アルスラーン戦記

□お迎え
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「さよなら、センセー」
「さようなら、また明日」

日の沈み始めた夕方は、ある意味一日の中で一番忙しい時間帯かもしれない。
母親の迎えがどっと増え、自分の迎えはまだかまだかと今までよりも更に落ち着きのなくなる保育園児たちに目を配りながら、母親に手を引かれていく子供たちには手を振り返して帰りを見送る。

垂れ気味の目元を緩め穏やかな微笑を浮かべ、また一人迎えの来た子供を送り出して保父"サーム"は少し肩の力を抜いた。
少しずつ静かになっていく園内は何処か寂しい、しかし無事母親に引き取られ満面の笑顔を見せる子供たちを見るとサーム自身も嬉しく思いそしてほっと安堵した。

「‥せんせー」
「ん?どうしたんだい、ザンデ」

入り口の方に目を向けていると不意に下から引っ張られた感じがし下を見れば、一人の園児が40代の男にはなかなか不似合いな黄色のエプロンを握って見上げていた。
"ザンデ"、5歳になった小さな園児の視線に合わせ片膝をつき緩く首を傾げ優しく訊ねるとザンデは子供らしいまん丸の目でサームを見る。

「母上、まだ来ない?」

ザンデの母親は花屋を営んでおり、ザンデを迎えにくるのは母親の役目だった。確かに今日は普段よりも迎えが遅い気がする。
ザンデの言葉はサーム自身に一瞬仕事を忘れさせた。赤茶の髪をした青年を思い出しザンデではないが待ち遠しさに駆られた。

しかし仕事中に考えることではない。

「うーん‥まだみたいだな。でも大丈夫、遅くなるって連絡もないからきっともう直ぐ来てくれるよ。だからみんなといい子で待ってようね」
「はーい」
「ザンデ」

心配させないためにそっと頭を撫でてやり優しく諭していたとき、背後でドアが開く音とともに保育園では耳慣れない男の声が響く。
だが今し方思い出した声と一致する。
声の主にザンデの表情が一気に晴れサームの横を通り駆けだし勢いよく飛び付いた。

「ちちうえっ!」
「カーラーン…。何故、お前が…珍しいな?」
「嗚呼、妻が忙しいようでな…私もちょうど今日は早く上がれた為、迎えに来たわけだ」

ザンデのことを受け止めつつ自分に気が付き微笑んで近付いて来てくれるサームの手を取ったザンデの父親、"カーラーン"はそのまま些か近いと言える距離までサームに近付き嬉しそうに笑みを浮かべる。
そんな間近で笑い掛けられ目を覗き込まれると年甲斐もなく胸を高鳴らせ思わず視線を泳がせてしまう。

まったくこやつは…。

「そうだったのか。それはご苦労様と言うべきかな?嗚呼、ザンデ。暗くなった夜道は危ないから父さんと一緒だとしても気を付けて。……カーラーン、近い。」

他の園児や保育士の前でもあるため次の言葉では出来るだけ平静を装うことに努め、やんわりと掴まれていた手を解きに掛かりながら距離をとり際小さく呟く。
カーラーンはといえば解かれた手にザンデに気付かれない程度に少し不満げに眉をひそめるもギリギリ聞き取るとこが出来たサームの言葉に口元に小さく笑みを浮かべた。

こうゆうところも可愛らしい。

カーラーンは周りには特に気にも留めず一度広がった距離をまた距縮めると耳打ちすべく唇を近付ける。

「普段はここでしか会えないのだから良いではないか…それに此処には園児たちしか居らん…なんて。」

実際そう言う問題ではないのだが。
まったく人の目を気にしていない様子のカーラーンにサームもとうとう何も返せずうっすらと頬を染めた。
少しは対応に困るのも当然と思ってもらいたい。
自身とてまさか…園児の父親と恋仲になるとなど、考えもしていなかったのだから。

「気にするに決まっておろう、職場なんだから」
「ふふっ、もし此処をクビになったら養ってやるから安心しろ」

吐息が掛かる耳を押さえ軽く睨めばニマニマと笑って此方を見ているカーラーンと目が合う。

その時、下の方から退屈そうな声がそんな二人の間に入ってきた。

「ちちうえ?先生と何話してるのですか?早く帰りましょ、お腹空きました」
「ん?あぁ、すまない。母さんも待っていることだ帰ろう」

せがむ愛息子の姿に仕方なく恋人に絡むのを諦めると離れ際さりげなく少し垂れ気味の相手の目元に口付けてから完全に離れ息子の小さな手を握った。
父の行動に気付かないザンデは手を繋ぎ機嫌を良くするとニッコリと笑み子供らしく大きな動きでく手を振ってみせる。

「先生さようなら!」
「ぁっああ、さようなら。車に気を付けて」
「……それじゃ、また後で」

別れを名残惜しんでいる隙もなくカーラーンのまさかの行動に目を見開き声を上げそうになるも場所を考えとっさに自身を抑え、ザンデの笑顔に少しぎこちない微笑み返し背を向けて歩き始める親子に手を振った。
だが、最後に言い残される不可解なカーラーンの言葉には緩く首を傾げることになる。
今夜はもう来る必要などないだろうに。

不思議げに自身を見ているサームの視線に気が付くと、カーラーンはクスリと笑みを浮かべひらりと軽く手を振り返した。

「もう一人迎えに来ないと泣いてしまう子がいるからな」

いい子にしてろよ?、と最後は口に出さず唇だけを動かすカーラーンを見やりサームはクスッと思わず小さく声零し笑ってしまう。

「じゃあ、早く迎えに来てくれよ」
「任せておけ」

泣かないがな、と保護者面をした恋人を真似て無音で唇を動かせばまた笑みを浮かべ、何故笑っているのか分からないザンデの訊ねる声が聞こえてくる。

あぁ、お迎えがこんなに待ち遠しいものだったなんて。
子供のころにも感じていただろうか、遠い頃の気持ちをまた胸に感じながらサームは再び部屋の中ではしゃぎ回る子供たちのほうを振り返る。

「さて……ほらみんな、お母さんたちが来るまで"先生と"いい子にしてようね」


はーい、とゆう元気いっぱいな声が園内に響いた。

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