短編集

□如月に泣く
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 白銀の世界を照らすほのかに温かい日差しに、春がそこまで到来していることに気がついた。
 生徒会長用の椅子に座る行為にやっと慣れてきた颯斗の様子に安堵しながらも、俺は未だ不安を抱えているもう一人の後輩のもとに寄り添う。
 そいつは学期末が近付きテスト勉強や生徒会の引き継ぎ作業に少々疲れを感じてしまっているのか、生徒会室のソファーで横になり軽い睡眠をとっているようだった。颯斗と月子もそれに気が付いてはいるのかいないのか、それぞれの残りの作業に没頭している。
 いや気が付いていながらも翼を案じ声をかけないでいるのだろう。人一倍生徒会での活動に楽しさを見出し、人と人との関わりの重要さと心強さを知り、そしていずれ訪れてしまう別れによる寂しさを感じている翼が無理をしてでも生徒会室に入り浸っていることを気にかけているのだ。

「翼」

 俺よりも大きな体を丸め込みソファーで眠っている状態にはつい親が子へ向けるような愛おしさを感じてしまう。
 口を開けばやれ実験だの、先輩に対する返答も独特な特徴はあるけれど自分の本心を隠そうとする気の弱い部分は特に人間らしい。誰よりもこの空間を好いて、失いたくないと感じているからこそ生徒会室から足を遠ざけていた日々すらあった。今尚別れの日が訪れないように密かに願っている可能性はぜろでないだろうが、実に濃い一年間を過ごしたこの場所の記憶が消えるわけでもないと何度も告げ、その度に翼の肩を抱いた。

「俺はずっとお前とともにあるさ」

 颯斗と月子とともに手分けをして、授業にも参加せず生徒会室にすら顔を出さない翼を探した日もある。
 そんな日、翼は決まって星が見える庭園でひとり寂しそうに肩をすくめ小さくうずくまっていた。誰に声をかけられても一切顔を上げず、何かを問いかければ頷くか首を横に振るだけ。返答はしない。涙をこぼしながら必ず来てしまう別れの日に恐怖を感じていたのだ。
 
「なぁ、翼。俺がお前にうそをついたことがあったか?」

 自分自身に言い聞かせるように、何度も翼に伝えてきた言葉の数々。
 
「絶対にお前の傍を離れたりなんかしない。俺の言うことは絶対だ。お前なら分かるよな? 翼」

 ソファーで眠る翼にすらつい声をかけ細く柔らかい紫色の髪を撫でた。言葉は聞こえていないだろうが、夢の中でさえも不安がらないように言い続けてやる。

「ぬ……ぬい、ぬい…? あれ、俺……いつの間に寝てて…」
「あっ、すまん、起こしちまったか……」

 目元を擦り、寝ぼけ眼で周囲を見渡す翼はゆっくりと体を起こした。
 
「いい、まだ寝ていろ。テスト勉強に引き継ぎと疲れてんだろ? 颯斗たちには俺から伝えておくから、今はまた眠っちまえ」

 髪を撫でていた手のひらで、優しくぽんぽんと頭を叩き再び眠りにつくように仕向ける。
 目の下にはくまが目立ち、寝不足気味であることを周囲にまで知らせてしまっている。本人にそこまでの自覚はないだろうが、互いの作業音と通い慣れた生徒会室で眠ってしまう気持ちは俺も十分分かっていた。
 普段であれば生徒会の活動中に眠るなど颯斗から厳しく叱られてしまうが、一日の作業さえ終えてしまえばあとは何をしてもいいらしい。俺の卒業式を迎えるまで、は。

「翼? おい、どうしたんだよ」
「……ぬいぬいがいるんならもう寝ない」

 立ち上がった翼は制服がしわにならないように何度か上着を擦ると、再びゆっくりと俺の隣に座りこんだ。
 あくびを漏らしながらも大きく目を見開いている様子は眠るのを必死に我慢しているようにさえ見えた。今にも再び寝てしまいそうなほどこくりと体を揺れ動かし、何度も瞼を閉じては開くと繰り返している。

「無茶するなよ、翼。お前が最近寝る間も惜しんで勉強に仕事にと頑張ってるのは分かってるんだ。木ノ瀬からもそう聞いているからな」
「ぬっ……梓のやつっ、余計なことを……」
「アイツもお前のことが心配なんだよ。もちろん、俺や颯斗、月子もな。お前は誰よりこの空間、時間が好きだったから」

 周囲を見渡せば丁寧に積まれた書類に翼専用の実験室。静かに作業に取り組んでいる颯斗と月子に、集中力を切らすと互いにふざけあう俺と翼。そして時折遊びにやって来る桜士郎。誰かひとりが欠けても成り立つことのなかった生徒会での活動にもうじき終わりがやってきてしまう。

「ぬははは! 好きだから、大事にしたいんだぞ」

 少しずつ俺の卒業に前向きになってきた翼が静かに笑った。

「でもな、ぬいぬい。俺さ……ぬいぬいが卒業しちゃう日に伝えたいことがあるんだ。今はまだ生徒会にぬいぬいがいて、そらそらも、月子もいて……たまーに桜士郎が遊びに来るから言わない。この場所が俺にとってはすごく大切で、大好きだから……言わないけど」
「おいおいなんだよ、伝えたいことって。聞いてないぞ?」
「ぬはははっ、当たり前だろ、誰にも言ってないし、詳しいことはまだ言わないって決めてるんだから」

