第四弾

□いっそ狂えてしまえたら
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この世界で生きていくと覚悟を決めた時に、捨てたはずだったのに。


あの厄介な感情は、そうそう簡単に失くなるものではないようだ。





「明日は早いの?」



少し前まで共に寝ていた、キングサイズのベッドの横で身支度を整えるジンに、そう問うた。





「…あぁ。重要な取引になるだろう」



「…でも、消しちゃうんでしょう?」



「………」



ジンの沈黙を肯定と捉え、私は一人納得した。



聞いた話では、我々の組織には及ばないがそれなりの勢力を持った組織がいて、

我々とは所謂”親会社と子会社”の関係だった。



だけど最近、その”子会社”が不穏な動き…つまり、我々を裏切るつもりであるという事が、判明した。


というわけで、明日の取引が最後であり最期。


ひとまず取引に現れた人間を始末し、それからゆっくり子会社を潰してしまおうという手筈。



血も涙もない、裏切り者に待つのは死…ただそれだけ、という世界。


裏切り者だけではない。


弱き者も、たとえ強き者とて油断すればすぐにその命を危険に晒すことになる。


そんなこの世界で、余計な感情は無用だ。




「…ねぇ、私も行っていい?」



冷えてきたように感じられる室内で、シーツを体に巻き付けた私は訊いた。



「……少しは役に立つだろうな?」



「勿論」



「ヘマするんじゃねーぞ…」



明日は仕事もなく、ジンと共に行きたいとねだれば存外アッサリと、承諾を貰えた。



ありがとう、と礼をすれば

不意に近付いてきた唇。



なんの印だか、証だか、誓約だかは知らないが

私はそれを、当然のように受け入れた。


そして離れる唇が名残惜しく感じてしまうのは、きっと体が冷えてきたからだろう。







あぁ…確かにこういう仕事は、数が多い方が早く終わる。



血やら脳漿やらを撒き散らして絶命する数人の男を足元に見て、私は思った。


”最後の取引”は終わったのだ。



「行くぞ」



まるで興味もない、というように銀髪を靡かせ背を向けたジンに続く。


そうだ、本格的な掃除はこれからなのだ。

少し忙しくなるだろう……




そこまで私の思考が及んだ時、視界の端に動く影を見た。




「ジン、よけて……っ、!!」



頭よりも先に、身体が動いた。


冷静に考えれば、ジンほどの男ならこの状況も対処できるはずなのに。



私はジンを突き飛ばし、この身を銃口の前に晒していた。


考えることは同じ…物陰に潜んでいた取引相手の男が向ける、銃口の前に。




そして、男の胸が真っ赤に染まったのを確認した時

私の胸も、同じ色に染められている事に気が付いた。




「愛弓、」



私の名を呼ぶジンの声。


とっくに脚に力は入らないのに、アスファルトの地面に倒れることが無いのは


ジンの、たくましい腕に支えられているから。




「……何をやっている…?ヘマをするなと、言ったはずだ」



ごめんなさい。


そう言いたくても、私の口から発されるのは乾いた空気の音だけだ。


怒っているはずなのに、ジンの顔が切なげなのは、どうしてでしょう。


怒られているはずなのに、私の顔に笑みが浮かぶのは、どうしてでしょう。





この世界で命を落とすのは、裏切り者と弱い者だ。


そして、余計な感情を捨て去る事が出来なかった私は


間違いなく、弱い者だ。




「…愛弓、」



もう一度ジンが、私の名を呼んだ。

頬に添えられた大きな手は、驚くほどに熱かった。




あぁ、やはり私は究極に弱ってしまったらしい。


ジンの手を濡らすなにかを、抑えることも出来ないのだから。






いっそ狂ってしまえたら


(この泪すら気付けぬほどに)

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