恋乱W
□京の任務とべっぴんの湯
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さて…と一拍置いてから顎に手を置き何か思案を巡らせる信玄さん
皆をぐるりと見回すと俺とばっちり目が合った
「俺が引き受けますよ、信玄さん」
「ああ、頼まれてくれるか才蔵」
「?才蔵さん?」
きょとんとした名無しさんに信玄さんはニヤリと口の端を上げて笑う
「まさか京まで女一人で行かせるわけにはいかねぇだろ。名無しさんの護衛として京への行き帰り才蔵に頼んだぞ」
「御意」
別に勘助様でもよろしいのでは?と言いかけた名無しさんの言葉を遮り
軽く一礼して準備をするため名無しさん
と広間を出ようとすると
俺達の様子を楽しむように信玄さんがずっとこちらを見つめていたー…
朝方
まだ日が昇るか昇らないかの刻に、城の者に見送られながら二人で出立する
名無しさんは大きく手を振りながら何度も振り返り
また手を振って見えなくなってから、ようやく前を向いて歩き出した
「ふう…」
「あんまり最初に体力使うとこの先辛いけど?」
「ふふっ。大丈夫です!こう見えて私、体力にだけは自信あるんですよ!」
「どーだか」
「あ、信じてないですね?自信があったから弟のフリをして武田に来たんですよ?」
「…そーいえばそんなこともあったね」
武田に来たばかりの頃の名無しさんを思い出しながら
そんな取り留めもない話を続ける
来たばかりの頃の彼女は、むしろそれで本当に隠し通せると思ったのかと疑うほど、どこからどう見ても女なのに
断りきれずに単純な幸村の稽古に付き合ったり
戦に連れていかれたり
それと…
「そーいえば来たばかりの頃、才蔵さんに殺すと脅されましたよね」
「…誰でも自分の縄張りに男のフリした女がいたら警戒するでしょ」
「まあ…それは…すみません。けどあの頃はほんっとに怖かったです!」
「へぇ…」
「それはもう!城内で才蔵さんを見かけたら逃げ出したくなるくらい!」
確かに…あの頃の名無しさんは俺の顔を見る度に目に恐怖の色が浮かんでいた
いつからか…大きな瞳にその色はなくなって
透き通る薄茶色の瞳が真っ直ぐ俺を捉えるようになった
けれど…
「…逃がさないけどね」
「ん?何か言いました?」
「別に」
むしろ捕らわれてしまったのは俺の方か…
諦めにも似た自嘲が零れるのを抑えて
軽く溜め息をつくと、京までの道のりを真っ直ぐ進むのだったー…
順調に進んでいるはずだった
名無しさんの歩調に合わせるのだから一人で行くよりも時間はかかると想定していたつもりだけれど
「才蔵さん、あの…その…」
もじもじと恥ずかしそうに身をよじる名無しさんにあえて気付かないふりをしながら、どうしたと言わんばかりに歩みを止める
「何?」
「えっと…その…」
「…どうしたのさ」
「…お花摘み…行ってきてもいいですか…?」
「……ぷっ…くく…」
「あっ…ちょ…もしかして気付いてたのにわざと…!?」
堪えきれずに笑い出すと、名無しさんは顔を真っ赤にして怒りだした
羞恥と怒りが入り交じった、その眼には少しだけ涙が浮かんでいる
「くくっ…行っといでよ」
「もう!ほんとに意地悪!」
「はいはい、早くしないとお漏らしするよ?」
「んなっ!?そんなことしません!いいですか!?ぜーーーったい耳塞いでて下さいよ!?」
「はいはい」
くるりと向きを変えて耳を塞いだフリをしながら、チラッと後ろを振り返ると茂みの奥へと消えていく彼女の姿が見えた
(別にあんな遠くに行かなくても聞こえやしないのに)
普通の人間ならば…の話だが
忍であることを警戒して、どんどん奥に入っていく名無しさん
それがまた可笑しくて、堪らなく愛おしくて
何とも言えない幸福感が胸を支配していくのを感じたー…
(あんな遠くまで行ってたのか…)
ガサガサと草を掻き分けながら、遠くでこちらへ向かってくる彼女の姿が見えた時
ハッと気付き駆け出した時には名無しさんの姿は消えていた
「きゃぁあああーーー!!!」
悲鳴と共にドンっという鈍い音
心臓が早鐘を鳴らす音がやけに頭に響くのを感じたー…
*