J9 基地のゲート1

□ヒカリの迷宮
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〜焼き付くFire works 〜お町4才〜





「めりーくりすまーす!」

 甲高い声が弾む。椅子に立ち上がりテーブルに手をついて、膝がぴょんぴょん踊って。

「揺れるわ町子。ママ、ナイフを持ってるのよ?」

 素直にはしゃぐ娘を見ながら、母親はまるで夢のような光景だと、思わず感じ入ってしまった。日頃の夫の激務を考えれば、クリスマスだからと言って親子三人水入らずなどと、全く奇跡のようなものだった。
 木星開発局の重要ポストに今年の春、昇進したばかりの夫である。夫の仕事の上下関係が妻の日常に響く窮屈な官舎から、庭のある一戸建てに抜け出せてほっとしたのも束の間、夫は休日にまで付き合いが急増し、広い家で娘と二人きり。
 今日という日さえも仕事がらみの相手のパーティへ、夫人同伴という迷惑なフダまで貼られて呼ばれていた。相手のお宅で急病人が出なければ、4才の娘は休暇返上のベビーシッターと二人でクリスマスを過ごす羽目になるところだったのだ。他人の不幸のおかげでこの幸せな時間があるかと思うと、自分はなんとはしたない考えを持っているのだろうかと、元来が控えめな性格の母親はまつげを伏せてしまいそうにもなるが、予定が狂った事をむしろ喜んでいる風な夫を見れば、彼から家庭的な部分が無くなってしまったのではないことを実感でき、幸福な安堵を漏らさずにはいられない。
 娘もまた、クリスマスに父と母が家に居る喜びを全身で表現してくれる。スクスクと素直に育ってくれた、、この上ない幸せである。
 父と母とで過ごす幸せな空気に、名残惜しそうにしながらも、町子はサンタクロースを迎えるために早々とベットへ入った。枕元にさっきもらったばかりのオルゴール。老舗の陶器工房が90年代最後のクリスマスに作成したプレミア物である。ヴィーナス、ジュピター、マーキュリー、、キャラクター化された、太陽系を表すギリシャ神話の神々の群舞。

「町子はまだ惑星の順番を間違ってるようだな」

「あら、もうすぐちゃんと覚えますよ。もうすぐね。あしたはお早いの?」

「マクダーソン氏を見舞いに行かなければならんだろうからな」

「それは、、そうですわね。行ってらして。町子も今日はたっぷりあなたに甘えられたし、私も、、本当にいいクリスマスだった、、。これ以上、贅沢言えないわね」

 夫のために慌てて一本余分に用意したワインは、案の定、出番はないようだった。クリスマス休暇が何週間もあるのはどこの世界だろうかと思えてくる。

「もう、1、2年の辛抱だ。段取りもスケジュールも、何もかも私の采配で取り仕切るようになるまで。そうしたら今までの分まで取り返せばいい」

「まあ、でもあなた、、何だかそれも怖いわね。今日みたいな幸せな日が何日もずっと続くような事を想像すると、、何だか、、」

「まったくお前は。、いったい何に遠慮してそんな風に考えるのか、私には理解できんよ。今より良くなるなら、なった方がいい。手に入れられる物は手にするべきだよ。そのプレゼントのように」

 夫婦の寝室のクローゼットに隠してあった包みの数々を、ちょうど今、娘の部屋へ運ぼうとして出しはじめたところだった。部下から、上司から、友人という名目の袖の下じみた物まで。その数は年々増えていく。夫の働きと交遊の広さに比例して。

「そうね、本当に多くなったわ。私にはもう、どれがどなたからの品物だか、、」





 脳溢血でクリスマスイブに倒れたマクダーソン氏を見舞った帰りの車中で、私用回線のベルが鳴った。日系人の妻は、その国民性の古風な部分を多く性格に反映させているので、仕事中の夫のもとへ連絡をしてくるなど、めったに無い事だった。故にこのベルが鳴った事などほとんど無い。人を見舞った直後でもあり、ホセシルバ・バレンシアはすわ何事かと、内心ギョっとしながら受話器を取り上げた。

