短編集

□183馬券
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 日も落ちはじめた冬の暮れ。軽くなった財布をポケットに入れてイヤミとともに競馬場を後にした。
 予想が全て外れたイヤミは電車賃のみを残して賭けを終えたからか、怒りの感情だけが溢れ何度も八つ当たりを繰り返してきた。珍しく常識の枠からはみ出さず、周囲の乗客には迷惑が掛からないようにと俺の足を何度も踏み付けるばかりだった。
 俺は俺で最終レースが当たったお陰か財布には僅かにお金が残り、心にさえも余裕があった。幾度となく足を踏みつけてきたイヤミには一度もやり返すことなく電車を乗り継ぎ、最寄り駅。ほくほくと温かい湯気が立ち上る駅前のたい焼き屋のワゴンと遭遇し声をかけた。

「おじさーん、たい焼き1個ちょうだーい!」
「おーう、1個250円だ」

 屋台から顔を出したおじさんは早々に支払いを要求してきた。
 普段であれば「ツケといてー」と適当に投げ打ってたい焼きだけを頂くが今日はきっちりと金額を払う。ポケットから外れ馬券と一緒に小銭を手に取り、明るげに「はいはーい」と口を開きながら手渡した。
 温かいほっくほくのたい焼きを受け取りおじちゃんに礼を言うと、駅の前に佇んだままのイヤミの元へ駆け寄った。
 彼は口元から涎を垂らしながらたい焼きを凝視している。たい焼きを持つ手を右から左、上から下へと動かしてもなお目で追い続け生唾を飲み込んでいた。

「イヤミ、食べたい? たい焼き」
「ふんっ、いらないザンスよ! どーせミーが欲しがったところで、チミが素直にくれるはずがないザンス!」
「それはどうかなぁ……俺の言うことを聞いてくれたら、一口でも二口でもあげちゃうけど」

 会話をしている間でさえ、俺の顔を目に留めることもなく、たい焼きばかりを目で追いかけている。季節外れではあるが甘い香りに誘われた蜜蜂のように、相変わらずたい焼きだけを視線に捉え続けている。
 痩せ我慢をせず咥え込んでしまえばいいのに、何を遠慮しているんだろうか。

「ほら、イヤミー。食べろったら」
「だーかーらー! いらないって言ったら、いらないザンスよ!」

 たい焼きを払い落とすように手をひらひらと動かすイヤミは、徐々に言葉を強めていく。それに呼応するかのように余裕を持っていたはずの俺もが苛立ちを感じ始めた。

「うっせーな! 食べろって言ってんだろ! 俺がお前にわざわざ分け与えることなんてないんだから、食べろったら!」

 まだ一口も食べていないたい焼きをイヤミの口元に運ぶも、やはり拒絶され怒りが強くなっていく。
 だが俺がここで食い下がる訳にはいかない。無理矢理にでも食べさせて、イヤミと一緒に同じ温もりを味わいたかった。

「ミーはいらないって言ってるザンショ! 止めるザンスよ、チョロ松!」
「おそ松だっつの! んっ……っ、ん」

 その為ならば先にたい焼きを含んで、口移しをすることすら厭わない。

「ンッッッ!? んっ、んんっ…ん、っ」

 一口サイズに齧ったたい焼きをイヤミの口の中へと流し込んだ。
 駅前であろうが関係ない。今この瞬間、(元手は松野松代のだけど)自分で当てた馬券の配当金でイヤミに分け与えたかったのだ。
 温もりを一緒に味わいたい? いや、それだけじゃない。この日を強く待ち望んでいたんだ。

「んぅ…っ……イヤミ、最終レースの着順、覚えてるか?」
「ちょっ、チミさっきからおかしいザンスよ! 色々と急ザンス!」

 呆気にとられていたイヤミは、俺を突き飛ばすような真似はせずにいてくれたが、訳が分からなそうに唇を手の甲で拭うなり、俺(ひと)を指差して慌てふためいている。

「いいから、答えろよ」
「最終……12レースザンスか? …1と8と……3?」
「大正解」

 自分自身の行動がおかしかったことは十分理解している。それでもこの機を逃す訳にはいかなかった。
 今まで誰にも言わずに秘密裏に買い続けてきた『1-8-3』の三連単の馬券が初めて当たったのだ。いつかこの時が来たら必ずイヤミに告白をしようと考え早くも三年。それが今日、やっと現実になった。
 人気馬が勝ったことにより払い戻しは決して多くはないが、待ちに待った日の到来に、俺は今にもイヤミを抱き締めたい気持ちに駆られていたのだ。

