兼平ちゃん短編集

□発熱 後編
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平助はなんとか兼重のいる部屋の前まで辿り着いた。


小さく細い花瓶に一輪だけ生けられた花が歩く度に揺れる。


水を溢さないように、また誰かに見つからないようにここまで来るのは、想像以上に気を使う。


平助はなお周りを警戒しながら、襖の前で、声を潜めて尋ねた。



「…兼重、入ってもいいか?」



………。


中から返事がない。



「…兼重?開けるぞ」



寝ているのかと思い、平助はそっと襖を開けた。


行灯の明かりは消され、真っ暗な部屋の真ん中に布団が敷かれている。


兼重は苦しそうに短い呼吸を繰り返しながら眠っていた。


当然、平助が入っても起きる気配はない。


平助は布団の隣に腰を下ろし、花瓶は枕元に置いた。


平助は寂しそうな目で荒い呼吸で眠る兼重を見つめた。


その表情からは、いつも笑っている兼重の面影もなかった。


兼重がこんなに苦しんでいるのは自分のせいだと、平助は己を責めていた。


そもそも自分が風邪など引かなければと思うと、平助は何となく責任を感じていたのだ。


自分の代わりに兼重が風邪を引いたように感じて、平助は胸が締め付けられるのが分かった。


ぬるくなった手拭いをどかし、側に用意されていた冷たい水の張った桶に浸ける。


手拭いが退けられた兼重の額に手を当てると、まだかなりの熱を持っていた。



「……………兼重、ごめんな」



誰にも聞こえないような小さな声で呟く。


額に乗せた手でそっと兼重の額にかかる髪を払い除け、そっと口付けを落とす。


ほんの一瞬だけ、触れるような口付けを──。


すると兼重はふっと目を開け、目の前にいる人物を捉えた。



「……平助…?」



「なっ…お、お前…起きてたのかよ…?!」



てっきり眠っていると思っていたので、平助は動揺した。



「ん…さっき目が覚めて」



鼻が詰まった微かな声で告げた。


すると兼重はまだ熱っぽい表情で少し笑って見せる。



「俺が勝手にしたことだから、平助のせいじゃないよ」



兼重は平助の言葉の意味を察したのだろう。


平助を心配させまいという思いが表情に出ていた。



(き、聞こえてた…!)



平助は途端に自分のしたことに恥ずかしさが込み上げてきて、その場を立ち去ろうと立ち上がった。



「あっ…待って」



兼重は力が入らない手で、平助の腕を掴んだ。


触れた手は熱かった。


平助は恐る恐る振り向きながら尋ねる。



「……何だよ」



平助を引き止めるために上半身を起こした兼重の頬が、熱のせいで赤いのが分かった。


寝間着の襟元や髪は乱れ、ぽーっとした表情でこちらを見上げる兼重の色っぽさに、平助は思わず視線を逸らした。


兼重は平助の腕を軽く引っ張り、こちらに来るように誘導しながら、



「もう少し…傍にいてほしい」



力なく俯き加減でそう言った。


風邪を移さないようにと最低限度の人しか出入りしない部屋で一人、静かに眠っているのは、弱っている今の兼重にとっては心細いのだろうか。


少し恥ずかしさがあるのか声は小さかったが、平助にははっきりと聞こえた。


食事や看病以外に誰も来ないのもあるが、兼重にとっては平助に会えないことが苦しかった。



「移しちゃうといけないけど…平助に居てほしい」



遠慮がちに、また平助に風邪を移すまいとするように、兼重はそっと手を離した。


離された手に平助は少し寂しさを感じた。


それを誤魔化すように、いつもの不機嫌そうな声で告げる。



「分かったから…早く横になって寝ろよ」


「うん……ごめんね」



布団を被りながら申し訳なさそうに笑う兼重を、平助は直視することができない。


隣に置いてある水に浸けた手拭いを固く絞り、もう一度兼重の額に乗せる。


ひんやりとした冷たさが心地よい。



「ありがとう平助」


「…………おう」



素っ気なく返事をした後、兼重は少し悲しそうな顔になる。



「どうしたんだよ」



平助は異変に気付いてすぐさま尋ねる。



「うん…いや……」



曖昧な返事しかしない兼重に、平助は先程よりも強めで尋ねる。



「だから、何なんだよ」


「……えと…」



兼重は少し言うのを躊躇い、呟くように言った。
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