短編集

□Mask the FeridBathory
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 日も落ち夜空に月が瞬きはじめた。何度歩いても夜の校舎内には慣れない。だが電気がついていない教室に僅かに差し込む月明かりは綺麗だ。
 下校完了時間を知らせるチャイムが鳴り響き、部活で残っていた生徒たちが足早に学校を出て行く。僕たち教師は「また明日ね」などと声をかけ、一日の最後の仕事、校内の施錠をする時間がはじまる。

「なんか学校にふたりだけってドキドキしないかい? クローリーせんせ」
「職員室にはまだまだ他の先生がいますよ、フェリド・バートリー先生。何もドキドキしませんから」
「そう? つまんないなぁ」

 新人教師の僕は決まってこの胡散臭い先輩教師とともに学校を見回ることになっている。

「クローリーせんせは、学校の七不思議とか信じてる?」
「子供でもあるまいし信じていませんね。もしかしてフェリド先生は信じてるんですか? 怖くて僕の腕にしがみついてるとか」
「いやいやいや何を言っているんだい、クローリーせんせ。僕はただ君が怖がってるんじゃないかと思ってくっついてあげているだけだよ。僕からの優しさだよ? きちんと受け取って欲しいものだね」

 そう言いながらも僕の腕を掴んで離さない。普段とはかけ離れた様子のフェリド先生を前にしていると、ついからかってしまいたくなる。
 いい大人が七不思議を信じているだなんて馬鹿げている。幽霊なんて存在するはずもなければ、それらは科学的に証明ができるとさえ考えていれば何も気にする必要はない。
 仮に校内にふたりだけだったとしても一切ドキドキせず、早々と見回りを終えて帰りたいぐらいだ。歩く速度を落とすことなく済ませたい。

「フェリド先生は教師何年目ですか? 少なくとも僕より先輩なあなたが見回りを怖がるなんて……呆れを通り越して笑ってしまいますよ」
「クローリーせんせは失礼だな。人を笑う必要がどこにあるんだい?」
「あなたが普段していることじゃないですか。僕はあなたに何度も笑われてきましたけど?」

 着実に見回りを進めている間も、フェリド先生は腕を離してくれない。4階建ての校舎を上から順に見ていくが、半分を終えた段階で左腕が痛みはじめた。

「先生、いい加減離してくれませんか? 怪談話にもなってる教室やトイレはもう全て見終わりました。後はほら、何の謂れもない教室ばかりですよ」

 僕の腕を力いっぱい握り締めながらゆっくりと歩を進める先輩教師には溜息しかこぼれない。

「何度言ったら分かるんだい? 僕はクローリーせんせが怖がってるんじゃないかと思って……。せんせは聞いたことがないかな。吸血鬼伝説とか」
「それは日本古来の伝説ではないでしょう?」
「海外から自由に往来できるご時世、絶対にいないとは言い切れないんじゃないかな?」
「出任せは止めてくださいよ。ほらさっさと歩いて!」

 半ばフェリド先生を引き摺るように校内を歩き続けた。何も怪しいところはなく問題はない。全教室の扉を施錠し、後は職員室に戻るだけ。階段を下り、一階へと向かう。
 他の先生が残っているからか一階の踊り場には電気が明るく灯されていた。
 
「ねークローリーせんせ。僕、吸血鬼なんだけど……ガオーッ」

 捕食者にでもなった気分なのか、獣のように手を丸め威圧的な姿勢を見せる。だがいつも通りの怪しい笑みを浮かべているだけで、恐怖も何もない。
 むしろ腕を離してもらえたことに安堵し、一呼吸を置くことができた。

「ガオーッて、それは吸血鬼ではなくてライオンや狼では?」
「どっちでもいいよ」
「よくないとは思いますけどね。重要性がないならわざわざ話題に出さなくてもいいですし」

 階段を下りきる手前、フェリド先生が急に立ち止る。

「本当にどっちでもいいのさ。僕は君を付け狙う狼であり、吸血鬼でもある。ただただ君のことが好きな先輩教師さ」

 冗談とも真剣にとも取れる様子で見つめてくる先生ににじり寄られ、僕は階段を下りる前に壁に背を押し付けてしまった。
 自分よりも小さな体から発される静かなプレッシャーを感じ、普段にも増して彼が何を考えているのか検討もつかない。冗談混じりに聞こえるはずの言葉が決して冗談に聞こえないのは夜のせいか。それともフェリド先生だからなのだろうか。

「噛み付いてしまいたいぐらい、クローリーせんせが好きだよ」

 僕の左側の壁に手をつき顔を寄せてくるフェリド先生に、踊り場の窓から射し込む月明かりが重なった。
 その瞬間、微笑む彼の口元に怪しく光る牙のような物が見えたのは気のせいだろうと信じたい。
 ──吸血鬼だなんて。
 
「……ウソだね」

 常に笑っている仮面を貼り付けている先輩教師のいうことなど信じられない。

「僕が狼なのか、吸血鬼なのかはウソだと思ってくれていても構わないけど、好きな気持ちだけは事実さ」

 ますます近付くフェリド先生の顔。力技でどうにかなりそうなのに身体がまったく言うことを聞かないのは、彼の不思議な魔力のせいなのか。己のペースを乱され、気が付けば手のひらで踊り狂わされているだけ。

「寝言は寝てから言って下さい、フェリド先生」
「寝言でも何でもないよ」

 即答される毎に熱い吐息をかけられているような感触だった。僕を僅かに見上げる彼の瞳は怪しさ以上に色気づいているようにも見えて、静かに喉を鳴らしてしまう。
 これでは完全にフェリド先生のペースだ。

「今は我慢しているけれど、満月の夜にはちょっとくらい僕を意識していたほうがいいかもね」

 まことしやかに囁かれてきた空想上の伝説と苦しくも絶滅をしてしまった狼などと嘯く。

「君が一人で夜道を歩いていると、後ろから……ワッ! 牙を生やした僕に襲われちゃうよ☆ なーんて、ね?」

 冗談なのか、それとも事実なのかを掴みづらく話すこの先生は僕の目の前で微笑んだ。


*2018/08/18 小説掲載




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