第四弾

□その瞳で貫いて
1ページ/1ページ

ついこの間、世界規模で活動していた犯罪組織を壊滅させた。
それによって協力関係にあった世界各国の情報機関とは今まで通り白紙の関係に戻り、集められた選りすぐりの精鋭たちも1人、また1人と静かに姿を消していった。
その事に対して少しだけ寂しさを感じながらも、私は先の件についての報告書と同僚の始末書に追われていた。

「ていうか、なんで私がアンタの後始末をしなくちゃいけないの?」

この数日ですっかり見慣れてしまった目の前に座る男こと降谷零に向かってワザとらしいため息を吐いてみれば、返されたのは満面の笑顔のみ。
その整った顔をボコボコにしてやりたいと、この短期間で何度思っただろうか。

「イライラしてると身体に悪いぞ」
「―ったく、誰のせいだと思ってるのよ」

そう、私が今書いている始末書は私自身の分ではなく、向かいのデスクに座る降谷の分。
この男は派手にやらかしたカーチェイスによる被害報告だとか、暴れまくった損害報告だとか、そういった面倒な事を全部私に押し付けてきやがったのだ。
そして当の本人は始末書を書くポーズをしながら次の仕事内容をまとめているのだから余計にタチが悪い。
私は各方面に送る文面を考えるのが手一杯で他のやるべき事も充分に出来ていないのに。
ああ、やってられない。

「全部片付いたら高級ディナーでも奢ってもらわなくちゃ」

書き上げた書類を保存して、印刷ボタンを押した。
プリンタがデータを受信して印刷をしている間に、私はデスクに広げていた書類を軽く整える。
特に重要書類はないからファイルに入れて引き出しの中に片付けておけばいいだろうと考えながら、パソコンもシャットダウンさせる。
すると、ちょうど印刷も終了したらしく、はやく紙を受け取れと言わんばかりにブザー音が鳴り出した。

「もう終わったのか?」

プリンタから出てきた書類を手に取り、束ねてホッチキスで留める私に降谷がそう声を掛けてきた。

「バカね、そんなわけないでしょ」

そもそも、私がこの短期間で終わらせられるような報告書の量なら、降谷はその半分の時間と労力で完成させるだろう。
降谷がそれをしないのは、単純に報告書に時間を割くのが惜しいからだろう。
自分なら同じ時間と労力でもっと別の案件を処理出来る、と。
全く、これだからエリートは嫌になる。

「午後はオフなの。とりあえずはこれだけ、渡しておくけど……」

そう言って、完成させた書類を降谷に差し出した。
頼まれた報告書の全てではないけれど、緊急性の高い物からやっていたからとりあえず今日の分はこれで大丈夫だろう。

「ちゃんと中身に目を通してよ?何か聞かれた時にトンチンカンな事答えて、私にまでとばっちりがきたら嫌だもの」
「助かるよ。ありがとう」

珍しく素直にお礼を言った降谷に、私は驚きのあまり、触っていたスマホを落としそうになってしまった。
あの自信過剰でプライドの高い降谷が私に感謝の言葉を述べるなんて。

「なんか今、失礼な事考えてないか?」
「いや別に?」

降谷にはそう返し、何事もなかったかのように再びスマホに目を向けると、

「あ、」

あの人から連絡が入っていた。
どうやらもう待ち合わせ場所にいるらしい。

「じゃあ私は帰るね」
「ああ、お疲れ」

早く帰れとでも言わんばかりに手をヒラヒラと振る降谷に私も手を振り返して、自分のデスクを後にした。
さあ急がなくちゃ。
今日は最初で最後のあの人との約束の日なのだから。




****




車を走らせる事1時間強。
待ち合わせ場所である羽田空港に到着した、のはいいけれど、この広い場所でどう合流したらいいのだろう。
電話を掛けてみるべきか、いやでも突然電話をするなんて迷惑じゃないか。
スマホを片手にぐるぐると考えていた私の耳に届いたのは、

