J9 基地のゲート1

□星とタカラモノ
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 昨日、図書館に現れた時から酔っ払いだった上、そのあともあの店『アントーノフカ』で飲み続けていたウスペンスキーは、しかしまともな足取りで現れ、体格に見合う食べっぷりを見せた。彼等が言うところの、この街で一番うまい料理とは他でもない、アントーノフカのボルシチとペリメニだそうだが、それはまた夜の楽しみと言うことになって、三人は跳ね上げ式の大きな橋を渡ってから、青銅の柵の唐草模様を眺めて川沿いを歩き、ビルの二階のカフェに入ったのだった。
 夕べの大討論会と売って変わって差し障りのない、、、どこかにいい職はないか、、などと言う会話を聞いていると妙におかしくなってしまって、アイザックはニコニコと相槌を打ってしまう。二人ともすっかりよそゆきの風なのだ。

「お二人とも求職中なんですか?」

「そう、私はこの前まで新聞記者」

「の、したっぱ。だろう?下調べばかりで、書いたものが載ったとは一度も聞いてないぞ」

「そう言うウスペンスキー、君は輝かしいロシア方面機動部隊から一転、モスクワの交通課、そして自主退任。転落の一途だなあ?」

「、、、、、、」

 窓辺の席から大きく川が見渡せる。先程の跳ね橋の少し下流にあたる船着き場はここのすぐ前だ。川と運河に囲まれたこの街を周遊する遊覧船、湾外へ出てヘルシンキへ往復する高速シャトル、ラドガ湖まで優雅に遡る観光船、どれも厳冬季ならではの砕氷装甲である。

「ラスプーチン、彼が言葉を失っているぞ。さすが博学の君でも、大人の生活臭はこたえるだろう」

「いえ、そんなことは、、」

 父の身に起きた事と、彼等のそれがオーバーラップするのだ。

「いやいや、ドングリの背比べと思っただろう?夕べ居た連中、多かれ少なかれだ。軍をやめさせられたのも居れば、大企業の家出息子も居る。こんな事を暴露したら、夕べのあれが酔っ払いの『大・言い訳愚痴り大会』に思えてくるだろう?」

「そんなことありません!僕みたいな子供が言う事じゃないけれど、皆さん、その、、有能で、、機会さえあればいくらでも、、ひとかどの人物になれる方ばかりだと、、」

 勢いこんで言ったものの、自分で言った言葉もまた、こんな世の中では理想の上澄みでしかないのだと知っている。その機会が巡ってくる分岐点毎に、足を引っ張る誘惑と、思いもかけぬ落とし穴とがあるのだと。
 ウスペンスキーが突然笑いだし、周囲の視線を浴びてしまう。

「いや、失敬、失敬。有能だなんて言うからちょっと想像しちまったよ。俺たちはああして年中集まっちゃ、言いたい事言ってるんだが、確かに一癖、二癖だ。有能と言えばそうかもしれん。連中をだよ、ひとまとめの組織にでもしたら、一体どれだけの事が出来るんだろうかとね。愚痴の一つ二つは改善していく力があるもんだろうか?それより、アイザック、君の方はどうなんだい?親戚とは連絡とれたのかい?」

 ああ、言わなければ、、と思う。いつまでも彼等とこうして居られるわけではないのだ。子供の生活の青苦さに彼等は背を向けてしまうだろう。「また集まるから来いよ」とは、このまま別れたら言ってもらえないだろう。

「ウスペンスキー、組織って一体、、企業でも起こすのかね?それともテロ集団かい?まあ、それはそうと、私も気になっていたんだ。こんな得体の知れない者と日がな一日一緒に居たのでは親御さんはそりゃあ心配するんじゃないかね?」

