第六弾作品

□黄昏に消える君
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「わたし、赤ってきらいなのよね」

 ざくり、と音が立つように、熟れた苺に差し込まれた4本の刃。送る冷めた視線は、害虫を見る際と大して変わらないであろう。粒々とした表面や突き立てた刃で抉れた表皮、滲み出る甘酸っぱい汁を眺め、嫌悪感で胸を満たす。
 そしてしばらく見つめた後、その真っ赤な実を向かい合って座る男へ向けた。
 
 目の前に差し出された小さな赤い果実に、ニット帽の男は虚を突かれる。しかしそれもほんの一瞬で、彼はすべてを受け入れるかのように、フォークに刺された苺をくわえ、味わうように咀嚼した。嚥下した後に紡がれる言葉はもうわかっている。
「苺が赤いのはアントシアニンといってーー」

 ああ、始まった。わたしはまたいつものように繰り返される小言を聞いているふりをする。先日はトマトを残すとそう言われ、その前はアセロラジュースだった。色が赤い理由から始まり、耳が痛い言葉をいくつも並べた後、ビタミンCが豊富だからきちんと食べろという決まり文句で締められる。
 わたしも大概だが、この男も懲りないなと思う。偏ったわたしの食生活が心配なのか、月に数回こうして食事に誘われる。日が高い時間から夕暮れまでの間だし、わたしへの扱いは小さい子どもに対するそれと変わらないため色気のあるエピソードは今まで何ひとつないけれど。

「おい、聞いているのか?」

 上の空でいれば、小言を終えた赤井秀一が形のいい眉を僅かに寄せ、訝しげにわたしの顔を覗き込んでくる。
 澄んだ緑色の瞳に、通った鼻筋、癖のある前髪。
 端正な顔がすぐ近くにあることに驚いて、手に持っていたフォークがカシャンと音を立て先ほど完食したケーキが乗っていたお皿の上に落ちてしまった。
 静かな店内に金属音が響き渡って恥ずかしい。ちらりとこちらを見る客が視界の隅に入る。

「どうしたんだ、具合でも悪いのか?」

 さらにわたしとの距離を詰めた男の瞳には、狼狽える自分が映っている。彼はより一層眉を寄せ、まっすぐな視線がわたしを捕らえて離さない。
 いっそ、笑い飛ばしてくれた方がよかった。そうしたらこの顔の火照りも誤魔化せるのに。

「な、なんでもない!」

「何でもないわけないだろう。言ってみろ」

 こういう時の彼は、とても面倒だ。疑問をそのままにしておけない性格のようで、解決するまでしつこく追求してくるのだ。今だってこうしてわたしを追い詰めている。

「どうした、どこか痛むのか?」

 答えろ、とでも言うかのようなまっすぐな視線に、息をするのも忘れそうになってしまう。あなたのせいで胸が苦しいです、なんて口が裂けても言えないに決まっている。

「最近ちょっと疲れてるだけ」

 精いっぱいの取り繕った回答をしながら窓の外の往来へと視線を注いだ。実際嘘ではない。連勤の上に残業続きだったし、と心の中で自分に向かって言い訳をする。

 射抜くようにわたしを見つめる彼をどうにか視界の隅へと追いやっていると、澄みきった青空が目に入った。ちらりと時計に目をやると、もう少しで茜色へと変わる時間帯。

 赤はきらいだ。
 争いで流れる血の色だから。闘争心を掻き立てる色だから。
 目の前の男の名前だから。

真紅も緋色も朱色も、全部全部大きらいだ。


「口を開けろ」

 突然降ってきた声に驚き、ニット帽の彼の方を向けば、目の前に差し出されている真っ赤な果実と視線がぶつかる。半分に切られ、丸っとしたあの特徴的なかたちを失ってはいるが、それは先ほど彼に始末をさせた苺だった。

 何度もお茶をしているが、いつもコーヒーくらいしか頼まないこの人が苺を持っていることが理解できず、テーブルに目をやってみると先ほどまではなかったはずのパフェが目の前にあるではないか。しかも苺たっぷりのストロベリーパフェ。

