落乱

□泡沫に散るは。
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血と草と、それと、何だこれ…金属?のような匂いが混ざり合う。
嗅覚を閉ざして塞いでしまいたいほどに苦しい。
ああ、忍術学園に居たときに一等嫌いだった匂いだとまた長くなった髪を揺らしながら思った。
――もう、死ぬのかな。
そんなことを朦朧とする意識の中で考えれば、視界の端に懐かしい誰かの顔が映った。



「あ、起きた」
「…えー…と、はち、や、で、合って…る?」
「正解正解。さすがは勘右衛門」
まだ痛みは走るが、それでも先程よりは随分と緩和されていた。
「もしかして鉢屋が助けてくれたの?」
「応急処置だけしか出来なかったけど」
「…ありがとう」
そう言った途端、鉢屋は目を逸らす。
そういう素直じゃないところも変わらないなあと笑みを零すと、またうるさいと釘を刺された。
「ごめんごめん。それよりさ、有名だよね最近」
「何が」
「鉢屋と雷蔵が、だよ。顔が同じ名物コンビーってさ」
「憧れる?」
決めたような表情でそう言うものだから昔と同じやりとりの中で、今こうやって話している奇跡も敵同士なのだという事実も忘れてしまいそうになる。
「あはは、なにそれ。鉢屋は鉢屋だよ。…ね、お願いがあるんだけどいい?」
「?」
風が凪いだ瞬間、このときだけ時が止まったような気さえした。
結構ずるい言い方をしているかもしれないと思ったが、何か一つだけでもいいからその手に触れる理由が欲しかったのだ。
「もう一回、あの頃みたいに呼んで」
「…勘右衛門、」
それ以外の呼び方で呼んでたっけ、とその鮮やかな声が紡いだ。
知ってる癖になんて考える度奥底がまたじわりと滲む。
「俺さ、後悔してることがあるんだ」
「…あんまりそうは見えないな」
「そう?それって悩みなさそうってこと?」
「まあ…そうなる」
「実際当時はそういうこと思わなかったからいいけど」
笑いながら言うと、鉢屋は呆れたような顔を浮かべる。
「例えば、大事なこととかすぐに動かなきゃいけないときとかに自分がこうするべきなんだろうなって道を選んできたんだ。だけど、今思えば最善とかそうじゃないとかじゃなくてただ、こうしたい!と思う方に行けばよかった、ってときどき考えるんだ」
そう。いざ分かれ道に際してその筋の綺麗な背中を見つめながら、最後に思い浮かべたのはそんなことだった。
行かないでほしい、などと言えるはずもなく。
抱き続けていた想いならばいつか消える、忘れることができると思ったのに。
その見せかけの顔を見た途端、声をきいた途端、感情が溢れ出してしまいそうになったのも、もうとっくにわかっていた。
「…ほんっとに、馬鹿の究極」
ため息と共に吐き出された言葉にまた笑いながら頷く。
「そうだね。自分でもそう思う」
「っだから、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「お前が周りのこととか自分のこととかそういうの全部考えて、その上でそれでいいって思った道なんだから、今更迷わなくていいんじゃねえのって話。…誰が否定しても、私がそうだって言う」
照れたみたいに顔を背ける姿を暫く見つめる。
「あーあ…適わないなあ、鉢屋には」
どうしようもなく焦がれるほどに、苦しいと叫んでしまいたかった。
――嗚呼もう、二度とは戻れないというのなら。
「…ごめんね、今更」
手を引いて腕の中に抱き寄せると、温かい感触がするのに冷たいような気がして目を逸らしてしまいたくなる。
「…ヘタレ」
「うん」
「間抜けだし、馬鹿だし、あのとき…本当に隣に居れたのかどうかもわからなかった」
悪口も罵倒も、震える声も全てが。
沈黙の佇んだ空気へ落とされた鈴の音のように言葉を響かせた。
「――ねえ鉢屋、」
肩口に埋めて縋る手を握って微笑む。
もし許されるというのならば、これ以上の結末は望まない。

けれど、

「…もう少しだけ、このままでいい?」
離したくない、と言えば泣きそうな顔をするだろうか。
逢いたかった、と言えば笑うだろうか。
せめて、最後のあの日に俺の伝えたかった温度が届けばいいのに。
そんな贅沢は、きっと叶う筈がない。
「…」
「それ、肯定って受け取るのは都合良すぎるかな」
もう笑って受け止められるほどの現実はどこにもないから、今このときだけはどうか。
昔よりも更に細くなった腰に手を添えると鉢屋を見上げる形になる。
その言葉に自身も驚いたのか、近付いた瞳が見開く。
かち合う綺麗な透き通った瞳に吸い込まれそうだと思った。
「都合良くて、いい」
「うん、」
すき、すきだよ。
何もかもを投げ出してしまいたくなるほど。
もう何も言うな、とその目が制した。

「…ね、どうして、俺んとこ来てくれたの?」
その口元が弧を描いた瞬間、ああそうかと思う。
「嫌い、だった。」
「知ってる」
「だと思った。でもあの頃から、ずっと考えてたことがあったんだ。…というよりは、懇願に、近いかもしれない」
「…何、」
視界がそのまま歪んでしまいそうになる。
まだ、まだ、やめてよ。あと少しだけで、いいから。
じゃないと、みえなく、なってしまう。
愛しい人の姿を。今、この時だけでいい。

「――いつかこのときがきたら、そのときは、勘右衛門に触れたかった。…すべてを、忘れて」
枷も、鉛のような重石を背負った世界も、捨ててしまえるなら。
君を、君だけを、愛せるなら。
きっと限りなく、幸せなのに。
「鉢屋は優しいよね」
「そんなこと、初めて言われたんだけど」
「…それでいいよ。俺だけが知ってたい」
少しずつ消えていく体温に、そんな何気ない言葉も掠れる。
ただ傍に。たった一秒だって構わない。
泡になって消えていく声に、滲んだ景色を震わせた。
「…勘右衛門。」
「ん、なぁに?」

「―――――。」
「っ…!」
その瞳は、微笑う。
可愛い、って。
綺麗だ、って。
伝えたい言葉が多すぎて追いつけなくなる。
連れて行ってよ、だなんて。
許しては、くれないのだろう。
届かない感情を叫び続ける。
空気に溶かした願いを、指先で握り潰した。



















「――愛してる。」
風に揺れた枯れ葉が、その声を瞬かせた。
 

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