絶賛の唇

□熱はお高いうちに
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朝から振りだした雨は午後まで続いた。
ベッドに仰向けのまま、眼球だけで探る窓の景色は白んでいて、雲も空の青も今日は拝めそうもない。

ー天気予報見ていなかったな。

昨夜窓を開けたときにじっとりと肌にまとわりついた蒸し暑さは明け方の雨に変わった。

部屋は頼りない外明かりだけが頼りで、壁にかけられた時計は起きがけの視界で霞んではいたが確かに14時だった。

ーアラームをかけるのを忘れたらもうこんな時間か。

ウニョクは仰向けのまま、気だるい腕を持ち上げてベッドサイドを探った。

ふいに手首に何かがぶつかる。
ーあぁ、昨夜の水だ。
昨夜飲み干した空のペットボトルが床へ落ちてカラカラと音をたてた。

ベッドに沈んだ体は空のペットボトルを拾う気もなく、視線は宙を見つめたまま、体温計、リップクリーム、エアコンのリモコンの感触を順に手で確かめ、ガチャガチャと探りやっとスマホにたどり着いた。

両手で支えて電源を付けると眩しさに目が眩んでよく見えない。
しかめっ面で画面をにらむ。

「ヒョク」

甘く優しい声の主がウニョクの手からスマホを奪った。

空いた両手の間から見えるのは、熱でうなされているウニョクを心配して頭の上から覗きこむドンへだ。


「スマホはやめろよ。」

ーちょっと見ただけだよ。

「だめだって。」

スマホは部屋を離れてどこかに置かれた音だけが聞こえた。

ーお腹すいたなぁ

目が覚めたのも空腹だからだ。 
額にそっと触れると汗で指先が濡れる。
そのまま指先を髪の中に差しこむ。
シャワーを浴びて、このじっとりと油分を含んだ髪を洗い流したい。
ウニョクは具合の悪いこんなときでもきれい好きな性分が現れてしまう。

きっと心配性のドンへがシャワーを許すわけがない。
『ヒョクが入るなら俺も入って面倒見てやるよ』
絶対にそう言うだろう。
しかも意味ありげな笑顔で。
俺は大人だ。
いま一番起こりうる妄想をする。
ー不健康な身でそれだけは絶対に嫌だ。
ため息まじりに殺風景な天井をじっと眺める。

窓で遮断されているとはいえ外は静かで、雨がこの街の音を全て奪ってしまったようだ。
リビングにいるはずのドンへの様子も聞こえないしわからない。
高層階だから街の様子はわからないけれど、灰色の街は色がなくてさぞ退屈な風景だろう。
なのに、ドンへは雨が好きだと言う。
俺には到底わからない。
いまだって風邪を引いて楽しくもない、窓から見える世界まで灰色だなんて。
鳥が窓際に留まって話しかけてくれば退屈しのぎになるのに。

ふと、空っぽの窓に目を落とした。
数秒の間、時が止まる。

ーうわっ、熱って怖いな。鳥を待っちゃったよ!

汗が額から吹き出した。

ー頭が痛いな。きっとおかしなことを考えるのも変にネガティブなのもこの熱のせいだろう。
そう言い聞かせて体を横に倒して目を閉じた。




どれくらいたったのだろう。
こみ上げる咳で目が覚めて、息苦しさから体を起こした。
頭痛で急ぐことはできない。うつ伏せてゆっくり顔をあげた。

部屋は先程よりも暗い。真っ暗だ。
照明をつけるためにベッドサイドのリモコンを探ると、先程落としたはずのペットボトルの感触。
手が当たっても落ちない。ということはドンへが新しいものに替えたのだろう。
ウニョクはためらいもなく固くしまったキャップを開けて飲み込んだ。

ーグレープフルーツジュースかいっ!

荒れた喉がジリッとしびれた。

ーあいつめ!

それでも乾いた喉で半分飲み干した。

ふいに閉められたドアの向こうからモゾモゾと声が聞こえる。
誰か来たのかなぁ。
ー何人?
耳をそばだててみると聞き慣れたテンションの声が。
ー1人だけ?
明るい声の主がドアのそばに来た。
寝癖のついた洗顔をしていない姿を見られたくない!
ウニョクは頭痛をこらえて布団の中に潜り込んだ。

そっと開いたドア。

「ヒョク〜。兄さんが見舞いに来たよ。」
ーやっぱり!
優しくて心配性のトゥギヒョン。
きっとドンへが連絡したんだろ。
気恥ずかしさでいまだ顔を出せないでいると、薄い毛布の上から頭と肩を撫でられた。

そのまま腰を太ももを這うように撫でてくる。
ーヒョン、趣味が変わった?

「ドンヘ!」

ーやっぱりおまえか。
俺のこと触りすぎてトゥギヒョンに怒られてるよ。

ー仕方がないなぁ。
モゾモゾと顔を出すと、リビングから漏れる明かりを背に受けた満面の笑みとえくぼのイトゥク。
その後ろではさらに満面の笑顔でドンへが覗きこんでいる。

ーどう?俺のヒョクだよ!熱出してもかっこいいだろ?

