弱ペダ

□In the air
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星が降る夢をみた。
空に手を翳す隣に佇んだひとつの影は口元をそっと緩めた。
―ああ神様。
どうか、連れて行かないで。


「…え」
高校の先輩からはじめてもらった連絡の内容は想像すらしなかったことだった。
『今すぐ、病院まで来れるか』
返事も出来ずにただ携帯を握り締める向こうで焦れたような声がする。
『オイ真波…決めろ。こっちだって余裕じゃねンだよ』
「…はい…」
絞り出したやっとの返事を受け取ったらしく、電話口で軽い舌打ちがした後通話画面の文字が変わった。
今日の日付は、何月何日だっただろうか。
手元に現代の精密機器があるというのにわざわざ紙のカレンダーまで重い体を運ぶ。
4月1日ならいい。
世界中が嘘を吐く日。
そうであればいいと願った。
耳に張り付く煩い蝉の鳴き声を振り払って、指で辿る。
分かりきっていた結論が頭の中で反復した。
"8月8日"
見覚えのある数字。
誰かの笑い声が響く。
―真波!
鉛のような脚を引き摺って曖昧な記憶から引っ張り出した病院まで向かった。


「…荒北さん」
「遅ぇ」
不機嫌を露わにした表情を崩し綺麗な黒い髪に触れる。
いつもの様子からじゃ、信じられない程に優しい手付きで。
その顔してればモテるのに。
そんな場違いなことを思いながら一人俯く。
何も言わずに部屋を出ていく姿からでは感情など読み取れなかった。
まるで人形のように端正な顔を見て一縷の光が消えた感覚がした。
―もう二度と東堂さんの目が開くことはない。
その事実だけが心にすとん、と落ちてきた。
明日になれば、この場所からは居なくなるときいた。
だから会いに来いと。
痛い。
理由はわからない。
だけどどうしようもなく痛い。


「あ、東堂さん。今日俺の誕生日なんですよ」
「意外だな。お前は気にしないと思っていた」
「いつもは気にしないですけど…東堂さんに一個近付ける日だから」
「いつもそう後輩らしくいればいいものを」
「はは。すいません」
「…8月8日だ」
「え?」
「俺の誕生日は8月8日だ。それまでは一つ違いだな」
「っはい!」


「…東堂さん。また一つ遠くなっちゃったね」
もう知ってる。
東堂さんだけが同じ時間の中で永遠に留まり続けることを。
いつかは越してしまうことを。
「東堂さんが届かないとこにいっちゃったら意味ないじゃないですか」
たとえどれだけ速く頂上に辿り着いたって、空にいちばん近い場所まで走ったって。
そこに貴方が居ないというのなら。
俺の前で手を伸ばして余裕とでも言うみたいに笑みを浮かべる姿が貴方じゃないというのなら。
ならば一体どこまで追い続ければいいのか。
ねえ、教えて。
もう一度。
その指の示す先に光があると信じたくて。
でも、もうその指先は温度を失ってしまった。

「…っ嫌、だ」
殆ど嗚咽混じりに零れた声はそれでも届くことはない。
あのガラスケースの先に広がる数え切れない星の中のたった一つに。
「いかない、で」
触れたい、ききたい、見たい、逢いたい。
ただそれだけなのに。
きっと本当なら当然のことなのに。
それすら許してくれないのか。
神様、残酷だ。


―もうわかってるから。
どうか、幸せでいて。
 

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