J9 基地のゲート1

□星とタカラモノ
4ページ/5ページ






 機動部隊に所属していたウスペンスキーは、あの日も、いつもと同じように命令に従った。ただ、それだけの事だった。
 寒さと人目を避けるため、目の前の船着き場に係留されていた小型クルーザーをチャーターした。その船室で二人きり向き合う。
 彼等には時間がなかった。キセリョフは、ガイダールがただひとり考えを打ち明けたマブリナのアパートへ戻り、ラスプーチンも、意を決してしまっているウスペンスキーの意思を汲んで行動を開始した。自分が戻るまでこの船に居るよう、再三ウスペンスキーに確認する彼の気持ちがわかったから、、アイザックもまた自分がウスペンスキーの引き止め役である事を自認してラスプーチンにしっかりうなづいて見せたのだった。
 穏やかな波を受け、エンジンをかけて停泊したままの船はゆるゆると揺れる。デッキでゴツゴツと、船長が歩き回る足音が響く。あと小一時間もすれば、クルーザーでヨールカ祭りを騒ごうと言うグループの予約時間になってしまう。船を出す必要はないからと、強引に準備時間に割り込んだのだ。
 ウスペンスキーがイワン・ゴドノフの事件について疑問を持ったのは、あの日突然、指揮官が変わったせいだった。前任の指揮官を尊敬し、慕いもしていたウスペンスキーは、唐突な病気療養に納得がいかなかった。見舞いに行こうにも面会は許されず、そうこうするうち彼の行方はとんとわからなくなった。新任の指揮官ワインベルグは着任して半月も経たぬうちに、他の隊の指揮官、そして半年後には総指揮を取るまでにのしあがっていた。ゴドノフの容疑が何の根拠も無いと言う噂も、無論ながれた。
 前任の指揮官の身の上に何が起きたのか。聞き回るうちに交通課へ下げられ、同じくゴドノフの容疑に疑問を持っていた新米記者ラスプーチンと出会う。ゴドノフの無実を確信する頃には、二人とも職を追われていた。

「俺は、装甲車の運転を担当していた。帰りの車中、やけに仲間の口が重いと思ったよ。君が銃を取り出したというのは、詰め所に戻ってから聞いたんだ」

「そうですか、、」

 男は無知で無力だった自分を詫び、子供はそれ以上に無力で無知だった自分を見つめ直した。森の中の、静かで暖かい別荘での日々を踏み潰しに来た、残酷で破壊的、命令以外の何も見ようとしない男たち。彼等すべてが憎かった。
 だが、その中に彼がいた。自分の叫び声を聞いて、命令とのジレンマに陥る人間臭い男たちだって居たのだ。

「あなたや、ラスプーチンのような人が居てくれたと言うだけで、、父も、浮かばれるかと、、、」

「だめだ、アイザック。そんな事を言ってはいかん。君の父上の志は、こんなことで慰められてしまうほど、程度の低いものでは無かったのじゃないか?納得などするな。今の世の中に物分かりのいい奴など、これ以上増えても害になるだけだ。理不尽には怒れ。沈黙をするな」

「ウスペンスキー、、」

 いつしかウスペンスキーは身をのりだし、これから自分のしようとしている事への緊張や、自分自身への鼓舞もない交ぜに、アイザックの両肩を掴んでいた。
 純粋に自分だけに向けられた言葉てまはないとわかりながら、それでも、心をすくいあげられていくのには充分な言葉。穏やかだった父の、家庭では決して見せなかった厳しい一面と強い志とを、、すでにそれが叶わなくなった父に代わり、ウスペンスキーが示している。

「は、、い、、、、、はい、、っ」

 ぼろぼろと涙をこぼしながら、ウスペンスキーの力強い腕の中で存分に泣いた。そうしながら、世界が変わっていくのを、確かに感じ取っていた。

「その調子だ。賢いのはいいが、過ぎるのは体にも毒だろうさ。今の君は、そうやって思いきり泣くのが、理不尽への最大の抵抗なんだ。いやってほど抵抗するといい。年相応の、最大の抵抗。今はそれで充分だ」

「いいえ、、充分とは、、言えません」

 アイザックの賢さを、ウスペンスキーは少々甘く見積もった。
 しゃくりあげて、素早く涙をふくとアイザックは言った。

「僕はもう沈黙なんてしない。誓えます。だから、今からはもうひとつ上に進みます。ウスペンスキー、あなたと一緒にガイダールさんを手助けしたい」

 全く予想だにしなかった言葉に、ウスペンスキーはしばらく唖然として口が開けなかった。有り体に言えば、これから犯罪者になろうかと言う時に、子供を道連れになどできるはずもない。大企業の裏の顔や恐らくはコネクションまでも敵として、これから何をどうすればいいか、何が起こるのか、全くわからない状況だと言うのに、こんな子供が、一緒にと、言い出すとは。一瞬、アイザックの賢さがものすごいハリボテで、その辺でヒーローごっこをしているようなガキと全く同レベルなのではないかと、疑いさえした。

「だ、だめにきまっているだろうー!」

 声が裏返りかける。

「口だけではだめだと、さっきあなたが言いました。僕は絶対役に立ちます。コンピューターがあれば、ガイダール重工の裏帳簿だって見つけてみせる」

「そ、そんな事はラスプーチンが居れば、足りる」

 ウスペンスキーはすっかり普通の大人になってしまい、しどろもどろで誤魔化しつつ逃げ道を探る。

「どんなに役に立とうと、今俺が必要なのは、一人前の男だ」

 シックな暖色系のクロスがかけられたテーブルには、小さめのヨールカが置かれ、枝に飾られた雪の結晶が船につられて一緒に揺れる。ガラス戸のキャビネットにボトルが幾つか並んでいるのを見つけたウスペンスキーは、チャーターしたからには備品までとばかり、手を伸ばした。

「子供だからと言うのは、、わかります。でも、なにもしないで見過ごす大人より、僕の方が一人前に近い。ちがいますか?一人前の男の、定義って、何ですか?」

 少しだけ遠慮して安物のウォッカを選んだウスペンスキーは、グラスの底にちょっぴり入れたそれをグッと飲み干すと、そのグラスをアイザックの前に突き出した。

「酒を飲んで有意義な議論のできる相手だ!勇気や行動力は後回しでいい」

「そんな!目茶苦茶ですよ!」

「君が付いてくるのと同じ程度にはな」

 そう言われると、抗議の余地は全くなかった。
 膝の辺りが窮屈なソファにどっかり座り直したウスペンスキー。ジロリとアイザックをひと睨みすると、先程の半分程度だが、迷わず注いだ。

「ロシアの男だ。これで一人前になるのもいいだろう。来ると言うなら、飲め」

 半分にまけてくれたとはいえ、アイザックにとっては全く未知の領域。一か八かどころではない。もしかしたら、などと言う甘い予測さえ出来ないほど分の悪い賭けである。何しろ、回りの大人が飲みだすと鼻をつまみたくなるのだ。アントーノフカでも実はかなり我慢していた。
 だが、ウスペンスキーはこちらを睨んだまま、いかにもこれ以上の議論には応じない構えだった。妥協案を提示する事自体、負けだと言わんばかりである。

「、、ウスペンスキー、、」

 他に手はない。

「わかっている。ちゃんと飲めたら、倒れていても連れていく」

 うなづいて、深呼吸して、グラスを手に取る。鼻をつまんで口につけ、、飲んだ。






 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