龍如長編(弐)

□双龍 -手紙-
1ページ/2ページ


谷村から痛い抱擁を受けたあと、当たり前だがずっと彼に離してもらえなかった。

顔の傷や腕、足に受けた傷について問いただされたが、銃で撃たれたとは言えず、ただ敵にやられたと言ってやり過ごした。
不服そうな顔をしていたが、嘘は付いていない。

亜細亜街の人たちからも痛いほどの歓迎を受け、子供たちからは突進を頂いた。
いつの間にか自分はこれほどまで、ここの区域の人たちに存在を認められているのかと思うと、凛生は嬉しくなった。

だが、反面。
あの事件のおかげで、色々と思い出し、改めなければならない事もあった。

(いつか、言わないといけない。 "私の存在について"・・・)

ずっと忘れていた、忘れてはいけなかったのに。
自分という『存在』が、どのような『立場』にあるのかを。

一番大事な話を、彼にしなければ。
けれどもその一番大事な話が、凛生にとっては一番怖い事でもあるのだ。

(ごめんなさい・・・、今はまだ勇気が持てない・・・)

今すぐには話せない、まだ秘密にしておきたい。
凛生は自分の勝手な思いを彼に謝罪するように、未だに自分を抱きしめて離さない彼を振り返り、真正面から抱きしめ返した。

「凛生?」

少し不審に思ったのか、谷村は疑問符をつけて凛生の名前を呼ぶ。
けれどもそれに返事はなく、少し震えを持った腕で抱きしめる力を強めただけだ。

もしかしたら今更になって怖くなってきたのかもしれない、どれだけの事をしでかしたのか理解したのかもしれない。
谷村はそう解釈して、静かに彼女を抱きしめ返したのだった。



それからあの百億の事件から早数ヶ月、凛生は谷村のツテもあってか、生活安全課へと異動が決まった。
課長である久井という人物も気は弱そうであるか、気心の優しい感じの男だ。

事件に巻き込まれた自分の事を親身になって迎え入れてくれた、そんな久井に凛生は好感を持ち、また刑事として頑張ろうと思えた。
新しい日々を贈り始め、凛生の誕生日が近づいてきたある日。
凛生の元に宅配がひとつ、届いた。

凛生は頼んだ覚えがないので疑問を胸に持つが、宛先は確かに自分だったので、判子を押して受け取る。
業者を軽く見送ってから、凛生は送り主を見て、瞳を見開いた。

『澤村美月』。
送り主の名前の欄には、確かにそう綴られていたのだから。

震える手で包装紙を解き、中身を開けてみる。
するとそこには、シンプルだが高価そうな銀色に輝くとある花をモチーフにした髪留めがあった。
一緒に手紙らしきものも添えてあり、凛生はその手紙を開く。

『凛生さんへ
 この手紙を読んでいるって事は、もうお誕生日も近いのかな? ちょっと早いかもしれないけど、おめでとう。
 好きな人のために髪を伸ばすって決めたって聞いて、この髪飾りを贈ろうと思いました。 きっとあなたの赤い髪に映えると思って。
 実はねこの髪飾り、あなたに似合うと思ったのもあるけれど、私の一目惚れだったの。 気に入ってもらえるといいな。
 知っていると思うけれど、この花はね『曼珠沙華』、一般的には『彼岸花』って言われている花なの。
 彼岸花って聞くと、あまりいい感じはしないと思うけど、また別の名前があるのよ?
 それはね『相思華』、"花は葉を思い、葉は花を思う"って韓国で言われているらしいの。
 『お互いを見ることの出来ない花と葉がお互いを想い合う』っていうのが意味らしいわ、なんだか悲恋みたいよね。
 でも私にはそう思えない、たとえ"今は"見えなくても想い合っていればいつか出会える事があるんじゃないかって、思うの。
 この花には『想うはあなた一人』っていう一途な花言葉もあるくらいなんだから、って。
 あとね『曼珠沙華』だと『天上の花』って意味になって、"おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天から ふってくる"っていう仏教の伝えもあるんですって。 たった一種の花なのに色んな意味があって素敵よね。
 いつかこの髪飾りが使えるくらい髪が伸びたら、これを付けて遊びに来てね。 その時は大事なお話もしたいの、あなたには知っておいてほしい話が。
 それじゃあ、楽しみにして待ってます。 澤村美月』