 不意に俺の肩に寄り添ってきた翼はこつんと頭を傾けた。甘えるような仕草には驚いたものの、翼の言葉ひとつひとつが1年前からしたら想像もできない言葉で、コイツを生徒会に入れてよかったんだと思える。もちろん先生からのお達しではあったけれど、それだけじゃない。
 たった1年しか関わることができなかったにもかかわらず、翼は大きな成長を遂げてくれた。

「翼、ありがとうな」
「もーどうしたんだよ、ぬいぬい。急にお礼なんてらしくないぞ?」
「言いたくなったんだよ。この生徒会を好きになってくれて……ありがとな」

 はじめはひとりで立ち上げたはずの生徒会が今では多くの仲間に支えられ、信頼のできる後輩にこの星月学園を任せることができた。
 いくら未来が見えるからといって、今までこうも幸せな未来を詠めたことはない。同じ星の下で出会ったこいつらとだからこそ築き上げることのできた絆に、何度感謝をしてもしきれないだろう。

「お前ら……本当にありがとな!」

 卒業式までにはまだ時間があるが、募りに募った感情を堪えることができなかった。翼の一言で気持ちが高まり当日まで伝えずにいようとしていた言葉が出てきてしまった。
 声量をコントロールする間もなく、生徒会室中に響き渡るほどの大きな声だった。

「一樹、会長?」

 作業の手を止めた颯斗と月子が同時に振り返り、互いに顔を見合わせて俺を呼んだ。隣では翼も驚いているのか、何度か瞬きを繰り返しているようだった。
 呆然としたままの3人に俺は──慌てて。

「あっ、いやぁ、すまん! ちょっとってかだいぶ? 気が早いというか……まだ卒業式じゃないのになぁ、アハハハ……アハハ……」

 後頭部を静かに掻きながら取り繕ってはみたものの、一斉に彼らの表情は歪んでしまっていた。

「一樹会長! 嬉しいです、嬉しいですけど……僕はまだ会長に礼を言われるようなほど立派な人間ではありませんよ」
「……まだ……まだですよ。先輩はまだ卒業してないのに……そんなこと言われたら、私……」
「ぬいぬいのバカぁ……そらそらも月子も泣いちゃうだろぉ……俺だって、ほんとは寂しくなるのに…我慢、してたのにぃ……」
「お前ら、どうした。急に泣き虫になってよ……すまんすまん、俺が悪かった。まだ早いよなぁ、こんなしんみりムードは」

 卒業式を控えた2月。
 一足早い卒業ムードを味合わせてしまったようで、泣きじゃくり慌てて駆け寄ってきた後輩らの肩を抱いた。小刻みに震えるそれぞれの肩にもたれかかる新たな不安と期待、そして未来を突き進む強さをもう見ることができない。
 
「今泣きすぎて、卒業式に泣いてくれなかった父ちゃん寂しいぞー!」

 あぁ、不意に視界が悪くなる。
 まだまだ泣かないと、いや卒業式ですらこいつらの前では泣かないと決めていたのに、なんだ、このザマ。

「ぬいぬいだって泣いてるくせにー!」
「そうですよ、一樹会長。あなたが僕たちを泣かせたというのにその言いかたはひどくありませんか?」
「卒業式の当日だって悲しいですけど、今日は今日で悲しいんですよ。先輩が急に真面目な顔で私たちにお礼なんて言うから……ずっと当日に言おうって決めてたのに……」
「だから謝ってんじゃねーかよ。それに翼、俺のこれは涙じゃない、心の汗だ!」

 言い逃れできるはずがない。
 4人で肩を寄せ合いながら、見つめ合う形になってしまったこの状況では決してうそも通用しないだろう。
 あふれだしてしまった涙は止まずぼろぼろとこぼれていく。この場にいる誰しもが涙を流していて、一足も二足も早い卒業式当日を迎えているような感覚だった。

「にしてもお前ら……本当にひでえ顔してんぞ? こんなんじゃ明日は全員目が真っ赤に腫れてるだろうな」
「一樹会長のは心の汗ではなかったんですか?」
「おい、颯斗。そのことはもういい忘れろ」
「それは……難しい相談です、ねぇ? 翼君、月子さん」
「颯斗君の言う通りですよ。さっき会長は言いましたもんね?」
「ぬはははっ、俺も聞いたぞー! 心の汗なんだもんな?」

 けれどこいつらに涙は似合わない。 

「お前らなぁ……冗談って言葉も分かんねぇの?」
「それはもちろん分かりますけど……こうして会長をおちょくることができるのもあと少しの期間だけですから。大目に見てくれませんか?」

 真っ白な雪を照らす温かな太陽のように穏やかな空気がこいつらには合う。

「しょうがねーな。今回だけだぞ」
「元はといえばぬいぬいが強がらなくっちゃよかっただけなのになー、しょきー?」
「翼君の言う通りですね、会長」

 涙はもう止めだ。
 卒業式を迎えるその日まで、先輩らしくこの後輩たちをしっかりと見守って行こう。誰ひとりとして欠けることなく、その日を迎えられるように。


(おわり。)


*2018/07/20 小説掲載




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