J9 基地のゲート1

□ヒカリの迷宮
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 木星軌道の大外を周回するトロヤ隕石群は、開発局関係者のベットタウンである。2グループの隕石群のうち先行するものをFトロヤ、後ろをB トロヤ。太陽系最多の衛星を抱え、また、その各衛星が非常に特徴の異なるものであるため、調査、開発に最も人員のかかる木星である。調査中であったり、建築基準に不安を残す衛星を拠点とするよりは、アステロイド辺りですでに確立された建築技術をもってトロヤを住居とし、木星大気上に浮かぶ開発局本部ステーションを中心とした職場へ出勤、あるいは赴任してゆく。
 本気か、はったりか。判断のつかぬままバレンシアは相手に誘導され、B トロヤの明るい繁華街におりた。バーゲンも賑やかなショッピングモール、チープなレストランとファーストフード店。女子供の集まるような昼間の街。
 カフェのパーキングに止めた車から降りた、メルテス倉庫の秘書を名乗る男は、、、見たこともない人物だった。
 痩せすぎの骨ばった体付きがまず目につく。そして若い。尖った輪郭を強調するように後ろで結んだ髪。黒にも見える深いグリーンのこれも体型を強調させるようなぴったりしたつなぎのスーツ。だらしなく引っ掻けた非常に長い丈の黒のコートと、ふざけたような縁なしのサングラス。
 見舞い先からの急展開まで考えに入れていたバレンシアは、喪章さえつければ葬儀に出席できるような服装をしている。向かいのピザ屋と共有して歩行者天国に広がるプラスチックのテーブルに、この二者が向かい合う様は、場違いを通り越して異様ですらある。
 こんな男は知らない。そもそもこれのどこが社長秘書か。こんなやさぐれた、コートの下に何を隠し持っているか知れたものではないような男が。夜の町をうろつくチンピラ、、せいぜいその親玉風情が。

「貴様、、いったい!」

「声だけなら似てたでしょ。秘書のソーラスに」

「君のような若い連中の遊びに付き合う暇はない。引き取らせてもらう」

 周囲からの奇異の目を気にしながら、しかし憮然と言ったバレンシアに、相手は動じもしない。

「爆発、していい?ま、座んなよ。勘違いは困るぜ、これでも一応秘書だからな。裏の、だけど。あんた先月、長官自ら人選くださった秘書をフッて、自分で好きな奴つけたって言うじゃん。長官ってわかる?あんたんとこのボスよ?でさ、そういう事されると世の中うまく回らねえんだよ。だから俺が出ばって来た次第さ」

 つまりどういう事か。確かに今言われた通りの事をした。同郷で同期のバルケルをどうしても片腕として呼び寄せたく、苦い表情の長官に強引に頼み込んだ。局内で公に発表される前の内々の打診を、このチンピラは知っている。つまり開発局長官と、この男の意思は同じものである、、と。
 もしそうだとしたら、この男の要求を飲む以外に無いのではなかろうか。別段、難しい事ではない。レダは今、調査、測量が終了しかけているまっさらの土地だ。各種業者から申請は来ているが、開発方針を輸送ターミナルなどの方向に持っていくのは困難な事でもない。メルテス社に一番乗りさせてやればいいと、、、、そういう事なのだろう。
 だが、確証がない。長官以外に知る者の無い事柄を一つ知っていたからと言って、ウサギから出た宝石がみごとなダミーで、この若い男がただのゆすりたかりではないという確証が。

「ミスター、あんた、おろおろしない所はさすがだが、少々、長考が過ぎるな」

「こんなものは長考の内にも入らんよ。だいたい君がまだ要求を出していないのではないかね」

「ほ、こりゃ失礼したね。なら言おう。まず、あんたのボスの人事に従ってもらおう。レダの件はあんたの手を煩わせるまでもない。俺とドニーズ、裏秘書同士で仲良く片付けてやるさ」

 ドニーズ?ドニーズ・マルタン、長官が強く推した秘書候補の名だ。ファーストネームで呼ぶ間柄だと言うのか。そう思わせる手か。

「そうすると、私はドニーズ・マルタンの言うなりに判をつくロボットになる、、そして開発局はメルテス社に乗っ取られると?」

「はっ!今更。メルテスぽっちで儲けたって何になるよ?それにさっきから言ってるだろう、そっちのボスもよっくご承知だと。ハナからドニーズを秘書にしときゃ、木星で誰が一番上に立ってるか、どれ程のバックアップを得られるか、じんわりご教育して差し上げられたはずだがな」

 ガリレオ・コネクション。
 周囲の風景がすっと遠退くような気がした。この職に有る限り、いや、この惑星のどんな職種でも、上に行くほど近づいて来るもの。そしていつか接触するもの。今までも皆無とは言わない、彼らとの関わり。
 だが、ここから先は、、。睨まれぬように、見限られぬように、そして、魅入られて取り込まれぬように。すべてのバランスを取りつつ、しかし公僕としてこの位置に存在しなければならない。その時が来たのだ。この男の出現と共に。
 それでも。それでも底辺の生活の中で踏みにじられる被害者として彼等と接触する羽目になるよりは、今、この地位に、さらに上に居た方が、よほど。

「以外と、めんどくせえオヤジだな。偉そうに押し黙るなってんだよ。爆弾の事、忘れちゃいねえか?この期に及んではったりだなんぞ思っちゃいねえよな。いいか、こっちは爆弾つきプレゼントが今どこにあるか把握してんだぜ。タイムリーにだ」

「なんだと?」

「あー、、今はあんたの家じゃねえなあ。ガキがいっぱい居るな、、、ローティーンからチビまで」






 バレンシア夫人は娘の部屋で呆然と座り込んでいた。プラスチック製のおもちゃも分解した。ビニールの人形の小さな手足さえ切り刻んだ。けれど、なにも起こらなかった。なにも見つかりはしなかった。
 夢のお城のようだったこの部屋の、余りの惨状に顔を覆った。女の子の姿をしたパペットの、裂かれた顔が恨めしげに天井を見ていた。
 のろのろと、おもちゃだった物の残骸を押し退け、通話機を拾い上げた。
 夫へ繋がる番号を押している最中、やおら彼女の瞳は驚愕して見開いた。

「あ、、あ、、あなた!あなた!」

『どうした!まさか、あったのか!』

「いいえ!いいえ無いのよ!家の中にはそんなものは無いのよ!」

 通話機を持った手が震え出している。反対の手で押さえつけ、必死になって声を出した。

『でもあの子が!町子がひとつだけ持っていってしまったのよ!どう、、どうしたら、、行かなくちゃ、、私、フォークナー先生の所へ、いえ、それより先生へお電話を、、!ああ、そうじゃないわ、あなた、警察を!警察を先生のお宅へ行かせてください!おねがいよあなた!」

「頭のいいあんたのこった、もう承知だろうからな、こっちも伝える事は伝えたから、失礼するよ」

 言葉もなくぎりぎりと睨み付けるバレンシアに一瞥するでもなく、男は立ち上がり、紙コップのコーラを飲み干す。立ち去りかけた男は、二、三歩で足を止めて空を仰いだ。

「忘れてたよ!ボタンを押せって言われてたんだった」

 コートの袖をまくり、腕時計のような物に触れた。






 
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