第二弾

□幸せの定義
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どうやら髪も乾かさずに寝てしまったらしい。記憶ではベッドにも行かずソファーにいたはずだからきっと彼が運んでくれたのだろう。
妙な方向に跳ねた髪が冷たい。
起き上がって隣を見ると同じように行き倒れたとしか思えないような格好をした彼がいた。

「秀一、風邪引くよ…」

布団も被らないで熟睡中。
バサリ、と被っていた布団をかけてやるとモゾモゾ動くから目が覚めたかな、と身構えてみるけれどただの寝返りらしい。
よく寝てる。
ここ最近ちゃんと休んでいたのか少し心配ではあったから、喜ばしいことである。
それにしても、いつここに来たのだろう。覚えがない。
ベッド下の床近くに放った上着を着ながらキッチンに向かう。
シンクには作って冷蔵庫に入れておいた料理が綺麗になくなったお皿が置いてあった。
食べたんだ。あれ、一昨日のやつなんだけどな。悪くなってなかったのかしらん。なんて思いながら冷蔵庫からお茶をだして飲んだ。

「…愛弓」
「秀一、起きたの」

気配も感じさせずに背後に忍び寄るスキルは毎度の事ながら驚かされる。
音もなく背後に寄っては気づいていない私をからかって遊ぶのだ。

「おかえりなさい。今日は非番でしょ、もう少し休んだら?」

冷たい水が通り抜けていく感覚がわかる。背後にいる彼の腕が伸びてきて半分ほど中身が残った手元のグラスを取られて空いた手で冷蔵庫と彼の間に追い詰められる。
顔を見る間もなく気付いた時には唇が触れていてあわてて目を閉じた。
私の慌てっぷりに喉で笑う彼の服を掴むと後ろ手に調理台にグラスをおいたらしい。両手で腰を抱えられて彼に密着する。

「…っ、しゅう」
「悪かった、約束を破って…」
「約束?……あぁ、一昨日の」
「その様子だと忘れてたか?」
「あー私も寝てて…来なくて正解だったかも」

彼の唇がまた触れる。
彼が私の料理を食べたいと言ったのは一昨日だ。
実際、料理を作って待っていたのは確かだけど私は待っている間に寝てしまった。
やってしまった!と飛び起きてみても彼がいないことに気づいてホッとしたやらさみしいやらで携帯に入ったメールにもなんだか後ろめたくて返信していなかった。
彼の服を握る私の指をほどいて自分のそれと絡ませる仕草がいとおしい。

「おあいこってことでいいんじゃない?」
「お前がそれでいいならこっちは願ってもないが…」
「怒ってると思った?」

額を彼の肩に強く押し付けると微かに煙草のにおいがした。
薄いシャツ越しの体温はあたたかくてここ数日間感じることのなかった安心感を覚えた。
世界でたった一人が持つ、私だけを幸せにする場所。
彼の広い腕に囲まれて息もつけないくらいに強く抱き締められるのを望んでいる私がいることは嬉しいような少し恥ずかしいような。
見上げる顔はいつも通り表情は読み取れないのに瞳だけは仄かに熱を持っている。

「あぁ…。怒っているからメールに返信してこないんだと思って焦ったさ…」
「…それはむしろごめん」

目を閉じて顔を上に向かせる。
キスをねだるときはどうしてたっけ、なんて思いながら彼の唇を待つ。
最初は鼻先。眉間、おでこ、こめかみに頬っぺた。耳たぶを軽く噛まれてくすぐったくて笑うと指をほどかれて首の後ろを擽られる。
ぞわぞわと背中を這い上がる微かな感覚に微かに息が上がる。

「もしかしたらまたお前の機嫌を損ねてしまうかもしれないな…」
「え?」

やっと聞こえるような声で耳元に囁かれる。
私を食べ物か何かのように柔く噛みついては舌を這わす彼の仕草に足が震える。
くすぐったいのか気持ち良いのかわからない。曖昧な感覚だ。

「このままベッドに逆戻りしたいものだ…」

パジャマ代わりに着ている襟元が緩いTシャツの中にまで滑り込んだ指先が背中を擽る。空いた手は妙に跳ねた髪を撫でていた。
このあとの予定を大真面目に考えて伺っているだろう彼とシーツに溺れるのもわるくないだろう。
久しぶりに二人重なった休みくらい。

「…っ、たまにはそれもいいんじゃない?」

驚いたように微かに見開かれた彼の目を見ながらやっとたどり着いた彼の唇を割るように舌を押し入れた。
やっぱり喉で笑う彼の声がいとおしくて。
私の息が続くまで繰り返したら、少し強引に腕を引かれた。向かう先はただひとつ。
起床にはまだまだ時間がかかるようだ。

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