My little gray cells 番外編
□Fleurs de cerisier.
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ワカバは渋りながらもハミングで良ければ、と言ってくれた。彼女の奏でたメロディーは聞いたことのない曲調だった。
「なんだか不思議な音だね。ニホンの歌かい?」
「はい。日本に古くから伝わる歌なんです。さーくーらー、って言うふうに....」
ワカバは歌詞を乗せてほんの少しだけ歌ってくれた。
「シャクラ?」
「さくら、です。春に美しく咲く日本の誇る花です。」
ワカバは机の上のノートに絵を書いて見せてくれた。
「あ、Fleurs de cerisierのことか!あまり見たことはないけれど写真なら図鑑で見たことがあるよ。綺麗だよね。」
ワカバの絵は上手いわけでもなく下手でもなかった。強いていうなら特徴をしっかりと捉えているわかりやすい絵だった。
「作った人も分からない歌なんですけど、なんだか気持ちいい歌なんですよね。だからきっと、歌い継がれてきたんだろうなぁって思います。」
目を閉じながら故郷を思っているようにワカバが言った。とても幸せそうだ。
「そうなのかもね。」
僕もつられて笑って言った。
「サティーくんは、綺麗ですね。」
「....喜んでいいのかな、それは。」
綺麗ですね、と言われて僕は困った。だって男に使う褒め言葉じゃあないだろう?ワカバも僕のことは男だと思っているんだし、どういうことだろう。
「悪い意味じゃないんです!その....絵画みたいだな、って。髪もふわふわですし、その髪色も、目の色も....。」
ワカバは慌てたように手を体の前で振ってから僕のいいところ語り出した。
「絵画、か。それは光栄だね。」
絵のように美しいということか。それで綺麗だ、と。違和感が無くなって素直に褒め言葉を受ける。
「すこし照れるけれど。」
僕は髪をいじりながらそう言った。
「サティーくんはすごく上品な人ですよね。」
「品が無い行動は紳士道に反するからね。」
「話しやすくてびっくりしました。もっと話さない人なのかと思っていましたから。」
「?僕のこと、知っていたのかい?」
僕はワカバの言葉にびっくりして聞き返してしまった。僕はここでワカバに気が付くまで知らなかったのに。
「成績上位者のところによく名前が入っていましたから。」
「....あぁ!なるほどね。あの無意味に思える表も意味があったんだね。」
いつもテストごとに張り出される成績上位者の表。僕はくだらなさすぎて見たことのないものだ。勉強は誰かと競うためにするのではなくて自分の能力を高めるためにするものだろう?それに書かれていることに満身してしまったらそこからどうやって成長するのだろう。ワカバはどちらかというと通りかかったときにたまたま見た、って感じなんだろうね。
「あ、もう夕日が....」
ワカバのその声で僕は今何時なのか、という疑問を持った。図書館の壁にかけてある時計が指すのは午後4時前。
「楽しくてついつい話しすぎたね。ごめん、ワカバ。何か予定とかなかったかい?」
「ええ、大丈夫ですよ。」
僕らは出しっぱなしの本を片付けながら会話をする。この本はこっちの棚で....。
「あ、サティーくん。」
「ん?どうしたんだい?」
「これ....読みますか?」
ワカバがそう言って差し出したのは彼女と出会うきっかけになったニホンの本。
「ありがとう、ワカバ!借りて帰ることにするよ。」
僕はその細やかな気配りが嬉しくて思わずハグしてしまった。
「!!!」
「あぁっ、ごめん!」
スキンシップに慣れていないのにこんなことをしてしまった。僕は急いで離れて謝った。
「大丈夫です、びっくりしただけ。嬉しかったらハグするのは当たり前なんですよね?」
「少なくとも僕はそう育ってきたから....本当にごめんね。」
ワカバはすこし無理をしているんじゃないだろうか。あぁ、女の子に気を使わせるだなんて僕はフランス紳士失格だ。
「そんなに謝らないでください。じゃあ、私はもう行きますね。
また、いつか。」
「ありがとう、ワカバ。君は本当に素敵な女の子だよ。
また今度会ったときはゆっくりお茶でもしようじゃないか。」
僕たちはお互いに手を振りあって別れた。最後までワカバはほほ笑みをたたえていた。彼女はシャクラ?サキュラ?....Fleurs de cerisierのような女の子だった。
「....すみません、これ、借りたいのですが。」
司書さんのいるカウンターに本をおいた。その本の表紙にも件の花が描かれていた。
夕日がさす図書館の中は閑散としていて、さっきまでの華やかな気持ちとは正反対だった。そのことからもワカバは花のような少女だったんだ、と改めて思い直した。その景色を遮るように扉が閉まった。廊下はとても寒くて冷たい。
「さて、僕のルームメイトはディーラーとベイカーの土の区別が出来ているのかな?」