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□睡眠薬
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※睡眠薬※




 昔は鳥が鳴く前に目覚めていた。
 眠りは浅くて、仕事の絡みやちょっと気分転換で一緒にベッドを共にした人にも寝顔を見たことがないと言われていた。
 油断は死を意味する生活の中で一番無防備な場所で熟睡するはずもない……
 はずもないはずだったんだが……

「おいっ」
「ん……」
「九ちゃん……これ何時に見える?」

 聞きなれた声と共に目の前に目覚ましとおぼしき物体が付きつけられる。
 時間はすでに9時前。

「時計壊れてるよ」

 まだ眠り足りなくて見なかったふりでベッドの中へと潜り込む。甘い嗅ぎ慣れた香りが眠りへとセクシーに手招きしている……

「んなわけあるかっ」
「んーっ」

 あっさりと暖かな布団は奪い取られ、裏腹に甘い香りが強く身体にまとわりつく。
 ぼんやりと開けた瞳に映るのは、いまさらどうしようもないのに目覚ましを睨みつけながら癖のある髪を掻き揚げる甘い香りの主。
 冬だというのに着ているのはズボンだけというワイルドな寝起き姿だ。
 まぁ、すっぽんぽんのオレには言われたくないだろうが。

「また遅刻かよ。今からなら、まだ3時間目になら……」

 ため息の混じる声がぴたりと止まり、その視線は隣で横になったままの影の上に動く。
 いつの間にやら剥ぎ取った布団を首の根元までしっかりと持ち上げすぴすぴと安らかな寝息を立てる顔を見つめていた皆守の額にぴくっと怒りマークが浮かび上がる。

「また、寝てんじゃねぇ」

 げしっと乱暴に頭を殴られて、不満そうな顔を隠すでもなく頭を自分で撫でながら目を開ける。
 心地よい低い声。
 甘く香る香り。
 ほんのりと暖かな体温。
 まだ身体に残る夜の名残の気だるい疲れ。
 ここまでそろって起きていられる人がいたら見てみたい。

「うーっ」

 不満そうに唸ったオレに皆守は呆れた視線を向けてくる。

「どこまで寝汚いんだ。寝汚い俺に言われたら終わりだと思うぞ?」

 自分で寝汚い自覚があるのもどうかと思うぞ? と頭の中で突っ込みを入れつつ、気だるい身体を僅かに浮かす。肌にいくつもついている赤い跡は昨夜の乱れた名残だ。

「遅かったのに、本番までしたのは甲ちゃんだろ?」
「……押し倒して、服を脱がした上に、止められないとこまで持っていったのは誰だ?」
「オレ」

 遺跡掘りに付き合せて、気分が高まったからとそのまま押さえ込んだのは事実だが、嫌なら勃たせなきゃいいのに。とは思うものの、殴られるのが確実なのでその言葉は先ほどと同じようにごっくんと飲み込む。

「……出席日数足りなくなったら責任とれよ」

 すでに登校は諦めたのか、同じようにベッドにもたれかかり欠伸を漏らす皆守をじっと見詰める。
 責任といえば『嫁』ですか?
 癖の有る髪も、だらだらしているわりに筋肉のあるすっきりとした身体も好みと言えば好みなんだが……

「オレよりでかい嫁まではいいけど、毎日カレーの食生活はちょっと嫌かな」

 朝昼夜とカレーを食べ続ければ黄色くなれそうだ。
 本気で悩む俺に皆守が眇めた瞳を向けてくる。

「誰が嫁に貰えと言った。裏工作ならお手の物だろ?」
「ズルは良くない」
「そんな面白いことを言うのはこの口か?」
「いひぇひぇひぇ」

 遠慮なく頬が横に引っ張られて、あまり痛くはないものの徐々に目が覚めてきた。と、いうより、ここまでこないと目が覚めない自分にびっくりだ。
 うっすらと赤くなった頬を両手で押さえて、眠そうに欠伸を漏らす皆守へといそいそと身体を寄せてみる。
 暖かな体温。
 規則正しい心音。
 今までの過去の相手と替わらないというのに、オレを眠りへと誘う誘惑。

「昨日、あれだけしてしたり無いのか?」
「誘ってないから。というか、腹いっぱいだよっ」

 腰にまわってくる意味深な手をぺしっと軽く叩く。
 最初は誘惑したのはオレで翻弄したのも主導権を握っていたのもオレ。だったというのに、気づけば主導権はいつの間にか皆守の手の中だ。

「遠慮するな。物足りないからって他で誘われるのは俺が困る」
「っ……誘わないって。俺を何だと思ってるんだ?」
「寂しがりの猫。かまってやら無いとすぐ他所の家で餌を強請る」
「ここに来てからは甲ちゃんとしかしてないよ」
「……ここに……ね」
「え、あ、あははははは」

 いつのまにか組み敷かれた体勢で、見あげる視界の中の皆守の瞳がきらりと光る。
 いやーっと抵抗しても、すっぽんぽんの上、皆守の部屋で、皆守のベッドの中で、皆守の腕の中では抵抗のしようもない。
 肌の上の淡い痕の上に、ついたばかりの赤い痕が増えていく。

「オレ、眠いのに……」
「運動してからの方がよく眠れる」
「別に運動しなくても……」

 甘く走り抜ける快感。
 熱くなる身体と裏腹に、安らいでいく心。
 速まる心音。
 その中でもここちよい眠気が確実に身体を蝕んでいく。
 ここにくるまで眠れなかったのが嘘のように……
 悔しいけれど、ここなら、皆守の腕の中でなら何時間でも眠れる自信がある。
 だから今は、ほんの少し眠いのを我慢して甘い時間に身を委ねよう。

END




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