「こっちだ愛弓」

そんな素敵な低音ボイス。
声のする方を向いてみれば、待ち合わせの相手が左手を挙げていた。

「赤井さん!」

急いで駆け寄って遅くなった謝罪をすれば、赤井さんは上げていた左手をポンと私の頭に置いて、

「お前が思うほど待ってはいない」

と、そう言った。
だけど私は、すぐにその言葉が嘘だと分かった。
私に連絡をした時よりもずっと早くにここに来て荷物を預けて、この空港内をウロウロしながら私の事を待っていてくれたのだろう。
その証拠に、赤井さんはキャリーケースやボストンバッグといった類の荷物を何も持っていない。
それなのに赤井さんは待った素振りを微塵も見せずに微笑みを浮かべるだけ。
その素敵な心遣いを無下にするわけにもいかなくて、悔しいけれど私はもうこれ以上追求する事が出来なくなった。
多分赤井さんは、私がそう考えている事もお見通しなんだろうけど。

「……ありがとうございます」
「礼を言うのは俺の方だ」
「え?」
「言ってくれただろう?見送りがしたいと」

昨日付けで日本での捜査権を失った各国の捜査官たちは、文字通り日本にいる理由がなくなった。
FBIの赤井さんもそれは例外ではなく、早々とアメリカに帰ろうとしていた。
そんな赤井さんに勇気を振り絞って声を掛けて、無理を言って飛行機の時間をズラしてもらい、そうしてこの場所で赤井さんをお見送りする権利を得たわけなのだ。

「……社交辞令じゃなかったんですね、あれ」
「ああ。愛弓にそう言われて嬉しかった気持ちに嘘偽りはない。だから感謝こそすれ、迷惑だなんて思わないさ」

赤井さんは私の心をも見透かしたかのようにそう言って、また微笑んでくれた。
それがどうしようもなく嬉しくて、そして同時に悲しくて。

「……寂しいです」

気付けば、そんな言葉を口にしていた。
毎日のように顔を合わせていた赤井さんとは、もしかしたらもう二度と会う事はないのかもしれない。
その事実が私をほんの少しだけ素直にさせた。

「赤井さんとの時間はとても有意義でしたから、お別れするのが本当に残念です」

本心を告げるのは照れくさいけれど、言わないで後悔するよりもよっぽどマシ。
そう思ったら、意外とするする言葉になった。
これで最後だと意識してしまえば、案外怖い物なんてないのかもしれない。

「……ああ、俺も同じだ」

私の言葉を黙って聞いていた赤井さんは、ふと沈黙を破ってそんな事を口にした。
驚いて赤井さんを注視すると、その目は伏せられていて、どことなく哀愁を帯びている。
それがなんだか無性に愛おしく感じた私は、

「一緒にいる間に少しだけ……本当に少しだけですけど、貴方の事が好きになりました」

胸に秘めて封じたはずの気持ちを言葉にしてしまった。
誰にも言わないで自分の中だけで昇華しようと思っていた、本人にはもちろん友人にさえも告げるつもりのなかった、そんな想いを。

「……なーんて、冗談ですよ冗談。そんな事、あるわけないじゃないですか!赤井さんだって、こんな感情はバカらしいって、そう思うでしょう?」

赤井さんとの無言を居心地が悪いと思った事はなかったけれど、告白まがいのような事をしてしまった後の空間はやはり気まずくて。
最後とはいえ、心に引っ掛かりを感じたままさよならをするのが怖くて。
私は全てを嘘だと言って、そんな風に誤魔化そうとした。
だけど赤井さんは、

「……本当に、」
「えっ?」
「本当に少しだけなのか?」

私の言葉を嘘としては受け取ってくれなかった。
作り笑いをする私とは対照的に、真剣な表情を作ってスッと目を細め、まっすぐに私を見つめてくる。

「赤井、さん」
「俺は愛弓の事を少なからず好意的に想っているが、お前は本当に、少しだけしか俺の事を想ってくれていないのか?」

声色に切なさを乗せてそう言い、視線は相も変わらず私に注ぎ続ける。
その美しい眼差しから目を逸らせなくて、

「……いいえ。すっごく好き、です」

私はそう正直に気持ちを答えるしかなかった。




『その瞳で貫いて』

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