内容は、これから先も凛生と共にいたであろうもの。
きっとこの手紙を書いている時は、あのような事件が起こるとは思ってもいなかったのかもしれない。

いや、もしくは。
あの事件を予測していても、そうならない未来に賭けていたのかもしれない。

凛生は下唇を噛み、手紙をそっとテーブルに置く。
そのままひとつの引き出しから、風間から受け取った手紙を取り出す。

この手紙の中身を、まだ一度も見ていなかった。
いや、見る勇気がなかったのだ。

凛生は由美からの手紙を読んだあと、強ばった顔をしながらも風間からの手紙を開いた。

『拝啓 榊凛生殿
 お前がこの手紙を読んでいるという事は、俺の身に不幸があったという事だろうな。
 だとしたら、すまない。 本当は俺自身の口から言うべき事だというのに。
 時間もないだろうから単刀直入に言おう。 あの時、あの日。 お前の肉親を殺し、お前とお前の兄を攫った連中は東城会の、俺の組の奴等だ。
 立場は下部の枝組織の一端、親父の俺や本家に何も連絡もなく、金目当てで独断でやりやがった。
 お前と兄を誰に売り渡そうとしていたのかまでは掴めなかったが、あの火の海でお前以外の人間は死に絶えた。 これだけは事実だ。
 この事実が、お前にとっては幸か不幸か分からないが。
 凛生、本当にすまなかった。
 俺がしっかり末端まで監視を行き届かせていれば、お前の当たり前の幸せを壊す事などなかったのにな。
 そのせめてもの償いとして、俺はお前をヒマワリに迎え入れた。 ・・・ヒマワリっていう孤児院はな、俺が肉親を殺した子供のための施設だったんだ。
 俺自身が殺したわけじゃないが、俺の不始末が原因だったのは変わりない、俺もお前の肉親を殺した共犯者とも言っていいだろう。
 そんなお前を迎えに行った日、お前はボロボロの体で、だがとても強い意志を宿した声で俺に言ったな。 "全てを捨てる覚悟でいるから強くして欲しい"、と。
 俺も流石にあの時は驚いた。 何もかも失ったばかりの年端もいかない少女が、ろくに世間も知らないお嬢様類(たぐい)のお前が、俺ですら圧倒する程の強い瞳で"強くなるために全てを捨てる"と言って、俺を見据えた事を。
 俺は"復讐のために強くなるのか"とお前に聞いて、お前は"自分が許せないから強くなる。 何もできなかった自分のみが助かり、助けてくれた人間が誰ひとり助からなかったその現実が許せない"と俺に返したな。
 お前は自分を不幸に陥れた人間を恨むのではなく、己の非力を恥じて、憎む対象を自分にした。 俺はお前が復讐のために強くなるなら止めようとしたが、だが返答を聞いて俺は止めずに受け入れた。
 俺はお前が強くなるために、できる限り戦い方を教えた。 いつかお前自身が自分は強いと認められる時がくれば、と。
 その時ってのは、お前が自分を許せた時、自分を憎まず、愛せると思った時に違いないだろう。
 一日でも早く、俺はお前が自分自身を許せる時が訪れればいいと、常に思い、願っていた。
 なあ凛生、これを読んでいるお前はもう自分を許せたか? ・・・それともまだか?
 根は誰よりも優しく、強いお前だから、復讐の道を歩むという事は俺は思っていない。 だが、人には弱さもある。
 お前がいつかその弱さに負けて、己の力に飲まれないよう、せめて自分を愛してくれる人間を見つけ、そして憎くても自分を愛せるようになってくれ。
 もしまだ、自分が許せなくとも、それは許されるはずだ。
 手短にと思ったが、話が長くなっちまったな。 それも大半は俺の身勝手な感情だ、悪かった。
 だが、例え俺のエゴだとしても、お前にはそうなってもらいたいと願っているのは他ならなねえ本心だ。 そこは分かってくれ。
 お前を不幸にした東城会の人間である俺が願うのも皮肉かもしれねえがな。
 最後に、お前の幸せを心から願う。 風間新太郎』

手紙を読み終え、凛生はその手紙を胸に押さえ込むように押し付けた。
視界が滲み、涙腺が緩んでいるのを感じる。

嗚呼、自分はまた泣き虫に戻ってしまったのだろうか。
幼い頃はよく泣いて、兄を困らせたものだったというのに。

凛生は少しだけ涙を堪え、テーブルの上に置いた由美からの贈り物を風間の手紙と共に抱きしめた。

この贈り物が、手紙が。
いつか自分の事を谷村に話す勇気のキッカケになってくれたら、と思いながら涙を静かに流す。

「由美さん・・・風間さん・・・!」

溢れる涙は、止まる事を知らない。
思いがけない贈り物と、開ける勇気が持てなかった手紙。

両親と自分をよく世話してくれた屋敷の人間たちを殺し、自分と兄を金のために攫ったヤクザ。
そのヤクザの正体が東城会であったという真実、さらには風間組の構成員だった。

けれども自分がヒマワリに送られた理由も分かり、凛生は納得する。
それほど悲しみはない、両親を直接、手にかけたのは風間本人ではないのだから。

だが、溢れ出てくる涙は。
風間が自分に対して罪悪感を抱いていた事への申し訳なさか、それとも自分をここまで思ってくれていた事への思いか。

「・・・おい、いるならいるって言えよ」

すると、背後から声がした。
振り返らずとも声を聞けば分かる、それにこの部屋に入れるのはただ一人しかいないからだ。

「おい、聞いてるの・・・か・・・」
「・・・・・・っ、!」
「ちょ、おま・・・! な、なんで泣いて・・・うわっ!」

凛生の肩に手を置いて自分の方へと振り向かせた声の主、もとい谷村。
だが凛生の涙を見て、呆れから困惑へと表情を変える。

凛生は慌てる谷村を他所に、彼に抱きついた。
それから声を懸命に噛み殺しながら、涙を流し続ける。

谷村は何も聞かないほうがいいと判断したのか、少し息を吐いて、彼女をそっと抱きしめた。


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