「これ、どうしたの⋯⋯?」

 恐る恐る尋ねれば、さっさと食えといわんばかりに目の前のパフェスプーンを少し上下させ、先端の果実の存在をアピールしてくる赤井秀一。やっぱり理解できない。甘いものなんて好きじゃないはずなのに。

「疲れには糖分がいいと言うだろう。それに女性は限定に弱いとも」

 ちらり、と窓際のメニュー立てに目配せをした彼を見て、期間限定と大きく書かれた苺パフェに気づく。
 窓の外を眺めていたのを勘違いしたのか、わたしに苺を食べさせたかったのかはわからない。けれど彼が店員を呼び止め、こんなパフェを頼んだのだと想像するとなんだか笑えてしまう。

「ふふふ」

「何がおかしい」

「だって、似合わないもの」

「似合いたくもないがな」

 その言葉を最後に、目の前で止まっていた熟れた苺がわたしの口に強引にねじ込まれる。

「ちょっーー! 何するのよ!」

「まだこんなにあるんだ。二人で食べないと減らないぞ」

 これでもかというほど苺の盛られたデザートは、確実に写真と違う。写真より少ないということはよくあるだろうが、バニラアイスより果実の方が割合を占めるパフェなんてどうかしている。
 パフェの存在感に気を取られてばかりいたが、わたしに苺を向けてきた先ほどの行動も彼らしくない。口の中にある甘酸っぱい果実を咀嚼しながら、その情景を思い出してしまい心臓が早鐘を打つ。彼に食べさせた時は何も感じなかったというのに。

「オーダーを取ってくれた子に苺が好きだと零したんだが、困ったことになってしまった」

「す、好きでもないくせにそんなこと言うからでしょ」

「誰かさんのためを思って言ったんだがな」

 声をかけられた女性店員が頬を赤らめる姿と、サービスですと添えてパフェを提供する姿が容易に想像できる。困ったと言ってはいるものの、全然そのようには見えないし、むしろ楽しそうなのが少し腹立たしい。しかし何よりも腹が立つのは彼を意識している自分だ。わたしのためと言われたパフェを見ると顔がより熱くなる。オーダーを取った店員といい勝負になるかもしれない。
 そんなわたしの気持ちなどつゆ知らず、目の前の男は一度わたしの口内にねじ込んだそのスプーンで自分の口に苺を運びこう言った。

「スプーンがひとつしかもらえなくてな。悪いが一緒に食べてくれないか?」







 青かった空が茜色に包まれる。いつもと同じ、お別れの時間。
 あれから彼と苺を交互に食べ、喫茶店を後にした。終始食べさせられている様子をちらちらと見てくる他の客たちに少し羞恥を覚えたが、自分で食べると言っても赤井秀一はそれを許さずわたしに自らの手で与え続けた。店員だってスプーンが足りないことに気づいているはずなのに、近くを通ることさえしてくれなかった。近寄りがたいお熱いカップルと思われたに違いない。

「送って行こう」

 彼がそう言ってくれるのは常だが、わたしが同じ言葉で断るのもまた常。

「いいよ、わたし赤ってきらいなの」

 彼の愛車は赤い。わたしのきらいな、赤色だ。

「またそれか。俺も同じW赤Wだろう?」

 どきりとする。自分の名を指してそう問う彼の視線がわたしを射抜く。
 そして意地悪そうに笑った。

「きらいな赤だが、毎回俺の誘いには乗ってくれるんだな」

「だ、だったら何よ⋯⋯」

 食事に誘われるとなんだかんだついて行ってしまうわたしは返す言葉が見つからず、視線を泳がせれば、ぽんと頭に大きな手が乗せられた。

「できればW赤Wを好きになってもらいたいんだがな」

 耳元でそう囁き、彼はわたしの帰る道とは反対側に消えていく。理解が追いつかず、どういう意味か聞けなかった。

 だけどやっぱり赤はきらいだ。当分好きになれそうもない。わたしはまだ茜色を残した空を見上げながら、いつもそう思う。

 赤はわたしを乱すあなたの名前だから。
 赤は黄昏の色だから。
 あなたがいなくなる時間だから。
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