小手毬と青い春


□迷いと呪縛
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皆の暗い表情と先輩の厳しい声が頭から離れず、沈んだ気持ちで片付けをしていたときだった。

「蒼、ちょっといい?」
「尚先輩……、なんですか?」

手招きされて尚先輩のところへ行く。
何かあったのかな……。
どこかつかめないような表情に、少し不安になる。

「蒼に少し質問があるんだ」
「はい……」
「蒼、本当は泳ぎたいんじゃない?」
「……え、?」

ドキリとした。
一瞬だけ、呼吸を忘れるほど。

「皆の泳ぎとかプールを見てるとき、どこか羨ましそうに見えたから。
なんで泳げないのか、理由を聞いてもいい?」

尚先輩が言ったことは当たっていた。
皆が泳ぐ姿を見るたびに感じた、ちりちりと疼くような思い。

「……情けない話なんですけど、いいですか……?」
「うん」

そっと視線を上に上げると、尚先輩が微笑んでいた。
全部受け止めてくれそうな、そんな視線で。

「……私、水泳がすごく上手い兄がいるんです。
本当に速くてかっこよくて。そんな兄は私の憧れで……、私が水泳を始めたきっかけの1つでした」

今までを振り返るように、言葉に変えて話していく。
少しずつ、固く結んでいた紐をほどいていくような気持ちになる。

「……でも、私が大会で優勝するうちに、私と兄を重ねて見る人がいたんです」

プールに視線を向けてつぶやくように言う。

"速いね。向日 透青くんの妹さんだもんね"

笑顔で言われた言葉。

"勝って当たり前だよね。あの向日 透青の妹だし"

すれ違いざまに囁かれた言葉。

それが耳元でよみがえったような気がして、私は両手をぐっと握った。

「……今思えば、受け流せばよかったんです。……でも、それから"向日 透青の妹"って言葉が、やけに耳につくようになって……」

最初は兄みたいに泳ぐことを求められてるようで、私は兄の真似をするようになった。

フォームを覚えようとしたり、言葉遣いを男の子みたいに変えてみたり。
兄みたいにタイムをもっと上げようと、もがくように泳いだ。

いつしか、どんな応援も重石に変わっていた。
どんなに努力をしても、血のつながりだけでそれらを否定されているようだった。

兄と私は違う。
兄みたいにはなれない。
そのことに気づくのが、遅すぎた。

「『皆の気持ちに応えなきゃ、兄みたいに泳がなきゃ』って気持ちが、根を張ってきて……。
……気づいたら、泳げなくなってました」

ある日突然。
SCで泳ごうとしたら、自分がどう泳いでいたか分からなくなった。
頭が真っ白になって、混乱して、私はプールの底に沈んでいた。

「お兄さんとは、大丈夫?」
「兄とはちゃんと話し合ったから、今はもう問題ないです。……兄は悪くないんです。……私自身の、問題だから……」

うつむいたとき、ぽん、と頭に温かなものがふれた。
そのままふわふわとなでられる。

「あまり抱え込むと、だめになるぞ。……話してくれてありがとう」

穏やかな声と優しい手つきに、思わず視界がゆがんだ。
顔を上げられず、私はかすれた声で続けた。

「……私は、泳げる皆が羨ましい。
だから、自分勝手な気持ちなのは分かってるけど、悩んでいる皆は見たくないんです。
自由に泳いでいてほしいんです。
……でも、私に何ができるか、どうすればいいのか、分かりません」

尚先輩は、ただ黙って聞いてくれた。
それがよけいに胸を詰まらせて、私は涙をこぼした。
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