兼平ちゃん短編集
□夏祭り
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「平助、ここにいたんだ」
井戸で水を汲み、稽古の汗を拭っていた背中に声を掛けるとその人物――藤堂平助は振り返る。
元服したというのにまだあどけなさが残る顔立ちは、後ろ姿からでも分かる小柄さを納得させた。
それでも新選組の八番組を束ねる組長なのだから、相当な腕の持ち主であった。
彼は翡翠色の瞳をそちらへ向け、露骨にめんどくさそうな顔をして答えた。
「なんだよ、兼重か」
兼重と呼ばれた人物は彼の幼馴染であり、恋人でもあった。
平助よりも4寸ほど背が高く、整った顔立ちをしている。
藍色の髪は高い位置で束ねられ、好奇心旺盛そうな目は平助とよく似ていた。
平助は兼重の姿を認めると、また背中を向け汗を拭い始めた。
しかし、そんな様子を気にもせず、にこにこしたまま兼重は彼の元へ来た目的を話し始めた。
「平助、今日は夏祭りがあるみたいだよ。行ってみない?」
「祭り?」
平助はその言葉に一瞬反応した。
祭りは大好きだったからだ。
「うん、東山の方でね。屋台もいっぱい出るって」
「あー・・・・・」
祭りが好きとはいえ、平助は少し返答に戸惑った。
兼重のことは好きだ。
だから恋人として一緒にいたい気持ちも、二人で出かけたい気持ちも当然あった。
でも平助は兼重に素直になれず、いつも冷たいように物を言ってしまう。
言われた兼重は兼重でそれを喜んでいるところがあるから、周りからは仲のいい恋人に見えるのだろう。
否、実際仲が上手くいってないことはない。
むしろお互いのことを誰よりも理解しあっているし、その辺の夫婦には負けないくらいには仲がいいと思っていた。
だから今回も一緒に行きたいと思ってはいたが二人だけで夏祭りに行く、ということが嬉しさよりも恥ずかしさの方が勝ってしまい、どうしても「いいよ」の一言さえ出てこなかった。
しかし、平助にはそれとは別に兼重と外に出歩きたくない理由があった。
「ねえ、ダメかなあ」
「・・・うっ」
いつまでも返事をしない平助に、兼重は首をかしげながら再度尋ねた。
平助はこういう無意識な兼重の仕草に弱かった。
たったこれだけの兼重の動きに、平助は心臓が破裂しそうなくらいドキドキする。
その事実も、相手が兼重というだけでなんだか悔しいし、イラついてしまう。
「行こうよ平助、ね?」
今度はねだるように上目で尋ねる。
平助はとうとう目を合わせられなくてそっぽを向いた。
「・・・平助、お願い」
「わ、分かったよ・・・しょうがねえなあ」
しょうがないなんて思ってないのに、ついつい口から出てしまう釣れない言葉に、平助はまたイライラを募らせた。
しかし兼重の表情は平助の返答を聞いたとたんぱっと明るくなった。
「ほんと!ありがとう平助!じゃあ準備してくるね!」
兼重は平助のそんな言葉を気にも留めず、満面の笑みで部屋へ戻って行った。
「・・・・・祭り、か」
平助は一人小さく呟き、また小さな不安を抱えたまま自らも出掛ける準備を始めた。