龍如短編

□小話A
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今日は、誰かと一緒にいたくて、けれども誰とも話したくない。
谷村はそんな矛盾な思いを抱いていた。

理由は簡単だ。
今日は、育ての父である彼の命日だから。

いつもよりもひどい気分の悪さに、谷村は適当に近くのキャバクラへと足を踏み入れる。
ふっと見上げた先には、『エリーゼ』の文字。

それだけをパッと見て、中へと入る。

「いらっしゃいませ、おひとり様でいらっしゃいますか?」
「・・・ああ」
「かしこまりました。ご指名などはありますか?」

別途、指名料などがかかりますが。
とお決まりの言葉を、ボーイが並べていくが、谷村の耳はそれらを素通りしていった。

「・・・じゃあ、この子で」
「え?」

チラリ、と横目でキャバ嬢の一覧を見る。
下の方へと下がっていくと、一際、いい方ではない意味で目を引く写真があった。

谷村がその子を指名すれば、ボーイは素っ頓狂な声と顔を。
しかしそれはすぐに消え、テーブルへと通され、お待ちくださいと言われた。

タバコに火をつけて、華やかな天井を仰いでいると。

「・・・失礼します」

と、女特有の声が耳に入ってきた。
落ち着いた感じの、おとなしめな声。

谷村の瞳に映った彼女の容姿は、写真のまま。
キャバ嬢にしては珍しい、よく言えば『素朴』、悪く言えば『地味』な女だった。

隣に座った女に、谷村は微動の反応もしない。

「あの、なにか・・・」

頼みますか、と続くと思った。

けれど、彼女は谷村の表情を、瞳を。
見た瞬間、口を閉ざした。

「どうしたの? なにかオススメ教えてよ」
「・・・いえ、オススメは分からなくて」
「ふーん、じゃあ何か話す?」
「そちらも結構です」

は?

谷村の素っ頓狂な、驚きの声が小さく響く。
しかし彼女は、揺るがなかった。

「何か話そうよ。俺、話したい気分だからさ」

嘘。
本当は誰とも話したくはない、くせに。

でも、身知らずな彼女をただ傍に置いていくだけというのも、仕事をしていないと判断され、怒られるだろう。
自分の勝手で迷惑をかけるのはなんだ、と思っての提案だった。

「・・・嘘、ですね」
「え?」
「本当は話したくない気分なんじゃないですか? でも、誰かに傍にいてほしい、そんな感じなんじゃないですか?」

驚いた。
まるで心の中を読まれたかのような、言葉に。

「難しい嘘は、やめにしましょう。
何があったかは知りませんし、聞きません。ただ、傍にいますから・・・」

そう、悲しいような優しい。
慈しみがあるような、同情のような。

どれとも取れて、どれとも取れない笑みを浮かべて。

彼女は谷村の手を、そっと握るのだった。
無意識に、谷村は彼女の手を握り返す。

静寂な時間は、ただ過ぎていった。
そして谷村の心の中にあったモヤも、何もなかったかのように、不思議と取り払われていた。



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