第四弾

□最期に想うのは
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お風呂上がり。
バスローブ姿で冷蔵庫を開けて、金色の缶ビールを手にとって飲んでいたら、唐突に恋人がやってきた。


「急に時間ができたんだ」


私の恋人──赤井さんは、そう言って微笑んだ。
いつもどおりの黒い服、浅黒い肌、くせのある髪に、美しい色の瞳の彼。
一か月ぶりに見る彼は、一か月前とどこもかわらず、素敵な彼のままだった。


「雨に降られなかった?」
「いや、まだ降っていないな。どのみち車だったから関係ないが」
「そう。それならよかった」


私たちは玄関で軽くキスをして、それから一緒にビールを飲むためにリビングに向かう。


簡単なおつまみとよく冷えたビール。
私がそれらを用意している間、赤井さんは帽子とジャケットを脱いで、ソファに腰掛けて待っていた。


「やっぱりビールは一口目が一番おいしい。ね」


喉をごくりと動かしてビールを飲む彼を見つめながら、私はうらやましさを感じてしまう。
私の一口目は、ついさっき終わってしまったから。


「ビールに限らず、何でもそうだろ。煙草も一口目が一番うまい」
「そうかなぁ。味わえば味わうほどおいしくなるものも、あると思うけど」
「たとえば?」
「たとえば…」


たとえば、恋。
振り返ってみれば初恋から始まるいくつかの未熟な恋は、酸っぱいばかりで。
だけど今、私たちの恋は、甘く、甘く、ひたすら甘い。
それは成熟した大人の特権だ。


そんなふうに思ったことを答えたら、赤井さんはなんだかすまなそうな顔をしていた。


「どうしたの?」
「恋の相手が俺では、会えるのは月に1回か2回で、連絡もろくにできない」
「うん」
「甘やかしてくれる男なら、もっと他にたくさんいるだろう」
「ふふ。なぁに? それ」


私はこらえきれずに笑ってしまった。
甘やかしてもらえる恋と、甘い恋は、ぜんぜん別のものなのに。


「たくさん会えなくてもいいの。一緒にいるときは私に集中してくれれば、それで」


赤井さんは小さく微笑んだ。
それから私の身体を抱き寄せて、私の髪を指に絡ませながら、キスをしてくれた。
彼の舌も私の舌もおなじビールの味がして、ほろ苦くて──…


わかってもらえるかな。
私にとっての甘い恋って、こういうこと。
ふたりが自然にとけあって、まざりあって、同じ味になること。


「大好き…」


私は赤井さんの背中に腕を回して、ぎゅうと抱きついた。
白くやわやわとしている私とは何もかもが違っている。
男のひとの、かたい身体。


「もしも、ひとつだけお願いができるなら…」
「何だ」
「赤井さんの人生の一番最後の瞬間は、私にちょうだい。私だけに」


ふと思いついて、そう言った
赤井さんの目をしっかりと見つめながら、とても真剣に。


「なかなか会えないし、連絡も取れないし、きっとお仕事のほうが忙しくて私のことを構える時間はこの先もほとんどないかもしれないけど…」
「…耳が痛いな」
「えっと、今のは文句を言ってるんじゃなくて、そうじゃなくてね。ただ、何か特別な約束が欲しくて、それで──…」
「分かってる」


赤井さんが私の言葉を遮る。
なだめるように私の頬をなでて、それから私の耳元に唇を寄せて、ささやいた。


「最期のときには、他の何もかもを忘れてお前のことだけを想う。約束するよ」


信じられないくらいやさしい声だった。
私はそれを、うっとりしながら聞いていた。
少しだけ開いた窓から吹き込む六月の風には、ほんのりと雨の匂いがまじっている。


ああ、やっぱり、私たちの恋は甘い。


ビールもおつまみもまだ半分以上残っていたけれど、私たちはもうそれどころではなくなってしまって。
眠りにつくまでの時間のすべてを、お互いの身体を味わうためだけにつかって、そうしてぴったりとくっついたまま眠りについた。


とても満ち足りた夜だった。
まどろみの中で聞こえはじめた小さな雨音が、なんだかとても心地よかった。






==FIN==

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