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□桜雨
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※桜雨※




「ふぅ、くそっ、びしょびしょだな」

 濡れた髪を乱暴そうに掻き上げながら、京梧はまだ枝ばかりの桜の枝に身体を預けるようにして、枝越しに暗く沈んだ空を見上げる。

「まったく、降るなら降るって言えって」

 悔しそうにこぼす言葉に応える声などあるはずもなく。と、思いきや。

「降るって言ってから降ったら降ったで文句を言ってそうだろう」
 くすくすとこぼれる笑い声と共にすぐ側からかけられた言葉に京梧は驚いたように顔をそちらへと向ける。

「お互いずぶぬれだなぁ。天気の変わりやすい時期に木の上での昼寝は考え物だな」

 振り返った顔、唇が触れそうな距離に楽しそうに笑う龍斗の姿があった。

「うわぁっ」

 思わず飛び退いた身体が後ろの幹に当たって大きな音を立てる。

「お、おい。大丈夫か?」

 すぐさま後ろ頭を抱えるようにして地面へと座り込み、無言のまま呻く京梧を龍斗は笑いを耐えるような複雑な表情で見下ろす。

「へ、平気だ。目から火花が出たけどな」

 痛そうに漏れる声に龍斗は同じように座り込むと、京梧の顔を覗き込む。

「ものすごい音だったぞ。コブになってないか?」

 細い指が、京梧の髪へと触れたと思うと、髪を結っていた紐すら気にせずに髪の中を撫で。

「少し腫れてるか……雨に降られて、コブをつくって」

 ゆっくりと指で腫れないようにもみほぐす龍斗の手に痛い、痛いとこぼしながらも、京梧は、龍斗の肩へと腕を絡めるようにして身体を支える。

「今日は散々だな」
「そうでもないぞ」

 苦笑混じりに言われる言葉に、京梧は龍斗に捕まったまま、唇の端でにまっと悪戯そうな笑みをこぼす。

「どこが?」
「俺がけっこう、いい気分だからじゃねェの」
「打ち所でも悪かったんじゃないのか?」

 笑いながら、髪へと滑る手はそのままに龍斗は桜へと凭れるように腰を下ろす。
 そして、足を伸ばして座ったと思うと、軽く指先で京梧を手招いた。

「オレも気分がいいから、硬いって文句を言わないなら、不幸な京梧に膝枕ぐらいしてやるぞ」
「あ? 文句なんて言うわけねェだろ」
「わからないだろ。京梧だし」

 手招かれるままに、膝の上へと頭を下ろしてぼんやりと空を見上げる京梧の髪を龍斗の指がコブを揉むでもなく、手持ちぶさたに滑り続けて。

「雨が止むまでだからな」
「へいへい」

 眠るでもなく、話すでもないまま、雨の音だけがしとしとと耳へと響き続ける。
 髪へと触れた手と、腿から感じる体温だけが互いが側にいる証のようで、思わずこぼれた笑い声がどちらのものとすら解らないほど微かに響く。
 草に跳ねる雨音。
 静かな鼓動。

「雨、上がったみたいだ」
「そうだな」

  既に橙掛かった日の光に押されるようにどちらからともなく身体を起こすと、通い慣れた家路へと続く道を歩いていく。

「この時間からだったら、夕飯に間に合わないから、側でも食ってくか?」
「また? よく飽きないな」
「うるせェよ。行くのか行かないのかどっちだよ」
「んー、仕方ないから付き合ってやるか」
「だったら、最初からそう言えよ」

  並ぶように消えていく二人の姿を引き留めるように、影が長く長く伸びて、薄暗くなる空に飲み込まれていくのだった。






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