J9 基地のゲート1
□星とタカラモノ
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〜指し示すFire works 〜Isaac 8才〜
「それじゃあ5時にはお戻りですね?ご一緒出来れば一番いいのですが、、」
マルトフ家の馬屋番を務めるエイキンは、ホテルで目覚めてから何度となく同じ事を確認している。
「大丈夫だから早く行って。その、、デート、、なんでしょう?」
「は、あの、すいません、、」
往来も盛んな宮殿広場、大の男が子供に頭を下げている構図。気恥ずかしく思うのは、当のアイザックが彼のちゃんとした主人ではなく、マルトフ家の居候であるせいかもしれない。
「僕こそ、休暇なのについてきてしまって、本当に申し訳なく思ってる。面倒はかけないから、楽しんできて」
休暇と言ってもエイキンはここに実家があるわけではない。アイザックの図書館通いがなければ、彼女のアパートに泊まり込む予定の純粋なデート休暇である。
尚もあれこれ確認しようとする彼をどうやったら切り上げさせる事が出来るか、アイザックは思案して気づく。自分が目的地である所の市立図書館に確かに入ったのを見なければ、彼はこの場を後にできないのだ、と。
そうしてやっとアイザックは図書館の清楚な空気に身を包む事ができ、エイキンは彼女のアパートに向かった。
さて、アイザックは防寒ブーツについた雪を丁寧に落としてからコートを預け、目が回るほど高い天井を見上げて溜め息をついた。ことさら調べものがある訳ではない。北の国の長い冬、アイザックにとっては一番手軽にリラックスできる場所だった。伯父の書斎も悪くない。特に先代、、つまり伯父の父親、、から引き継がれている書棚などお気に入りだ。伯父とその妹であるアイザックの母とを育んだ人物が集めた蔵書は、父を亡くしたアイザックを物言わず見守っているようでもあり、本来男子が乗り越えるべき実父の替わりに、時間を越えて道標を示しているようでもあった。
館内は適度な温度と湿度。そして美術館や博物館にはない、机と椅子。昔の大学で、一部は博物館になっているが、川向こうの世界的な美術館と違って金目の物がないから強盗もテロも来はしない。
祖父の蔵書にあった本と同じ作者の物をみかけ、何となく手に取ったアイザックは、窓際の明るい席に落ち着いた。そうして片手を本の上に乗せ、ページは開かずにもう片手で頬杖をつくと、外を眺める。
厳冬季の最中、街はヨールカ祭り一色に華やぐ。路上市には大小のヨールカの木がならび、その隣ではヨールカを飾り付けるイルミネーションや小物がところ狭しと。お祭り用の食材も、マロースじいさんが子供にプレゼントするおもちゃも、年が明ければ2100年とあっては、ここぞとばかり売り子の呼び声も力が入る。
往来を、人々の行き交う様を見ているのがまた好きだった。伯父の別荘から見える広大な原野や針葉樹林も見飽きることはなかったが、人間の活動する姿に気持ちを引かれる。踏みしめるようにゆっくり行く人、談笑しながら蛇行して進むグループ、そういった人々の行き先や生活ぶりなどを、ついあれこれ想像して時間が過ぎてしまうのだ。
世界中が世紀末のクリスマスで騒ぐ頃、ここでは今年のスネグローチカ、、雪姫、、が選ばれ、大寒波の精霊であるマロースじいさんや子供たちと踊り回る。
自分は静寂に身を置きながら、人のざわめきに心を奪われているのもおかしいと言えばおかしなものだった。
本の扉も開かぬまま、ゆっくりと早く時間が過ぎていった頃、若い二人組の男が机をひとつはさんだ後ろに座った。どの来館者より近い距離だったが、元から館内自体が広いために、体格のいい方が酔っ払いらしいことも、本を読む風でもなく話し込んでいる声も、たいして気障りにはならなかった。
ある特定人物の名が耳に飛び込んで来るまでは。
「イワン・ゴドノフは無罪だ!」
心臓がビクンと跳ね上がった。
耳を疑う暇もなかった。まるで悪事を暴かれた罪人のように、振り向く事も出来ずに凍りつき、本に触れている指先から小さな震えが、やがて遠目で見てもわかるのではないかというくらい腕までもガクガクと震えだしていた。
怖い目に遭った子供が夜中に泣き出すような、それは恐れであったかもしれない。いったい何度、この言葉を叫んだだろう。何度、訴えただろう。投獄された父の無実を、繰り返し主張した分だけの、無言の否定と、激しい糾弾。子供の世界はもっと残酷に、事の顛末も状況の変化もあったものではない。終始一貫したからかいと罵倒、差別。父が、獄中にも関わらず自殺を遂げてからは、わずかな身内以外のすべての他人が、世界中が、冷たく視線を逸らした。子供騙しの生返事と、真偽を無視した同情。
父の死とともに真実を勝ち取る術を失ったアイザックは、叫ぶべき言葉を失った。
忌まわしい封印をされていた言葉を、今、見も知らない男たちが語っている。
「内部の者ならわかっていた筈だ。それをあんな、、どいつもこいつもだ!」
「中だけではないさ、君や私でさえ嗅ぎ付ける所までは行けたんだ。真実にたどり着いた人間だって居た筈さ。だが、その先が繋がらない。世の中全体がな、、そうなってる」
「そうなってるで済ませられるのか?ワインベルグが何をやって今の地位にいるのか、、、」
話し声のすべては聞こえてこない。だが、、。
(ワインベルグ!セルゲイ・ワインベルグ、、、、!)
「おい、声が大きい。その名前はまずいぞ」
酔っている男の語気が段々に荒くなるのを、もう一人がなだめているようで、話し声はさらに聞こえ難くなる。そうこうするうち、二人組は席を立った。
震えている場合ではなかった。彼等が行ってしまう!
横を通り抜けて行く二人に注目されまいと、本に顔を伏せてやり過ごす。彼等の後ろ姿が本棚の向こうへ消える前に立ち上がる。早鐘のように高鳴る胸を押さえつけ、後を追う。
あの人たちが何を言っていたのか知りたい。何を知っているのか知りたい。誰一人としてまともに向き合う事すらしようとしなかった父の真実を、唯一声に出して主張してくれた他人。