My little gray cells 番外編

□桜
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私はハミングならと、了承すると聞き慣れたメロディーを口ずさんだ。


「なんだか不思議な音だね。ニホンの歌かい?」

やはり、仏蘭西や大英帝国の音楽とは違って日本の音楽は独特なのだろう。

確かに私が日本にいる頃に教わった歌は、ピアノで弾くというよりも、お琴や三味線に合わせて歌うようなものの方が多いかと思う。

その前に最近まで日本にピアノはなかった。

当たり前のことではある。

嫌々やらされていたお琴や三味線のお稽古を思い出して隠れて顔をしかめた。


「はい。日本に古くから伝わる歌なんです。さーくーらー、って言うふうに....」

「シャクラ?」


シェイスタ君が私の発した日本語に眉を潜めた。

日本人が英語の発音に癖にあるのと同様に、欧州人は日本語の発音が出来ないと聞いたことがある。

「さくら、です。春に美しく咲く日本の誇る花です。」


私は机にノートを広げると、5枚の花びらを描いた。
確か、こんな感じだった気がする。


「あ、Fleurs de cerisierのことか!あまり見たことはないけれど写真なら図鑑で見たことがあるよ。綺麗だよね。」

また聴き慣れない言葉が出て、私は一瞬理解に苦しんだが、

それがフランス語で桜を意味していることを、私は数秒遅れで気がついた。


「作った人も分からない歌なんですけど、なんだか気持ちいい歌なんですよね。だからきっと、歌い継がれてきたんだろうなぁって思います。」

母から子へ

またその子へ

そして何年も何百年も

あの美しい桃色の花弁を手のひらに、子どもに歌い聞かせているのだ。

すっと目を閉じると、懐かしいあの頃を思い出す。

どちらかといえば裕福な家庭で育った私。

その我が家が栄えるまでを見守り続けた桜の大木。

母の小さな歌声と、鶯の心地よい鳴き声。

桜の香り。


「そうなのかもね。」

シェイスタ君の声を聞いて目を開いた私は、その慈しむような綺麗な微笑みにハッと息を飲んだ。

「サティーくんは、綺麗ですね。」

思っていたことがポロリと口から零れ落ちた。

まるで、女性のようだ。

こんなこと言うときっと怒られてしまうだろうが。


「....喜んでいいのかな、それは。」

怪訝そうな顔を隠しているかのように苦笑するシェイスタ君に気がついて、慌てて弁解するように、体の前で手を振った。

「悪い意味じゃないんです!その....絵画みたいだな、って。髪もふわふわですし、その髪色も、目の色も....。」


そう本当に絵から抜け出したような。


「絵画、か。それは光栄だね。」

サティー君がニッコリと笑う。

あぁ、やっぱり美しい。

もし、彼が本当は彼女だったら…。

と、また同じことを考えてしまい自分で卑下した。

「すこし照れるけれど。」

ふわふわの髪を綺麗な指先でいじりながら、本当に照れたように頬を朱に染めたサティー君。

なんというか、普通の男の子なんだ。


「シェイスタくんはすごく上品な人ですよね。」

「品が無い行動は紳士道に反するからね。」

紳士道とは、日本で俗に言う武士道と同じようなものか。


「話しやすくてびっくりしました。もっと話さない人なのかと思っていましたから。」

「?僕のこと、知っていたのかい?」


驚いたように目を瞬かせるサティー君に、黙っていてごめんなさいと微笑みかけた。


「成績上位者のところによく名前が入っていましたから。」

「....あぁ!なるほどね。あの無意味に思える表も意味があったんだね。」


やはり、成績上位者の言うことは違う。
私は必死に順位を上げようとしているのに。
頑張っても頑張っても、上位3分の1に入れるかどうかなのだから。

本当に彼はすごい。
私の持っていないものをたくさん持っている。

ふっと考え込む私の目を指した光に顔を上げると、もうすでに日は傾いており、
橙色が空を覆おうとしていた。

「あ、もう夕日が....」

私の言葉にサティー君が、時計を見上げる。
私もつられて見上げると、針は午後4時前を指していた。

「楽しくてついつい話しすぎたね。ごめん、わかば。何か予定とかなかったかい?」

「ええ、大丈夫ですよ。」

予定を放棄するためにここに来たのですから。

とは口に出さずに、微笑みだけを返した。

出しっ放しの本を片付けている時に、ふと私たちの始まりである、あの本に目が行った。

手にとって厚い革の表紙を撫でる。

「あ、サティーくん。」

「ん?どうしたんだい?」

「これ....読みますか?」


もっと知って欲しい。

貴方が素敵だと言ってくれた、私の母国を。

もし、出来ることならお互いの国を二人で行ってみたい。

この人となら、行きたい。

もし叶うなら、その時のために学んで欲しい。

なんて口には出せず、歯を見せて笑うしか出来なかった。


「ありがとう、わかば!借りて帰ることにするよ。」

それほど喜んでくれたのだろうか。

急に彼は私に飛びつくと、グリグリと胸に顔を押し付けた。


「!!!」

「あぁっ、ごめん!」


急いで離れた彼は、顔を覗き込むと謝った。

「大丈夫です、びっくりしただけ。嬉しかったらハグするのは当たり前なんですよね?」

「少なくとも僕はそう育ってきたから....本当にごめんね。」

謝らなくていい。

人間が嬉しいと微笑むように、
人間が喜ぶと声を上げるように、
表現がハグであってもなんの問題もない。

ただ、私が慣れてないだけだ。
次に彼に会う時にまでに慣れておかなければ。


「そんなに謝らないでください。じゃあ、私はもう行きますね。」

そろそろ戻らなくては、今日はシャーマンが久しぶりに寮に帰ってくる日だから、部屋を掃除する準備しなくては。

シャーマンは藁や動物の匂いを引き連れて帰ってくるから。


「また、いつか。」

どこか、名残惜しさを感じて私は頭を下げた。


「ありがとう、わかば。君は本当に素敵な女の子だよ。

また今度会ったときはゆっくりお茶でもしようじゃないか。」


もう二度と会えない気もするし、
それでも、また会えるような気もする。

名残惜しさを隠すために私は最後まで笑顔で手を振り続けた。
彼もまたずっと笑顔で手を振り続けてくれていた。

桜の花言葉は確か、
「優れた美人」だったはずだ。

彼はまさに桜のような人であったと言うことだ。


図書室

たまに行ってみるのも良いのかもしれない。

今度は仏蘭西の本を読んでみよう。

どうして彼がパリが汚いと言ったのか理解出来るかもしれないな。


「さあ、帰ってシャーマンと格闘しくちゃ‼︎」

私は意気込んで廊下をパタパタと、ベイカー寮に向かって走り出した。


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