「明日までは、自由なんです」

 けれど、そのあとも、いつでもまた会いたいと、、言わなければ。話題の通じないネット上のクラスメイト、のれんに腕押しの教師、心配ばかりのマルトフ家の人達と母。
 今ここにいる彼等でなければ会話の意味もない。話したい事がたくさんある。聞きたいことも山ほどある。イワン・ゴドノフの収賄疑惑と自殺について彼等はどう認識しているのだろう。
 もう少し時間がゆっくり過ぎてくれれば。あるいは、もう少し自分に度胸があれば。父から受け継いだこの姓を名乗って、堂々と。
 明日までは自由、それがアイザックの返事だと受け取ったのだろう、二人は先の冗談の続きに夢中になっている。いっそ誰々を押し立てて選挙活動でも、、だの、なんだの。
 幾本もの川とたくさんの橋。唐草の柄も豊富な川縁や古寺の鉄柵、細工のしっかりした欄干。2100年を迎える冬祭りで多少浮かれていても、街全体はずっしりと大地に根差し、川は堂々たる流れを見せる。街の一角で、ささやかな出会いがあったとしても、何事も変わらぬ重厚な風景と、それを愛する人々の落ち着いた暮らし。
 だが、アイザックの一歩を待たずに、変化は訪れる。
 冷たい外気をまとったまま、駆け込んできた男。夕べも店で見た、、一番良く笑い、人の話の腰を折ってばかりの男だったが、今の彼は夕べの笑顔の欠片もない。外を走るのと同じ勢いで、入り口から真っ直ぐこちらに来た。

「ガイダールが、たいへんなことになった!」

「どうしたキセリョフ、また喧嘩で流血沙汰か?」

 体格のいいウスペンスキーがのんびりと指を鳴らして立ち上がりかけた。

「それ所じゃない、そんな単純な話じゃないんだ。とにかく、、ここでは説明も出来ん、外へ、、」

 ウスペンスキーとラスプーチンが肩を竦めて、それではちょっと席を外してくるとアイザックに言えば、彼は説明しながらどこそこへ行くからこの場はお開きに、、と言う。それならば明日またここで、、と言えば、約束は守れない可能性が高いと言う。
 どうもただ事ではない。昨日今日、たまたま会っただけの子供が相手とは言え、当の二人は明日までしか時間のないアイザックと約束を取り付けようとしているのだ。それを強引にせき立てて連れていこうとする。
 物わかり良く三人と別れたが、そのままにするアイザックではない。二度と会えない。その確信に突き動かされて、外へ出た彼等の後を追う。
 ビルから出て、すぐに橋の方へ向かおうとするキセリョフを二人は引き止めたようだった。何やら押し問答の末、人通りが絶えたのを見計らって、ビルとビルの隙間に三人、入り込む。
 通りに面したそのビルの壁面には看板ひとつなく、そんな所に立って耳をそばだてていては、嫌でも人目についてしまう。ひいては隙間に入り込んだ三人までが。察したアイザックは引き返し、ビルの二階に戻った。従業員用の通路に入り、そっと、、鉄扉を開けば、考えた通り非常階段の踊り場、彼等の真上に出た。

「実家を襲撃する?!何を考えてんだ奴は!」

「自分が前から言ってた事を実行に移しちまったんだよ」

「まさか、横流しの武器を強奪でもするつもりなのか!」

 ラスプーチンの憶測に対して、キセリョフは沈黙でそれを肯定した。

(ごうだ、、つ!ガイダール、、、って、!ガイダール重工?!)

 先程聞かなかったか、、大企業の家出息子も居ると。大陸最大の総合商社ガイダール産業の、、、それでは、彼等の飲み仲間のガイダールはそこの息子で、、、武器と言うからには重工部門であろう実家へ、強奪をかけると?
 必死に記憶を巡らせた。夕べ店に居た人物の誰がガイダールか。どんな人物で、何を言っていたか。
 うずくまるその足の下では、キセリョフが先へ急かしてやきもきしているが、ウスペンスキーが腕組みしたまま動かない様子である。

「ガイダール本人は今は?マブリナのアパートに何人集まってるって?」

 岩のように動かないウスペンスキーと、一時も両足そろって地につけないキセリョフの間をとって、ラスプーチンが次から次へと問う。

「では彼は、実家に戻って長兄と和解したふりをしておいて、たった一人で内部から事を起こそうと、、そういう腹積もりなんだな?」

(思い出した!あの男だ。兄のやり方がどうのと言っていた、、)

