J9 基地のゲート2
□Wolfs take a VANILLA
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凪の水面を黄金に染めながら日が傾いてゆく。白い船体に紺と濃いブラウンのラインが入ったヴァニーユ号は優雅にマリーナを後にすると、少々急ぎ足で沖へ出る。
キッドはひとり、一番高い場所にあるフライングデッキに上がっていた。全身で潮風を感じながら、遠ざかるビーチやなだらかな丘の稜線に視線をやって地中海の夕暮れを満喫していたが、キャビンの中は大騒ぎである。キャビンと言うよりは、操舵席が。
「あーもーっ早くってばっ。日が暮れちまう前にやらせてよー!ちょっとだけでもっ」
「騒ぐな小僧!操舵する気ならそっちのパネルで海図でも確認しておけ」
「海図?あー、こっちはインディケーターで、、これか。なんだよ、なだらかなモンじゃん?なあ、コンパスなんで2個もつけてるん?んでもってレーダーは、、と、、」
「言っておくがな、俺だって海の上じゃまだまだ新人のひよっこなんだ。ここのハーバーマスターとはウマが合う。もめて母港探しからやり直しなんてごめんだからな」
「わかってますよー、キャプテン・ビーゴ」
そろそろ、船舶に関して全くのビギナーであるボウイに操舵させても差し支えのなさそうな沖合いまで出たと見て、さて、ビーゴか、ボウイか、どちらに加勢してやろうかと考えながらキッドはキャビンに下りてきた。予想を裏切らないやりとりに肩を揺らす。
「わかってるわけねーよ、ソイツは!けどな、そのバカを欲求不満にさせとくと夜中に船が勝手に走り出しかねないぜ」
「ジャン?最初からこうなるってわかってたんだから、イジワルしないで」
リタを乗せたブライスターがこちらへ向かっている間に、ジャン・ビーゴ自らJ9 基地へ連絡を入れてある。二人をこちらで一泊させると。それはもう、田舎の祖父が孫を預かるようなノリであった。
リタが不在だったのでディナーはすべてデリバリーだが、彼女はなんとか見栄えを整えようと一人キッチンで奮闘している。早くアンカーを下ろして配膳をしたい彼女もボウイの肩を持った。
初めて見る計器類にも物怖じせずポイントを押さえていくボウイに、ビーゴはまだ渋々というポーズを崩しはしないがシートを明け渡した。
「いきますよ〜ん。スロー・ア・ヘッド、、、!」
「小僧、スターボード・10だ」
「スターボード・10了解」
「ミジップ」
「ミジップ」
「ようし、、ハーフ・ア・ヘッド」
「了解。そのままフルまでいっちゃっても?」
やめとけよ、と、声をあげようとして、けれどいつもの調子で口を挟むのも何となく躊躇われて、キッドは黙って操舵席に背を向ける。
操縦に関する事でボウイが人から指導を受けているのを初めて目にして、少し緊張している自分に気づいた。ボウイは、、あれで緊張しているのだろうか。キッドにはよくわからなかった。
「リタ、手伝うよ。こーゆーのニガテだけど、言ってくれりゃ何でもするよ」
「助かるわ。ニガテ?器用そうなのに。センスはあるんじゃないの?」
「だめだめ、俺とお町はぜーんぜん。アイツとアイザックの方が手慣れてるぜ」
「あのクールガイが?わからないものね」
テーブルクロスを敷き直しカトラリーを揃える。アウトドア用のそれを子供のオモチャのようで気に入らないとリタは嘆くが、そんなことは一向に構わない。センターに花くらい欲しいが船に花瓶も気がひけると、さらに嘆いているので、花がわりの置物をプレゼントするとキッドは約束した。
船が微速に落ち着いたのを見て、二人で一気に配膳を済ませ、やれやれとソファーに陣取る。キャプテンと見習いは、しばらくは最微速で後退や旋回をしていたが、やがてアンカーを下ろすと、今度はデッキに出ていった。エンジンや船ならではの設備を見て回っている。
「ジャン・ビーゴ、、、一緒に仕事した時と少し印象ちがうな、、、引退したせい?」
やはり丸くなったという所か。あれだけうるさい男に付きまとわれて、文句も言わずに実に細かく案内している。
「それは、、、、お互い様よ」
「え?」
何の事かと見れば、デッキの上を隅々まで移動し回るボウイの姿を、リタの目が追っていた。そして短いため息とともにテーブルに視線を落とす。
「あのクールガイが二十歳だって、後から知ったのよ私。あなたたち、もっと下よね?」
コネクションの金塊を六人ぽっちで奪う。あの時はただ、若くはあるがビーゴの見込んだプロだからとしか見ていなかったリタである。今日、まだわずかな時間ではあるが、きな臭い事抜きで間近に接してみて、目の前に居る男、いや、子供、、、が、あの時と同じ人物だという事実に少なからずショックを受けている所だ。
「ジャンは現役の時から大して変わらないわ。あの時は仕事、今はオフ。それだけよ」
オフの時の始末屋の素顔がこんなに子供だと、ビーゴは気づいていて、それで船に誘ったのだろうか。単なる船自慢ではなくて。
「引退イコール、毎日がオフか。いいんだか悪いんだか、まるで想像できねえなぁ」
「でしょうね。想像できないくらい、あなたたち若いんだわ、、、」
リタは思い立ったようにキッドの顔を見つめると、抱えた躊躇いを見せぬように年の功で押さえつけ、キッドのすぐ隣へと膝を寄せた。
「え、、な、何、、?」
潮風と喧嘩をしない、でも負けない香水の香りに、キッドは本気でたじろいで、ビーゴをさがして目が泳ぐ。
「一度しか言わないわ。だから、ちゃんと聞いて。もし、、、もし、今と違う仕事を、生き方をしたくなったら、連絡をちょうだい。ビーゴの人脈でどうとでもしてあげられる。これは、あなた一人への言葉じゃない。誰にも伝えずに黙殺するなら、してくれてもいい。だけど、覚えていて欲しいの。忘れないで、絶対に」