R12→R15

□黄昏動悸と苦い汗
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出来の悪い子ども程可愛いというが、俺があの生徒に抱いているこの感情も同種のものだと思っていたかった。

**********

2-A 梅原朱里。

男女の別なく友人の多い生徒だ。
誰にでも公平に接するところは、この年頃の女子にしては珍しい。

この生徒の笑顔は何故だか人を惹きつける。
恐らく密かに好意を寄せている男子生徒も大勢いるだろう。

・・・・・・・・・・
放課後。
梅原と二人きりの補習も今日で最後だ。

「梅原、本当におまえは数学的センスが皆無だな。
こんな奴は見た事がないぞ」

口唇の端をニヤリと上げ、いつものように揶揄う。

「そんな事、自分が一番わかってますよ!」

梅原は口を尖らせ拗ねたように言った。

「ほう、このテスト結果でよくそんな態度をとれるものだな。
 では自覚しているようなので、次の授業までにこの課題を提出するように。」

眼鏡のフレームを片手で覆い、その位置を直すと、生徒達への愛情を詰め込んだ特製の課題を梅原に渡す。

「うっ…、すいませんでした…。」

梅原の顔がみるみる青ざめていった。

(拗ねたり青ざめたり、 忙しい奴だな。)

その様子を見て心の底から楽しんでいる自分がいた。

元々物怖じしない性格のようで、初めのうちこそ俺を怖れていたようだが、補習を何度も行ううちに軽口を交わす程には打ち解けていた。

「…と、今日で補習は最後だ。
 気を付けて帰るように。」

自分で言った "最後" という言葉に一抹の寂しさを感じたが、すぐにその感情を振り払った。

「先生、ありがとうございました!
 …これ、よければ使ってください。」

差し出されたのはラッピングされた小箱。

俺は思わず「何だ?」と冷たく切り返してしまった。

梅原は狼狽えながらも続ける。

「あのっ、2年になってからテストの度に補習で先生に申し訳ないな、と……」

最後の方はもうよく聞き取れない。
俺はゆっくりと近付きながら尚も続けた。

「おまえ、わかっているのか?
こんなものを渡されるより、テストで結果を出す事の方が教師にとっては何よりの報酬だ。」

俺は感情を込めず淡々と伝えた。

「はい、あの、ごめんなさい…。」

西日に照らされたその顔は色まではわからないが、たぶん紅潮していたのだろう。
大きな瞳がみるみる雫を湛えていった。

この変化は俺が与えたものだ。
込み上げる喜びと反面、軽い罪悪感に苛まれた。

そしてその瞳から一雫。

その瞬間、俺は梅原を抱き竦めていた。

「…先生…っ?」

梅原の声で我に返った。

「…すまない。」

そう言って梅原を自分の腕の中から解放した。
先程まで決壊しそうだったその瞳には別の色が宿っていた。

梅原の手から箱を受け取り、

「ありがとう。
だが、次からはこういうものはいらないからな。」

と努めて冷静に伝えた。

俺に受け取ってもらえるとわかった梅原は、満面のあの笑顔で返してくれた。


…ああ、これだ。この笑顔だ。


「先生、ありがとうございました!
また、明日!」

梅原は鞄を引っ掴むと、別の意味で紅潮していたであろう顔をこちらに向けて、手を振り出て行った。

俺も片手を上げ、それに応じた。


・・・・・・・・・・
誰もいない屋上に上がる。
太陽は稜線ギリギリにいる。

…一体、俺は何をやってるのだろう。
曲がり形にも教師だろ、と自嘲気味に口の中で呟く。

とうとう自覚してしまった。
蓋をして見ないよう、気付かないようにしていた己の感情を。

ただ、受け取ったばかりの小箱を見つめる事しか出来なかった。
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