 廃棄処分した筈の品を密かに修理に回してまた売るという、、、てっきり経営手段の事で兄をなじっているのだとばかり思って聞いていた。その品物が銃火器で、怪しげな中小企業の話しではなく、最大顧客に地球正規軍を持つガイダールがそれをやっているのならば、、、、決して寒さのせいではなく、背筋がゾッとした。

「それで、、」

 ウスペンスキーが、ようやく言葉を発した。

「集まって、それでどうしようってんだ?」

「な、、そんな突き放した言い方ってあるか?確かに奴は一人で勝手に馬鹿なことしでかそうとしてるさ!だがな、あそこで顔を会わせる連中なら、そんな馬鹿なことをしなきゃならなかった奴の気持ちを、、、、」

「はやるなキセリョフ。どう対処するのか、意見は一致しているのかって事だ。つまり、ガイダールを止めるのか、、」

(そうだよ、選べる道は四つ。なにもしないか、止めるか、、)

「止められなかったとして、奴が追われる身になった時に匿ったり逃がしたりする手段の相談で集まってるのか」

「それは、、」

 キセリョフが悔しげにいいよどむ。その表情が、、今語られなかったもうひとつの道に、強く憧憬している事を物語る。

「皆の気持ちが、今言ったどちらかに偏っているなら、俺は合流しない。ここから先は、、、俺は一人で行く」

 ドクンと、血液が波打った。ウスペンスキーは最後のひとつの道を選ぼうとしている。すなわち、ガイダールを積極的に支援すると。
 恐らくそれが一番崇高であり、一番愚鈍でもある、、、、正義と呼ばれるものに最も近い選択。

「ウスペンスキー、、、!な、なら尚更だ。とにかく皆の所へ来てくれ、君が来てくれさえすれば、、」

 そうだ。ガイダールは正しい事をしようとしている。たった一人で巨大なものを、相手に。そう、父がしたように。だが、このままでは父と同じ道を辿る。味方一人居ないまま。

「だめだ。俺が行ってぶち上げれば、付いてくる者も多いかもしれない。だが、それは一人一人の冷静な判断ではなくなる」

 川風が直接ビル風へと変化して吹きすさぶ建物の隙間、男たちは熱いものを抱えて膠着状態に陥る。それをさらりと崩したのはラスプーチンであった。やれやれと、首を振って、コートの前を引き寄せると言った。

「冷静でないのは君も同じだぞ、ウスペンスキー」

「わかっている!そんなことは!だが、奴のやろうとする事は正しい。それを、手も貸さずに見過ごしたでは、、俺は口だけか?何もかも終わってから嘆くのか?それではイワン・ゴドノフの二の舞じゃないか!俺は、二度と、あんな事に加担したくない」

 ガタン!と、、、
 手摺に掴まっていた手を滑らせた。今、、、何と言った、、?加担?ウスペンスキーが、、、何を、、、
 ギョッと見上げる男たちと目が合う。

「アイザック、、、!」

「おまえ、、、いつから居た!聞いたのか!」

 勢いこんで階段を上がろうとするキセリョフを、ラスプーチンがぐいと引き戻す。
 見上げているウスペンスキーの目から、視線を外す事が出来なかった。彼は父を知っている。父の事件の事を知っているだけではない。直接父とかかわりが、、何かしらあったと言う事だ。彼が父に何をしたのか、、彼もまたあの時父の政敵ででもあったと言うのか。偶然の出会いからたった一日、こんなに大好きになってしまったと言うのに。家族以外で初めて信用できる大人を見つけた、尊敬さえできそうな大人を見つけたと言うのに。父の仇だった、とでも言うのか。
 気がつくと、目の前にラスプーチンが、一緒になってしゃがみこんでいた。

「こんな吹きさらしでじっとしていたら、幾らなんでも凍りついてしまうだろう?」

 穏やかに覗きこんでくる瞳に、ふっと落ち着きを取り戻し、自分でも信じられないほど素直な声で言った。

「ごめんなさい、、、」

 そして、、、

「ウスペンスキーと、話をさせてください。僕は、イワン・ゴドノフの息子です」





 
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