My little gray cells
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「現場、というのは保健室なのかい?」
シャーロックの背中に乗ってついたところは見覚えのある扉の前。保健室、と書かれた看板が下げられている。僕らが中に入るとアドラー先生がいた。
「あら、来てくれたのねシャーロック君にサティー君。」
アドラー先生は机から立ち上がると手前のベッドのカーテンを開けた。彼女の片手には薬ビンが。
「ああー!来てくれてありがとう!君たちは本当の友達だよ!」
ベッドで眠っていたのはクーパー寮のバーニコット。僕らがベッドに寄るなり今にも感動で泣きだしそうな声で迎えてくれた。僕はここに来るまでに事件についての説明を受けている。今回はこのバーニコットの絵が盗まれたらしい。芸術を嗜む者としては目を瞑るわけにはいかない事件だね。僕らが少し騒いでいるとアドラー先生からたしなめる声が飛んできた。
「お静かに。向こうにもう1人寝てるから。」
そう言って奥のベッドを指さした。確かに人影が見える。普通の人より少し図体が大きい人のようだね。僕がじっとカーテンを見つめているとアドラー先生に頭を撫でられた。なんだろう、と見つめてみるけどアドラー先生は口を開く気はないらしい。僕は諦めてバーニコットに向かい合った。
「一体何があったんだ、バーニコット。」
シャーロックのその言葉でバーニコットは事件の顛末を語り出した。
「実はね、昨日の夜のことだ。僕は美術室で絵を描いていた。おたまじゃくし絵画コンクールは知ってるよね?」
「ごめん、僕は学校の行事には興味無いんだ。」
話し出したバーニコットの腰を早速シャーロックが折った。僕はシャーロックらしいね、と思いながらコンクールについて説明をする。
「おたまじゃくし絵画コンクールというのは毎年行われる絵画コンクールのことさ。その名の通りテーマはおたまじゃくし。そのテーマに沿ってアーチャー、ベイカー、クーパー、ディーラーの代表1名が絵を提出する。その中から優勝寮を決めるのさ。なぜおたまじゃくしかというと我らがビートン校の創設者、パーシー・フェルプス卿の幼少時代のニックネームがおたまじゃくしだったから、というビートン校でも1、2を争うユニークなコンクールさ。」
僕がさらりとそう答えるとシャーロックとジョンが驚いたように僕を見た。
「どうして転校生のサティーのほうがよく知ってるの?」
その言葉に僕は思わず苦笑してしまった。
「僕は図書館が大好きだからね。ビートン校の歴史も本で読んだのさ。」
「僕とは違ってアレクシアは幅広い知識を持っているからね。」
どこか拗ねたように言うシャーロック。なんだか彼に勝った気がして気分が良かった。拗ねている姿が可愛いと思ったことは僕の胸の中だけに留めておこうかな。
「まぁ、そういういわれのある伝統的な行事がなにか今回の事件と関係があるんだね?」
僕はそう言って話をまとめるとバーニコットに話を進めるように促した。
「実は僕は、今年のクーパー寮の代表に選ばれたんだ。
だから昨夜、僕は徹夜で絵を描いた。タイトルは『おたまじゃくし100匹』。朝方、99匹まで描いてあと1匹という所で僕は思わず大きなあくびをした。集中するとあくびが出るんだ。息を止めてるから脳が酸欠になるんだろうね。そういう時は外に出て、深呼吸をするとこにしてる。
その日もいつものように外で深呼吸をした。ところが戻って驚いた!『おたまじゃくし100匹』が消えちゃったんだ。どこを探しても見つからなかった。ドアの近くで物音がしたから僕はそっちを振り向いた。あれは絶対に犯人だ!!必死に追いかけたけど追いつけなくて逃げられた...。僕はショックで気を失ってしまった。」
俯きながらそう語ったバーニコットは本当に辛そうだった。
「ホームズ、サティー。お願いだよ、僕の絵を見つけておくれよ。明日が締切なんだ!」
今にも泣き出しそうなくらいでバーニコットが言った。
「分かった、なんとかするよ。」
