君と見た夏の短編集


□私はあなただけを見つめる。
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他の子たちの後にお風呂場から出ると、夏特有のまとわりつくような空気が残っていた。

消灯までまだ時間があるから、少し涼んでも大丈夫かな。

そう思い、近くにあった自動販売機で麦茶を買う。
ペットボトルを頬に当てると、ひんやりした感覚に癒される気がした。

潮音崎高校水泳部は、今は合宿の真っ最中。
屋内プール付きのけっこう広い場所で、1年生たちがちょっと歓声をあげるほどだった。

近くにある多目的ホールに向かい、ベランダに通じるドアを静かに開ける。
その手が一瞬止まった。
ベランダには、既に人影があった。

向こうもこちらに気づき、ほんの少しだけ目を丸くする。

(桐嶋先輩……)

ぺこりと会釈してから適度な距離を保つ。
夜風が濡れた髪を撫でていくけど、頬は冷えずに熱を帯びてきた。

「……君も、涼みにきたの?」
「あっ、はいっ。桐嶋先輩も……ですか?」

凛とした、低い声。
突然かけられた言葉に心臓がはねる。
普段見ているジャージ姿とはまた違う、ラフな格好の先輩がどこか身近に感じられた。

「……僕は、同じ部屋の人が枕投げ始めそうな雰囲気だから、逃げてきた」
「そ、そうなんですか……」

心なしか疲れたような表情でため息をつきながら、先輩がアルミ缶を傾ける。
上下する喉仏を思わず見つめてしまい、私は少し慌てながら目線をそらした。

胸の奥がせわしなく動き出す。
憧れの……好きな先輩と2人きりという状況なんて、さすがに緊張する。
何か会話を……と思い、私は頭の中から言葉を探した。

「……桐嶋先輩は、好きな人っているんですか?」

言った瞬間ハッとした。
私、かなり失礼なことを聞いちゃったんじゃ……。
ぎこちなく、恐る恐る先輩のほうを向く。
彼は困惑したような顔をしてから、私と合った目線を少しそらした。

「……いないよ。よく分からないし、今は水泳に集中したいから」

「……そ、ですか……」

ホッとしたような、胸がちくりと痛むような、そんな複雑な思いが入り交じる。
何となく気まずくて、私はうつむきながらペットボトルを両手で握りしめた。

「……これがそうなのかなって、思った子はいたよ」

予想しなかった言葉に顔を上げる。
桐嶋先輩は、どこか遠くを見るような眼差しをしていた。

「……どんな人、だったんですか?」

ドキドキしながら尋ねる。
すると彼は、何かを懐かしむような口調で続けた。

「……中1のときだけ、クラスメートで同じ水泳部だった。いつも一生懸命で、周りをよく見てた。口数は少ないけど、笑顔が白いヒマワリみたいな子だったよ」

少し長めの前髪から見える、いつもより柔らかい表情。
その人のことを語る桐嶋先輩は、穏やかで優しそうな目をしていた。

初めて見るその顔に胸がときめき、すぐにじくじくと痛み出す。
理由は分かってる。
どうしようもないことだけど。

……きっとその人は、私の知らない桐嶋先輩を知ってる。

もしかしたら、先輩は今もその人のことが……。

「……アメリカに留学してから連絡は取ってなくて、今どうしているかは分からないんだけどね」

そう言ってからアルミ缶の中身を飲みきり、先輩は私のほうを向いた。

「……昔話に付き合わせちゃったね。もう遅いし、部屋まで送るよ」
「え、あ……ありがとうございます」

小さな声になってしまったけど、彼には届いたようで。
軽くうなずいた後に歩き出した先輩に、私はついて行った。

少しだけ、泣きそうになる。
前を歩いていても、歩く速さが緩やかなところ。
気づかってわざわざ送ってくれるところ。

無表情に見えて、本当は優しい先輩。

「……明日も早いから、すぐ寝るんだよ」
「はい。先輩、おやすみなさい」
「……おやすみ」

うまく笑えていたかな。
そう思いながら、戸口の前で後ろ姿を見送る。
すっかりぬるくなってしまったペットボトルを持って、私は心の中でつぶやいた。

先輩が、好きです。

END


 

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