‡龍が如く‡

□B
1ページ/1ページ


ぐったりと体を投げ出した名無しさんをそのままに、阿波野は冷蔵庫から取り出した缶ビールを一気に飲み干した。


その後リビングに戻った阿波野は手にしたミネラルウォーターを口に含み、名無しさんを抱き起こす。

からからに乾いたそこに流し込まれた水を名無しさんは貪り、ようやく呼吸が落ち着いたところで阿波野の横に体を起こした。


「なんだ、犯されたってのに嬉しそうだな」

その表情を窺い阿波野が言うと、名無しさんは慌ててそれを訂正する。

「違います、やきもちを焼いてもらえたことが嬉しいんです」


名無しさんの言葉に途端に仏頂面になる阿波野だったが、頬をなでる手のひらは優しかった。


「でもどうしてその話を知ってたんですか?」

その時、名無しさんがふと疑問を口にした。


阿波野は一度名無しさんを見て目を逸らし、それから話し出す。


先日宗兵が見合いの話をしていて、その写真は男だった。

宗兵の身内で見合いさせるような女など思い当たらず、そんな中名無しさんが宗兵に呼び出されたと言う。

ここまで存在を無視しといていきなり呼び出す理由なんざそれしかねえだろ、と。


やっぱり嬉しくて笑みが零れそうになるが、大事なことを思い出して名無しさんは阿波野さん、と切り出した。

「ごめんなさい、お見合いは断ったんですけど…少し腹が立ったので、余計なことを言ってしまいました。阿波野さんのことを知られてしまうのも、時間の問題です…」


その申し訳なさそうな声に阿波野はふん、と鼻を鳴らして名無しさんを見る。

と同時に小さくアラームが鳴り、名無しさんは常に持ち歩いているポーチから薬を取り出した。

阿波野を煩わすことがないよう、迷惑にならないよう、自分で選択して飲み始めた薬だった。


それをじっと見ていた阿波野は、名無しさんの手からそれを奪い取った。

そのまま握りつぶしてゴミ箱へ放り込む。


「だめです、大事な薬なんです!」

「ただのサプリメントなんだろ?」

慌てる名無しさんに、それが本当はどんな物か知っていて阿波野は言う。

「…っ、でも」


「産めよ、泰平一家の跡取りをよ」


あまりにも自然に言われ、数秒遅れで心臓がどくんと脈打った。

「阿波野、さん…?」

「分かんねえか?…嫁に来いっつてんだよ」


「…っ、そんな、つまらない冗談を。…からかわないで、ください…」

それでもどうしても信じられず俯いてしまった名無しさんを、阿波野は強く抱き寄せた。


「馬鹿野郎、んなこと冗談で言うかよ」

好きだとか愛しているとか、そんな言葉を望んでいたわけじゃない。


けれど阿波野は望んでいた以上のものをくれた。

それが嬉しくて、名無しさんは涙を零すのだった。





もう一度、今度は静かに抱き合いふたりは求め合った。

しかし阿波野が中に入ってきた時、奥が熱く鈍く痛み、名無しさんは顔をしかめる。


「やっぱつれえか」

先ほど乱暴にしたのが原因だと気付いた阿波野が抜こうとするが、

「やめないでください…っ」

名無しさんが切なげに懇願した。

「少しでも長く…、阿波野さんを、感じていたいんです…」


「これが最後じゃねえだろ?」

「それでも、です…!」

「…おかしな女だ」

呆れたように笑いその後いつものように抽挿を始める阿波野に与えられる痛みと快感が、名無しさんにとっての幸せの証だったから。


「愛して、ます…、ひろきさん…!」

自然と口をついて出た言葉。


けれど口に出したことでようやく気付く。

今まで自分の気持ちに無意識に蓋をしていたんだということに。


それでもこぼれてしまったかけらが阿波野への気持ちだと思っていた。

けれど今その蓋を開けてしまった。

堰を切ったように阿波野への想いが溢れて、涙が止まらなかった。





そしていつの間にか名無しさんは気を失い、目が覚めた時には夜が明けていた。


時計を見るともう昼近い。

阿波野は事務所に出かけている時間で、しかしいつもなら出かける支度をしている時に起きるのだが今日は気付かなかった。


顎までしっかりとかけられた布団、枕元にはミネラルウォーター。

阿波野の心遣いに笑みが零れ、同時に昨晩のことを思い出し嬉しくて泣きそうになる。


今夜組に話をする、お前も同席しろと阿波野が言っていた。

夢なら醒めないでと祈りながら名無しさんは軋む体をなんとか起こして水を飲み、支度を始めた。





***





その後大騒ぎになったのは、言うまでもない。


堂島の人間を手に入れたことで、兄弟分たちの間にも反感が生まれる。

しかし阿波野は、名無しさんの名字を考えたのは一度だけ…初めて抱いた時だけだと言った。


こうなることが分かっていたから、名無しさんには誰にも言うなと言った。

だからもちろんそれで組の関係をどうこうなんてことは、考えたこともないと。


「俺はな、こいつが俺のそばにいりゃそれだけでいんだよ」

そう言い切った阿波野に抱き寄せられた名無しさんが真っ赤になり、傍で聞いていた弥生がひゅう、と口笛を吹いた。


阿波野は名無しさんに家を捨てられるかと訊いた。

阿波野には名無しさんが周囲に与える影響がどれほどのものか分かっていたからだ。

そして名無しさんの答えは、即答でYESだった。


「縁を切ってくださって結構です」

気を取り直した名無しさんが、姿勢を正し宗兵を真っ直ぐに見る。

「堂島名無しさんという人間が愛する人と結婚するだけ。私の結婚は私だけのものです」


直後にそこは私“たち”にしとけよと突っ込んだ阿波野は、

「ま、今日は報告だけなんで」

そう言って名無しさんを連れ堂島組事務所を後にした。





***





『でも本当は分かってるんです。そんな影響力、私にはありませんよね、兄さま?』

帰り際名無しさんが言ったことを思い出し、お前は本当に分かってないと呆れたように阿波野は言う。

堂島宗兵と義兄弟になるということがどういうことなのかということを。


けれどやはり名無しさんにはそんなことは関係なくて。


「私にはどうでもいいことです。阿波野さんに有利になることなら何でもしたいところですが…」

「……」

何かできるかどうかは別として、阿波野がそれを望まないことはよく分かっていた。


だから名無しさんは口をつぐみ、阿波野にもたれる。

見上げた名無しさんの唇には、優しい口づけが落とされた。










.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