Pistol

□その喜劇の終焉
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軽やかな音を立ててカップに注がれる鮮やかな色合いのアッサムティー。蒸す時間は少し短めのまろやかなソレに角砂糖は一つミルクはなし(サッと溶ける砂糖のように俺も消えてしまえたらいいのに)



「、はい」

『あ、りがとうございます』



紅茶を渡され手にしていた本をパタンと閉じた(いつのまにか読むのを止めていた)「ゲーテ格言集」。昨日貰ったばかりで読んだ事など無いはずなのに、愛用している栞が半分より後ろに挟まってた(何で?)砂糖、入れてくれたかな(一口も飲む前に入れるのは失礼だよね)静かに立ち上る銀の湯気が憎らしい。あたしは猫舌なのに。軽く息を吐いて口に含んだアッサムティーは驚く程美味しかった。砂糖は多分一個だし、あたしの苦手な渋みもない、なんて(そんなばかな)どうしてこんなにあたしの味覚にジャストフィットするの(何で何で何で)

何でこんなに、あなたはあたしを知ってるの?(それは、絶対に聞いちゃいけない事なのだと、どこかで知っていた)



『おいし、』

「良かった」

『あの、りょーたさん』



静かに口を開き、滑らかに話し出すアカネ。母親の話に移り、終盤を迎えた途端寂しさを感じる。ああ、おしまいが近付いてる、と(それは確信)帰らなきゃならない、時間が、(シンデレラの魔法が解けるように)
広い部屋、何不自由ない生活、そして何重にもかけられた鍵。過保護な彼女の父と、そして――


さようならだ、籠の鳥(俺の愛しいカナリアよ)



『――だったんです。素敵だと思いませんか?』

「、とても。――アカネちゃん、」

『はい?』

「ごめんね、俺、そろそろ帰るよ」

『あ、』

「随分長居しちゃったなあ。本当ごめんね、」

『いえ、そんな!あの、時間がある時でいいんでまた来て下さいね』

「嬉しいよ、ありがとう。明日早速来てもいいかな」



またね、そう囁いて頬にキスを落とした「りょーた」さんは、振り返ることもなく去っていった。遠のく背中に、一瞬チリリと焼け付く痛みを感じた(ああ、またこの広い部屋に独りきり)さみしいよ、もっといて、

それなのに何故でしょう、りょーたさんの方があたしよりずっと寂しそうに見えたのは(大きくて小さな背中)



ガチャンと無機質な音を立てて閉まった部屋のドアのこちら側でぐっと唇を咬んだ。生臭い鉄の味が口中に広がる(俺は、生きてる)目頭を熱くする何かを深く息を吸い込む事で堪え、喚きたくなる衝動を手のひらを爪が食い込む程握りしめる事で耐えた。日増しに強くなるこの焦燥感を俺は一体何処にやればいいんだろうか!(誰でも構わないんだ、だから誰か、)
それでも俺は振り向けないんだ(振り向いたら全て壊れてしまうだろう)


翌日、俺は再びあの扉の前にいた。このドアを開ければ彼女がそこにいるんだ(それは当然のようでそうじゃない事)
勢いよく扉を開けば、(溢れ出そうな涙を)

昨日と全く同じ情景がそこにはあった。白く揺らぐカーテンもアカネの驚いたような顔もその手のゲーテ格言集もお気に入りの服も差し込む太陽の光さえも(彼女の、青ざめた警戒も)



「こんにちは、アカネさん」

『誰、ですかあなた、』

「ああ、初めまして、俺は――」



彼女の記憶は寝れば全て飛んでしまう。アカネは永遠に19の侭だ。1日も、一時間も一秒も刻まれない。
幾度となくアカネをひいた運転手を殺してやりたいと思った。実行しなかったのはアカネが悲しむだろうと知っていたから、それだけで(もしそうじゃなかったらそいつを殺す事に躊躇いなど微塵もない、)そうじゃなければどうして、(俺と過ごした5年間の彼女の記憶と蓄積能力を奪った男を赦せるだろうか)


緩やかに狂気のネジが巻かれていく。壊れているのは、或いは俺かもしれない(いずれにせよ何かが狂っている)今の願いは唯、俺を認識して欲しいという事だけなんだ。昔のように笑ってくれなくてもいいんだ(会う度に忘れられる虚しさに胸が引き裂かれる思いを何度も味わったから)忘れないで欲しいんだただそれだけ(無茶な願いと人は笑うかもしれないが)殺さないでキミの中の俺を、俺の中のキミを(何回彼女の中から俺は居なくなったのか)
それでも俺は今日もアカネに会いに行くんだ、日の終わりにする「また明日」という約束を果たす為に(さあ愛しいカナリア、今日も狂気を奏でておくれ)



その劇の終演
(キミは俺を知らない)




だからきっと、俺はいつかキミを殺すのでしょう
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