「メリークリスマス、ミスターバレンシア。私、メルテス倉庫のジョン・ソーラスです。夕べはお目にかかれなくて残念でした」

「ああ、たしか社長秘書の方でしたな。メリークリスマス、ミスターソーラス。しかしきみ、、」

 いったいどうしてこの番号を知っているのか。取り越し苦労は不発とわかって安堵したものの、全く別の疑念が沸き上がる。
 一度は社長と共に局の応接室で会っている。木星の衛星に貸倉庫業を展開させたいとの事で、挨拶に来ていた。ほんの顔合わせ程度だったと記憶している。申請の形式を整えるように、担当者に回した、大して目立たぬ会社だった。
 まるで名の通っていない、たかが貸倉庫業者が、大気測定機器の最大手であるマクダーソンのパーティに呼ばれていたらしい事も首をひねるところだが、教えた覚えの無い番号に、それも秘書が、直接連絡を入れてくる事自体、不可解だし、当然、不愉快でもある。しかし相手は流れるようなビジネス言葉で先を続けた。

「早速で申し訳ありませんが、本日これからお時間を頂きたいと思いまして。ええ、レダの貸倉庫建設の件で、是非とも直接お会いしたく思います」

「ちょっと待ちたまえ、順序というものがあるだろう。だいたい、、」

「ええ、もちろん。夕べお会い出来なかった他の方々、、イースト建設さんですとか、ジュピタークラウンさんですとか、、、ミスターのご多忙は充分承知しております。ところでですね、私どもがお嬢様に差し上げましたウサギのぬいぐるみはもうご覧になられたでしょうか?」

「何を言っているんだね、いったい、、」

「これはまだのご様子で。それではぜひ、先にそのウサギの背負っているリュックサックの中をご確認いただきたいと存じます。しばらくしましたら、また、ご連絡差し上げますので、その間にぜひご確認ください」

 わきまえた言葉遣いでありながら、まったく一方的な内容のまま電話は切れた。イースト建設、ジュピタークラウン、、大手を適当に言っただけだろうか。しかしそのどちらも、まさに今日これから会うスケジュールなのだ。
 怪しげな電話に背をつつかれるように、妻にその旨を伝えた。
 飛び上がったのは妻である。朝一番で娘と二人、てんやわんやしながらプレゼントのラッピングをほどき終え、一段落ついた所だった。ピンクのスカートをはいたウサギは、他のぬいぐるみたちと一緒に出窓に並べられていた。クリーム色のふかふかのリュックから出てきた物は、イミテーションでもなければ、ましてや子供のおもちゃなどではあり得ない、ダイヤのペンダントヘッド。角度によっては微かに紫がかって見えるのは、北アステロイド産の超一級品ではないだろうか。だとしたら、、、親指の先ほどもあるこの大きさでは、とんでもない値打ちになる。
 ホセシルバ・バレンシアは舌打ちした。似たようなこと、なら、これまでにもあった。だが、こういった類いの品を渡す相手は、それが含みのあるプレゼントだと、、見返りについて具体的に触れずとも、、、示してきた。露骨であったり、スマートであったりするものの、肝心要の相手に、そうと知って受け取らせねば、利益はないのだから。
 メルテス倉庫のこのやり方は、露骨などというレベルの問題ではない。プレゼントとして大目に見られないような額ならば、受け取るかどうかからして駆け引きは始まるのだ。どこの世界であれ、それが裏返った常識と言うものではなかったか。
 再び私用のベルが鳴る。品は叩き返すつもりで、意気込んで受話器を取った。
 しかし彼は、メルテス倉庫社長秘書の言うなりに車を回さねばならない事態に追い込まれた。





 夫から二度目の連絡を受けた妻は、恐慌状態に陥った。娘の部屋にあがり、手にしたカッターでぬいぐるみを引き裂いていく。次々と、全て。
 娘はつい先程出掛けていった。ピアノを教えて頂いている先生のお宅で、レッスン仲間と共におやつタイムをはさんだミニパーティ。
 呑気そうな熊の腹に刃物を突き立て、ひょうげたカエルの頭を裂く。綿にまみれながら髪を振り乱し、先生のお宅でお夕飯まで娘をあずかってもらって良いだろうか、などと、母親は考える。こんなにしてしまった部屋とプレゼントを娘にはとても見せられない。
 パニックでありながら、自分の身の危険に関しては全く鈍くなっている。それこそ半ば錯乱している表れでもあるが、娘がこの場に居ないのだから、実際なにも怖いことはなかった。
 夫のいう通り、本当にこのプレゼントのどれかに爆発物が仕掛けられていようと、カッターを当てた瞬間に爆発しようと、娘は安全なのだから。


 
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