シャーロックのその言葉に僕も強く頷いてみせた。バーニコットはそれだけでふわりと表情を和らげてくれた。彼が苦しんでいる姿なんて見ていたくないからね、早く見つけてあげないと。僕はひとりで心にそう決めていた。僕を乗せた馬車はもう走り始めている。
「はぁい、カバちゃん。お薬の時間よ〜。」
僕らのところにアドラー先生が薬のビンと匙を持ってやってきた。薬を取る時間らしい。アドラー先生は流れるような手つきでビンのフタをとり、匙を差し込んで中から蜂蜜のような半個体のものをバーニコットの口へ運んだ。
「はい、お口開けて?あーん。」
まるで子供に囁きかけるようにアドラー先生が言う。口を開けてもらうために自分が開けることで相手に同じ行動を取らせる。僕は別になんとも思っていなかったのに隣に立っているシャーロックがそれを興味津々、と言ったように見つめていた。
「そう、上手ね。苦くないでしょう?」
アドラー先生は子供に話しかけるようにバーニコットに話しかける。僕らは難しい年頃、というヤツだけどバーニコットはそこまで子供じゃないと思うんだけどな。彼女からみればまだまだ子供だけれどね。僕は自身を棚に上げたような考え方をしていて少し笑った。目線だけ隣に向けるとまだシャーロックは2人を見つめている。
「ねぇ、ホームズ、サティー。犯人はなんで絵を盗んだんだろう?」
「バーニコットに優勝させたくなかったんだろう。」
さらりとシャーロックがそういったので僕も続いた。
「けれどそれならその場で破り捨てることだって出来たさ。」
「この事件、持って逃げたというところに鍵がありそうだ。バーニコットの絵が必要だったんだ。」
シャーロックはやっとあの2人から目を離してそう言った。僕もその意見に頷く。馬車は快調に走ってくれている。
「と、いうことは?」
ジョンは先を促すように、でも腹立たしいわけでもない顔を僕らに向ける。
「破くつもりで美術室に侵入したんだけど、予想外に絵が上手くかけていた。だから犯人はそこで計画を変えたのさ。」
ジョンのために噛み砕いて説明する。そのおかげで僕の中の道順も考え直せるから感謝だね。
「その計画は、自分の絵とバーニコットの絵をすり替える。つまり、バーニコットの絵を自分の絵として出品することにしたんじゃないかな。」
シャーロックが僕らの意見をまとめてそう言った。ジョンは心底不思議そうな顔をこちらに向けていた。
「盗んだ絵で優勝したってしょうがないじゃないか。」
なんて真っ直ぐな人間なんだ、と僕は感心した。こんな人間だからこそ、シャーロックや僕なんかと仲良くやれているのかもしれない。
「そう思わない人間がいるってことさ。」
こんなふうに世界を斜に見てしまうシャーロックと僕。けどジョンは全然違う。真正面からしか見ることが出来ない。欠点だらけではあるものの、その視点が僕らを支えてくれているのかもと思うとジョンに深い感謝の念を抱いた。
「よし、じゃあまずはコンクールの他の候補者を当たってみよう。」
「ならパイクのところかい?情報なら彼に聞けば間違いない。」
僕らが頷きあっているところにアドラー先生がふらりと入ってきた。
「さすがシャーロックくんにサティーくん。冴えてるわね。」
少し挑発するように言われたその言葉は大人の色気を含んでいて、僕は一生この人には勝てないと悟った。...僕はシャーロックにこんな人と比べられているのかい?もしそうなら勝ち目なんてないじゃないか。そう落ち込んでいるところに全く同じ言葉が男の人の声で聞こえてきた。
「さすがシャーロックくんにサティーくん、冴えてるわね。」
僕らは一斉に声のした方を向いた。それは病人が寝ていると紹介を受けた奥のベッドだった。中の人物がこの部屋とベッドを仕切っていたカーテンを開けた。
「兄さん!」
「マイクロフトさん!」
僕とシャーロックが声を揃えて言った。ジョンも遅れて、ホームズのお兄さん!と続いていた。アドラー先生がぽん、と胸の前で手を叩いて思いついたような顔をしていた。
「相変わらず見事な推理だな。まぁ、大好きなアドラー先生の前ではいつも以上に力が入るのも分からないでもない。なぁ?アレクシア?