「続けて読むと183(イヤミ)だよな?」
「たしかに……。けど、それがどうしたザンスか?」

 はやる気持ちを抑えて告げてはみたものの、やはり理解はされていない。というよりこればっかりは不思議に思うイヤミが正しいのだろう。
 目的の馬順で三連単が当たったから告白とか──ないよな、普通は。
 俺は一度深呼吸をして体内を踊る酸素を新たに取り入れ口を開いた。

「183馬券が当たったらさ、お前に告白しようとしてたんだわ」
「告白って誰が誰にザンス? というより183馬券なんて初めて聞いたザンスが……」
「183馬券ってのはそのままの意味だよ! 三連単で1-8-3なの! で、告白っつうのは」
「っつうのは、なんザンス?」

 口ごもった俺はたい焼きを持つ右手に力を込めてしまう。あっ、と言いかけるが柄にもなく緊張して、体が震えだしそうだった。今まで告げずにいた気持ちを丁寧に口にするのは、やはり気恥ずかしいというか、拒絶されてしまいそうで怖い。
 しかし早くと急かすイヤミに対しておそるおそる頷き、ゆっくりと視線を合わせた。

「俺が、お前……イヤミを好きだって、ことだよ」
「はああ!? ちょっ、チミ、いきなりなんザンス、驚き過ぎて顎が外れるところだったザンスよ」

 大きく口を開き驚いたイヤミは慌てて顎下を両手で押さえたようだった。
 俺はそんなこいつの冗談を真に受けることも笑うこともできず、さっきまでの余裕は確実に剥がれ落ちていく。調子付いてイヤミにたい焼きを口移ししたタイミングが一番心に余裕を持てていたのだ。
 今はもう、心に余裕を持ち続けることは愚か次の言葉を告げることすら容易ではない。

「ミーの渾身の冗談を聞き流すとは! ほんと、おかしいザンスよ、十四松!」

 いつも通り名前を間違えられても訂正できない。

「お、おそ松……なんザンスか、らしくないザンスね」
「俺らしくないとか、しょーがねーだろ。こんなの初めてなんだからよ」
「ミーだって、他人から好きだとか……言われたことなかったザンスよ」

 互いにぎこちなく会話をしだしてしまうと、言葉が途切れてしまうのはあっという間だった。賑わいを見せる駅前ながらも、俺とイヤミの間には会話がなくなってしまう。
 たい焼きから発せられていた湯気も見えなくなり、徐々に冷めだしてしまった。惜しいことをした気にはなるが、それ以上にこの状況をどうにか覆したい。
 逃げも諦めもせずに抱き続けた感情を伝えたいだけだ。

「イヤミ」

 俺は意を決して再度口を開いた。

「それなら、これからは俺が何度だって好きだって伝えてやる。周りにだって言いふらしてやる。ずっと好きでい続けるから……その」
「おそ松?」
「俺と、付き合ってくれないか? ほら、俺たち気が合うと思うんだわ! 金もねーのに競馬場に足を運んだり、定職にもつかないクズ同士さ」

 早口で伝えてしまった感情。
 決して嘘はないけれど、本当に告白してんのか? と思いたくなるような言葉並びだ。普通は喜びもせずバカにされてるとすら感じるだろう。
 だが、そこはやっぱりクズ同士だ。

「チミと同じにしないで欲しいザンスけど、好きって言われるのは悪い気がしないザンスね。いいザンスよ、これからは恋人としてチミを馬車馬のように使ってやるザンス!」
「お前、恋人を何だと思ってるんだよ! 俺がイヤミを使ってやんの!」
「おかしいザンショ!? チミから告白しといて、その仕打ちは」

 罵詈雑言吐き合うような仲は変わらず、徐々に気持ちを近づけて行ければそれでいい。

(おわり)

2019*05*10* 小説掲載


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