に磨かれている。さしずめ、部屋の一角に、ちょっとしたアンティークな喫茶店がある感じと言えば解かるだろうか。
「棚の右の引き出しにコーヒーがあるはずだ」
声を掛けられ、我に返る。
言われた通り引き出しを開けると、何種類か色分けされたコーヒーと、紅茶が整然と並んでいた。
ノースブルー産モカブレンド、イーストブルー産スペシャルブレンド、ウェストブルー産有機焙煎ブレンド、
どれにしよう、ここは思い切って聞いてみることにした。
「ボス、何種類かありますが、好みとかありますか?」
「そうだな、カフェインレスはあるか?」
カフェインレス!?
意外な答えに、引き出しを漁った。緑色のパッケージにカフェインレスの表示を見つけ安堵した。
「あ、ありました。今、淹れますね」
袋を開けると、コーヒーのいい香りが漂う。ポットには沸いたお湯が入っていたので、カップを温め、ドリッパーにフィルターを付ける。このドリッパーが、なんとクリスタル! 初めて見た! フィルターの横に置かれてなければ絶対、わからなかった。どう見てもグラスにしか見えない。あまりの高級ぶりに、感動というべきか衝撃を受けながらも、ドリッパーにゆっくりとお湯を注ぎ、コーヒーを淹れた。
「ボス、コーヒーです」
持っていくとクロコダイルは、すぐにカップを手に取りコーヒーを一口飲んだ。
5-3(クロコダイルside)
「うまい」
数時間前、ダズが淹れたコーヒーは、旨いともなんとも感じなかったが、アサヒのは、香りといい味といい温度までも、完璧だった。
そして、俺に向けられる、輝くような笑顔に、口元が緩んだ。
「本当ですか! 良かった」
「フッ、何かしら取り柄があるもんだな」
「はい、毎朝、職場でみんなの分を淹れていたんです」
「職場か」
「はい」
「そうか」
“職場で“と聞いて、無理にここまでアサヒを連れてきてしまった事に少々罪悪感を感じた。きっと、その職場では気立ての良さから重宝がられ、仕事も楽しかったに違いない。
ディナー時に、新聞を読みながらアサヒを観察していたが、食事のマナーもほぼ完ぺきだった。今まではあまり気が付かなかったが、仕草といい、話し方といい、育ちの良さが窺えた。
「あの、ボス」
「なんだ」
「自分の分も淹れてもよろしいでしょうか?」
「ああ、そこにあるものは好きなだけ飲んで構わねぇ」
「本当ですか! ありがとうございます」
嬉しそうにカウンターへ駆けていくアサヒを見ながら、コーヒーを飲み干した。
「俺は先に休む。お前もそれを飲んだら少し休んでおけ、明日からいろいろ仕事を頼みたい」
「し、仕事ですか!?」
「雑用だ。心配するな」
部屋へ向かおうとすると、後ろから
「ボス、おやすみなさい」
不意の問いかけにどう答えてよいのかわからず、振りかえりアサヒを見つめると、カウンターで満面の笑顔のアサヒが手を振っている。コーヒーが淹れかけだったのか、少し声を挙げ、すぐに慌てて視線をコーヒーに戻す。結局俺は、何も言わず自室に入った。