ツキウタ。

□moon
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少し体が重たい、という感覚がしていた。
意味もなく漂っていく雲を眺めながら深いため息を吐いた。
白紙に規則的なラインが入ったノートの上で使い古したシャープペンシルを走らせる。
幼なじみの新と喧嘩らしい喧嘩をしたのはつい最近のことだった。
今思えば確実に自分が悪いとわかっているのに、あのときは兎に角新の瞳に映っていたくなかったというのが恐らくは正しいのだろう。
謝りたいのに謝れないのは、やっぱり突き放す形で逃げるように遠ざかった自分のせいだ。
「あー…」
正直、最近おかしいなと思っていた部分はあったのだ。
例えば少し寝不足だったりだとか、熱っぽかったりだとかしたとき、俺達はごく当たり前だとでも言うようにお互いの額に触れて体温を確かめていた。
でも近頃は、新に触れられると体が体調とは全く関係なく熱くなったり何だか心地良いのか恥ずかしいのかわからなくなって何も考えられなくなってしまう。
ちょっとでも新の指先が触れた途端、体が火照ってすぐにその手を振り払う。
ずっとそんな日々が続いていた矢先、遂に幼なじみ本人がそのことについて問い詰めてきた。
よくよく考えなくたって不審に思うのは当然で、そういう展開はいずれはやって来るのだということは理解していたはずだったのに。
「…葵」
明らかにいつもと違う低音の声が機能しない頭に響く。
「何?新」
「俺、最近お前に何かしたか?」
どくりと心の奥の奥が音を立てた気がした。
「何にも…してない」
「じゃあ避けてる理由教えろ。何で俺に隠し事をする?」
凍り付くような声に反射的に体が強張る。
「…ごめんね、新」
「葵、」
焦った表情で俺に手を伸ばす姿に胸が張り裂けそうなほど痛んだ。
嫌だなあ、俺が傷付く権利なんてどこにもないのに。
「嫌いになったとか、嫌になったなんてことは絶対ない。…それだけは信じて」
喉から絞り出して発したその言葉は、掠れていて自分でもきこえなくなってしまいそうで。
本当に、ごめんね。
それでもね、口が避けても言えないんだ、そんなこと。
どれだけ叱咤されても罵倒されてもこの汚い醜い感情だけは、新には見せられない。
…ずっと、新のいちばん近いところに居たいなんて。

本当は自分が新に軽蔑されて嫌われることを恐れてただけだった。
新の為だなんていうのは言い訳でしかない。
だけど事実、俺がそのことを言ってしまえば全てに支障が出てきてしまうのも、どこかにひびが入ってしまうのも容易に想像できる。
僅か0.5oのシャープペンシルの芯は、脆くて今にも壊れて崩れていってしまいそうな自身と同じように余りにも簡単に折れた。

「春さん、少し外に出てきます」
「わかったけど…気をつけてね」
新の顔を見ることでさえ億劫で特に理由もなく冷え切っている冬の公園に向かった。
白く吐く息がいつもよりも冷たく温度を失っていたような気がした。

「無理してるよねぇ…あれは。ね、始?」
「…そうだな。大丈夫か、あいつは」
「待った待った。大丈夫。…迎えにくるから」
「…」
「痛い痛い!怒んないでって」

もう随分と時間が経った気がするが、今時刻を確認する物を持っていないので確かめるのは不可能だ。
「…新」
か細く読んだ名前が届くはずもないのに、涙が滲んだ。
「す、き」
溢れた感情は、もうとまる術を知ろうともしなかった。
「…ぅ、っすき、すっ…き…あ、らた。」
だいすき。
千切れてしまいそうに零れ落ちたたくさんの言葉は、気付けば使い古されたブランコに滴り落ちていた。

「…お呼びしましたか、王子様」

二度ときけないとすら思っていたその優しい声は花びらのように降り注いだ。
「どんだけ探したと思ってんだ、バカ」
軽く息切れした様子を見せていた新がそっと微笑む。
その腕の中に抱き寄せられた瞬間、あったかいものが広がる。
「…ありがとう。ごめん、新」
「別にいい。…それより、さっきのもう一回」
「さっ、きの…って」
自覚した途端、堪えていた全ての気持ちが押し寄せた。
「新、それ…いつからきいてた?」
不安で濡れているかもしれない声は、まだ震えていた。
「葵、俺はお前が好きだ。恋愛感情で」
恋、愛感情?
「…嘘。だって、新が、そんなこと」
こんな俺を好きでいてくれるなんてこと、有り得ない。
「嘘じゃない」
「あ、らた」
「ちゃんと俺の目を見て言ってみろ」
新の綺麗な瞳を恐る恐る覗き込む。
―ずるいよ、新は。
「…す、き。新が、誰よりも、っ好き…!」
月の光に包まれるように新は妖艶に笑う。
―もう、適いっこない。
「…ん、あら、た」
唇に優しくキスが落とされる。
離れてしまうのが、何だか寂しい気がした。
「葵」
「何?」
「…ずっと隣に、居てもいいか?」
言い辛いのか顔を背ける新が心から愛おしいと感じた。
「…俺からも、お願いします」
綻んだ表情に微笑み返すと、また柔らかい月の光が照らしてくれた。
 

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