弱虫ペダル 短編
□国際電話
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「…くしゅっ」
名無しさんが何度目かのくしゃみをした時、
イギリスに居る巻島の声が、
電話を通して耳に届いた。
《悪い、長電話になっちゃったッショ》
そう言われて時計を見ると、
針は次の日を指していた。
手が届かない場所に行ってしまった彼を少しでも近くに感じたくて、
電話の度に、つい長電話をしてしまうのだ。
「ううん、私の方こそごめん…んくしゅっ」
《もう寝るッショ、そっちは夜だしな》
「ん、じゃぁ、そうするね」
《おやすみ》
「巻ちゃん待って!」
《何ショ?》
「ちゅーして」
ふいの 名無しさんの言葉に
巻島が固まった。
沈黙が続く。
《…な、何言ってる………のかな?》
「だから、ちゅーしてってば」
《む、無理ッショ……こ、ここから日本までどんだけ離れてると思ってr》
「してくれないなら巻ちゃん好みのグラビアモデルみたいに、おっぱい大きくなれる方法を東堂くんに今から教えてもらってくる」
《な!…ちょ、まっ、行くな!アイツ絶対いやらしい考えしかないッショ!》
慌てる巻島に 名無しさんは
可笑しくなって、
「くすくす、冗談だよ」
《だーもう!びっくりするッショ。そういう冗談はやめてくれ、俺は 名無しさんに何かあっても直接助けてあげられない距離にいるんだからよォ》
「うん、ごめんごめん」
”直接 助けてあげられない距離“
声はすぐ そばに感じるのに、
手すら繋げない遠い距離。
寂しさが伝わらないよう
名無しさんは笑顔を見せた。
「からかってごめんね。
じゃぁ、もう寝るね。巻ちゃんおやすみ」
《……》
名無しさんが電話を切ろうとした瞬間
《 名無しさん、 》
「ん?」
《……必ず迎えに行くッショ、》
「え?」
《そんで、すぐ手の届くような距離にいて……その……ず、ずっと 名無しさんが不安にならないようにするッショ ……だから……、》
「巻ちゃん…」
《もう少し、待ってて欲しい………》
最後の言葉は殆んど
消え入っていて
彼の声は耳を澄まさなきゃ
聞き取れないような
まるで糸のような 細い 声になっていた。
「うん、待ってる」
気の利いた言葉をかけるのが
苦手な彼が自分を安心させるように
細い背中を恥ずかしそうに
丸め、緑の髪を掻きながら
口にしたのかと思うと
名無しさんは嬉しさを覚えた。
名無しさんは少し早い春の木漏れ日のように
静かに笑みをこぼす。
きっと、きっと
何度目かの季節が巡って
ちょっと奇抜なタキシード姿の
彼が迎えにくるのは
まだ、もう少し先のお話し。