僕も君の前では特別格好をつけようとしてしまうからね。」
ぱちん、と飛ばしてきたウインクに僕が戸惑っているとシャーロックが僕の袖を軽く引っ張ってくれた。おかげで現実に戻ってきた気がした。
「やっぱり兄弟だったのね。同じホームズだからそうかな、と思っていたけど。」
にこやかに言うアドラー先生。シャーロックとマイクロフトさんの顔を見比べて兄弟だと確信しているようだ。一人っ子の僕からすれば兄はとても羨ましい存在なんだけどな。
「弟はアドラー先生にぞっこんなんですよ。」
「!兄さん!」
シャーロックがこちらをちらりと見てからマイクロフトさんを遮る。一瞬、目が合ってなんだろうと思って首をかしげたらシャーロックはほっとした顔になっていた。ますますわけが分からないよ。
「女性に興味を示すなんてこいつにしてみれば珍しいことなので...宜しくお願いしますよ。」
からかっているようにシャーロックを見ながらマイクロフトさんは言った。僕はまたひとつ、アドラー先生には敵わないんだと突きつけられているような気がして下を向いた。
「っどうしてこの人がここにいるんですか!」
兄さん、と呼ばないあたりにシャーロックの意地が見えてる。アドラー先生によれば、マイクロフトさんは朝から体調が悪かったらしい。
「珍しくお腹を壊してしまってね。先生からいただいた薬が効いたみたいなのでそろそろ戻ります。
じゃあな、シャーロック。」
そう言って去るのかと思っていたら僕の横で止まった。何かと思って彼の顔を見上げる。するとだんだんマイクロフトさんの顔が近付いてきて、僕の耳元まで来た。
「そろそろはっきりとした方がいいんじゃないのか?あいつはああ見えて鈍感だからな。」
その囁きを残して本当にマイクロフトさんは去っていった。僕は思わず顔を赤くしてしまった。なんてことだい、マイクロフトさんにまでバレていたんだ...僕がシャーロックのことを好きだということが。
「アレクシア、何言われたんだ?」
「え?あ、いや、君には関係ないことさ。気にしなくていいよ。」
僕は誤魔化すように笑ってそう言った。アドラー先生は気付いたのかくすっと笑って机の方へ向かった。そんな先生をシャーロックは止めた。
「アドラー先生。」
「なぁに?」
「兄の病気はなんなんですか??」
シャーロックにしては珍しく、マイクロフトさんのことを気にしていた。
「あぁ、多分...仮病ね。」
「飲ませた薬は?」
その質問を待っていたかのようにアドラー先生はにっこりと笑った。
「ただの蜂蜜よ。」
そう言ってすぐにふと制服を見て思い出したようにアドラー先生が口を開いた。
「ねぇ、どうしてあなたたち兄弟なのに寮が違うの?
お兄さんはディーラーであなたはベイカー。」
その質問にシャーロックは眉根を寄せた。僕は慌てて馬車を止めてシャーロックの顔を見つめた。いつもは不敵に笑っている隣人は壊れそうなくらい繊細な表情だった。
「もうその話はやめましょう。」
シャーロックのその声で保健室は静まりかえった。僕は不安で仕方ない。何もできることはない。ただ、そっと上着の裾をつまんだ。それだけでシャーロックの顔が緩んだ。僕はそれに自惚れてしまっていいのだろうかと自問した。その自問はシャーロックが急に僕の頭に手を置いたことで極度に緊張したせいで消え去った。