ー俺を見てるが、そういいたげな顔だな。

「ドンへだけじゃ心配だから兄さんが来たよ」
ー何が食べたい?薬は?ご飯食べたら薬を飲もうか。
 
イトゥクは空のペットボトルを床から拾い上げながら矢継ぎ早にウニョクに声をかけた。

ードンへ、ペットボトルも片付けないまま新しいのを持ってきていたのか。しかもジュース。

ヒョン、来てくれてありがとう。
ドンへ、呼んでくれてありがとう。

外は暗い。時計も見えないけどきっともう夕飯の時間だろう。
ーヒョンが作ってくれるよね?
イトゥクはうなずいた。
出来上がるまで寝て待とう。

リビングへと去る二人を見送ると、ゆっくり目を閉じた。

眠りに落ちる合間に聞こえるドア越しの二人の声が心地いい。
ーあぁ、ドンへが怒られてる。
ーあ、言い返してる。もう、兄さん笑いながら怒ってるよ。

はっきりとは聞こえないが語気の強さである程度の会話は聞き取れた。


『だめっだってば!』

先程よりも大きなヒョンの声がはっきりと聞き取れて暗闇に目を開けた。

ードンへは何をしたんだろう。
すかさず半身を起こして、暗い部屋のなかで耳をそばだて、ドアをじっと凝視した。
 
何か言い合っている。

『あ、ドンへ!やっぱりそんなことしちゃだめだって!ヒョクに怒られちゃう!』

ーちょっと!ちょっと!
二人してなにしてんの!?

荒い足音が聞こえる。

『ヒョン!しーーーっ!静かにしてよ!ヒョクにバレたらだめなんだって!』
ードンへ!!!小声のつもりだけど全部聞こえてる!

具合の悪さも忘れて勢いよくベッドから降りて立ち上がった。
鼓動が強すぎて視界まで震えている。
よく見えない、体が動かない。

『唇を確かめるだけだから!』

そう言っている。確かにドンへはそう言った!

ードンヘ!ドンヘ!あいつはなにを!

ドアに縁取られた明かりの向こう、なんとなく想像はしているけれど、見えないドアの先で起きている事に立ちすくむ。

子供じゃないんだからと自身に言い聞かせるが、頭の中では想像通りの結果と決めつけ、悲しみから目頭がじわりと熱くなる。溢れた涙がまばたき一つ頬を伝う。

そっとドアが開き、向こうの明かりが暗がりのウニョクを細く照らした。

おわっ!!!

ドンへは暗闇で立ち尽くしているウニョクの姿に声をあげてのけぞった。

ー恥ずかしい。二人の話し声を聞いて泣いているなんて。
こぼれる涙を両手で隠してうつむいた。

ーヒョク!

すばやくウニョクを懐に誘い込み、優しく頭に手を添え、空いたもう1つの手で腰を包んで引き寄せた。

二人で隠れて何かしようとしていたくせに!優しくするなよ!

なのにドンヘを突き放せないのは、

好きだから。

それ以外の答えはウニョクには端からない。

抱き締められた安堵から両手を顔から外してドンへの胸元に委ねた。


「なんで泣いてんの?」
ーそれを聞くの?!
ドンへの軽率な問いにウニョクは睨み付けるように目を丸くして、平手で思い切りドンへの胸を叩いた。

「いって!なにすんだよ!」
「もー、ドンヘ。ウニョクは俺たちの会話を聞いちゃったんでしょ」

イトゥクが明かりを遮るように空いたドアの縁に寄りかかった。その姿をドンへの肩越しに見つめる。

「そうなの?」
ドンへがうつむいたウニョクの顔を不思議そうに覗きこみながら聞いてくる。

ー言わない!ホッとしたなんて言えないよ!

意地悪でもするようにドンへから顔をそらしてイトゥクを見た。

涙で揺らいでよく見えないが、間違いなくヒョンは笑っている。
肩を揺らして必死に高笑いをこらえながら言った。

「ドンへが熱出してるヒョクの唇にキスしたいって言い出したんだよ!」

「うん。キスしたらいつもより温かいのか知りたくて。」

ーおまえはなんてことを!そんなふざけたことを弱り目の俺にしようだなんて!

ふいにドンへに視線を移す。

ドンへはじっとウニョクを見つめてささやいた。
「ブドウ味がしたらいいと思ったんだ」
ードンヘ!
「お前が用意したのはグレープフルーツだ!」

イトゥクの高笑いが始まった。
恥ずかしさからドンへはウニョクの胸を突き飛ばして両手で顔を隠した。



「笑わないでよ!そんな変な言い方じゃなかっただろ」

ーそこかい!
 
イトゥクとウニョクで声を揃えてしまった。

何がいけないのかいまだ気が付かないドンへは恥ずかしさからきつくウニョクを抱きしめて大きく揺さぶった。
 
そんな様子がさらに可笑しいイトゥクはまた高笑いを始めた。

ーエルモだ。
いまのウニョクには笑い狂うヒョンがダンシングエルモにしか見えない。
真面目に流した涙もいつの間にか乾いてしまった。


ー雨のせいだ。外も出られないこんな日は俺もみんなも下らないことを考えてしまうんだ。
ため息ひとつ咳ふたつ。騒々しい部屋の中、雨いまだ止まずの窓を見る。

早く晴れてくれ、そして風邪が治ったらドンヘを外に連れだそう。

きっと、
ー俺は雨が好きだ。
って言うだろうけど。

風邪のおかげか、雨のおかげか、こんな馬鹿げた涙を流すなんてなかなかない。
熱でやられてしまった体が見せた幻なのかも。
ウニョクは半笑いを浮かべてドンへの肩に顔を埋めた。
呼応するようにドンへが頭を撫でた。

ーあと少し寝たら治りそうだ。

ドンへ、元気になったらキスするよ。
だけどブドウジュースは飲んでやらない。




END
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