short

□朝靄と足音と
1ページ/1ページ

まだ朝独特の靄がかかった静かな世界。見上げると目に入ってくるのはまだ薄暗い空と青々と葉のついた大きな木の枝。吸い込んだ空気は、ひんやりと肺を満たし少しずつ眠気を覚ましていく。ほんの少しの特別な時間。

不意に遠くから聞こえた規則正しいその足音に私は読んでいた本に栞を挟んで立ち上がり、段々と近づいてくるそれに耳を澄ませた。足音の主はすぐに私の視界に映り込んだ。彼は少しスピードを落とすと、きょろきょろと周りを見渡す。

「……若利くん!」

呼ぶと、彼は私の姿を認めて方向転換し、こちらへ走ってきた。

「おはよう」
「ああ。」

短く答えて彼は、私からボトルを受け取りドリンクを口に含む。

彼、牛島若利くんは、男子バレー部のキャプテンで全国でも3本の指に入るエースと言われていて校内でもそれなりに有名人だ。そんな彼と同じクラスになって彼のバレーを見て、好きになって告白したのが半年前。彼女というポジションになっても、それらしい事なんて全然できなかった。お互い勉強に部活にと忙しかったからだ。

そんな中、いろいろ考えた結果出たのがこの答えだった。若利くんの朝練前の時間を少しだけ貰って、まだ眠りの中にある世界で、静かに二人だけで過ごす。1時間もないがとても心地の良い時が流れる

「…本を」
「ん?」
「お前は、いつも本を読んでいるな」

ベンチに座り私の持ってきた幾つかの本の中から無造作に手に取り、ページをめくる。そうかなと呟いて隣に座り、その手元をのぞき込む。

「これね、最後の最後で大逆転が起きるんだよ。ここのセリフが伏線になっててね…」

そう言いながら若利くんを見上げると、思った以上の顔の近さ。ぱちんと交わる視線。体は硬直し、喋ろうと思ってたことは頭からお散歩に出てしまった。

何か言いたげに細められたその目に脳から指令が下り、体を引こうとしたが一瞬早く肩を大きな手に掴まれた。

「…っ、あの、放し」
「結衣」

私の言葉を遮って少し諌めるような声で名前を呼ばれれば、もう動けない。ゆっくりとその端正な顔が近付き、思わず目を閉じる。唇にふれた柔らかさと熱を処理しきれずに顔を伏せると、耳元で低い彼の声が空気を振動させた。

「…好きだ」

私も、なんて、消え入りそうな声で答えると優しく抱きしめられた。

耳に響くゆっくりとした心臓の音に合わせるように朝日が朝靄を切り裂いていった

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