12月10日、皮肉にも私の誕生日に婆ちゃんは施設にいってしまった。とてもとても寒くて雪がいっぱい降る年だった。ホームに入り、慣れない環境、淋しさ、恋しさが募ったのか、婆ちゃんは一気にたくさんのことを忘れていった。顔も別人になった。身内のことも忘れた。たったの一週間足らずで…。それでも記憶は時々戻ってくる。そうすると、私と母さんに一日中電話をかけてくる。「ここを出たいから二人で家を借りて一緒にくらそう」か細い声で言う。自分のおかれている状況も解らない婆ちゃん。私は出来る限り会いに行った。日に日に私の事を思い出せなくなってゆく。その変わり果ててゆく姿。施設で、涙を流しながら、こらえながら、会いに行った。それでも私が見えなくなるまで見守ってくれる帰り道。寒いのに外に出て見守ってくれる。帰って毎晩泣き続けた。三日も四日も大泣きし続けた。彼が黙って手を繋いで抱きしめて寝てくれた。夜中にも毎晩うなされ目が覚める。そして目を腫らした毎日を過ごした。日中は仕事中にも公衆電話からの電話が鳴る。10円ずつしかいれないから10秒とかで切れる。それで、婆ちゃん10回も20回もかけても用件が言い終わらない。けど、生まれ育った江田島に帰ろう、江波に帰ろうと言いたかったのだ。施設の人に、「一日中ロビーの公衆電話の前から離れないのであまり電話にでないようにしないと自立できない」と言われた。馬鹿か。絶対出るし。そんなある日、見慣れない番号から電話があった。下三桁が110。…!どこかの警察だ、と気付き慌てて電話に出た。婆ちゃんが保護されていた。施設を抜け出し、スリッパのままで。急な坂道を下り、迷子になっていたところを近所の人が警察に連れてってくれた。そして、「孫のところへゆく途中です」と警察の人のうしろで婆ちゃんの声がする。涙が止まらず、電話を代わってくださいと頼んだ。「今そっちに向かっとるけん、夕方には着くと思うわい」婆ちゃんは言う。分かった、待ってるね…泣きながら返事をする。自分がどこに居るかもわからないくせに…。仕事中だったので母さんが迎えに行った。婆ちゃんはビリビリに破れた小さな電話帳だけ大切に握りしめていたとのこと。そこに書いてあったのは私の携帯番。それを見て警察から私に連絡があったのだった。どんなに記憶が失われても、それをしっかり手に握り、それだけを持ち、スリッパで施設をとぼとぼ抜け出す。何度となく、数日おきにあちこちの警察から連絡が続いた。江波からということもあった。保護してくれた近所の人が、江波に帰ると言う婆ちゃんを車ではるばる江波の交番まで送ってくれたらしい。江波にはもう家はないのに…。辛くて辛くて毎晩泣いた。施設から出して一緒に暮らそうと考えた。だけど常に一緒に居なくては危ないので、仕事を辞めないと無理だという現実問題があった。婆ちゃんに会いにゆくたびに、私という人物は、時に孫の佳壽子、時にいとこ、時に妹、時に嫁、時に江田島の誰か、そして、ときに知らない女の子だった。それでも心のどこかで忘れていないのも伝わった。私には分かった。日々、徘徊はひどくなっていった。ついに探知器を付けられた。ある日、夜中に婆ちゃんがいなくなった。施設の門が閉まっているので、どこかから抜けようとし、どこへゆこうとしたのか。小さな崖から落ちて、顔面にも大怪我、肋骨を折った。私はもう限界だった。どうしてずっと一緒に居てあげられなかったのだろう、わたしが婆ちゃんにとってのいちばんの生き甲斐だったのに。私が一緒だったら淋しい思いをすることもなかったはず。婆ちゃんの作る御飯、一緒に食べてあげればよかった。施設に入ることになったのはわたしのせいだ。ずっと一緒に暮らせる方法が他にあったはず。それなのに私は婆ちゃんにずっと淋しい思いをさせ続けた。こうなったのも私のせい同然。婆ちゃんをいちばんに考えてあげられていたらこんなことにはならなかった。私のせいだよ…。いちばん大切な婆ちゃんなのにわたしがこうしてしまった。後悔し続けた。毎晩、婆ちゃんと話している夢をみる。悔やむ日々。どうしてひとはこうなってしまうまで大切なものを忘れてしまうのだろう。気付くころには遅いというもので。婆ちゃんの状態は悪化の一方だった。私が会いにゆく帰り道、振り返っても私を恋しそうに見送る姿はもうなかった。寒いからこれでいい、そう思いながら泣きながら帰る。ついに、グループホームへ移ることが決まった。これまでよりも設備の整ったところで、一人部屋もあり、オートロック完備のグループホーム。徘徊の心配もなくなり、一人部屋という自分の空間をもてることになった。状態も少しずつ落ち着き始め、私の事を再び思い出したりもするようになった。一時は話さなくなっていた私の幼少時代の話を時々、話してくれるようにもなった。私以外の人の記憶はあまりないみたいだけど。私の事も時々わからなくなれけれど。それでも毎日私が来る事を期待している。私があげた指輪を眺めながら私を待っている。人見知りするので、ホームの人とはあまり一緒にいないで部屋で本ばかり読んでいる。だから私は本をいっぱい買って届ける。彼が婆ちゃんに本を買ってあげなよと図書カードをくれたので、立派な詩集を買ってあげることもできた。毎週休みのたび、ケーキやお菓子を持って、本も雑誌も有りったけ買って婆ちゃんのとこにゆく。それが今更ながら出来る唯一の婆ちゃん孝行。今更なによ…って自分に腹が立つ。もっと前からずっと婆ちゃんが淋しい思いをしないようにいっぱい一緒に居ればよかった。今更何やってんだろう…毎日思う。それでも会いにゆくたびうれしそうな顔をするからとにかくいっぱいゆく時間が欲しい。嬉しそうにケーキを食べる顔と、おいしいって声が聞きたくてホームに通う。時々私を忘れているけどちゃんとまた思い出してくれたりもするから。そんな中でも、私がうたた寝すると婆ちゃんは布団をかけてくれている。そのへんは昔と変わっておらず、小さな頃から佳壽子が風邪をひかないようにといつもいつも気にかけてくれてた頃を思い出す。寝相の悪い私があがいて布団を蹴り、いつも夜中に何度も起きては布団をかけにくる。そんな婆ちゃんの姿はまだ消えていない。ずっと消えないよう祈ります。

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