‡龍が如く‡
□簪
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ふたりの始まりは、町で浪人に絡まれている名無しさんを京都見廻組が助けた時だった。
洛外の茶屋で働いている名無しさんと顔見知りだった佐々木が名無しさんを家まで送り、ひとりにしないでと泣く名無しさんをそのまま抱いた。
それは不思議なほどに自然なことで、それからも佐々木は度々名無しさんのもとを訪れるようになったのだった。
その日佐々木は虫の居所が悪かった。
原因は新選組との諍い。
笑顔で出迎えてくれた名無しさんを強引に抱き寄せ、簪を抜いて押し倒す。
乱暴に着物をはだけさせた時、ふと佐々木の頬に手が伸ばされた。
「何か、あったのですか…」
「っ、余計なことは考えんでええ」
直後その手を振り払い体を起こした佐々木は吐き捨てるように言う。
「お前はワシの都合のいいように脚開いとけばええんや」
そして着物を直す手をびくりと止めた名無しさんには一瞥もくれず
「帰る。見送りはいらん」
そう言って背を向けた。
「佐々木様…っ」
それでも後を追おうとする名無しさんだったが、ぱきんという何かが割れる音に気を取られている間にぴしゃりと戸が閉められた。
いやだと泣き叫んでくれたらあるいはよかったのかもしれない。
悟ったような落ち着きと優しい笑みが佐々木を苛立たせた。
自分の感情をコントロールできない子供のように名無しさんに苛立ちをぶつける自分を見透かされたような気がして。
同時に心にもないことを言ってしまったと思っていることも確かだった。
しかし名無しさんの前では必要ないはずのつまらないプライドが邪魔をして、その後佐々木の足は遠のいてしまった。
***
それからしばらくの月日が流れた頃、佐々木の姿がそこにあった。
意識的に避けていたはずの場所――…名無しさんの家に。
「佐々木様…!?」
初めこそ驚いた表情を見せた名無しさんだったが、すぐに以前までと変わらない笑顔を浮かべ佐々木を迎え入れた。
「お仕事お疲れ様です。今日は美味しそうな里芋を頂いたので…、あの、佐々木様…?」
「なんで怒らんのや」
佐々木は話しながら囲炉裏の方へ向かおうとする名無しさんの腕を掴み、強引に体を反転させられて戸惑う名無しさんに問う。
「最低なこと言うたんやぞ、それもただの八つ当たりや。むしゃくしゃしとったからいうて、女にとってあれは言うて赦されることやないやろ」
「怒っては、いないです。ただ、」
言われた名無しさんは小さく首を振り、少し言い淀んでから続ける。
「ただ少しだけ…、かなしい、と思っても…よかったのでしょうか…」
考えないようにしていた。
考えてはならないと自分に言い聞かせていた。
けれどどうしてもそんな風に考えてしまう自分が赦された気がして、名無しさんは安堵の表情を浮かべてしまっていた。
それを理解した上で佐々木は、そんな名無しさんを強く抱きしめた。
「堪忍な…」
「…っ、」
抱きしめられるあたたかく強い力と優しく紡がれた言葉に、名無しさんは自分の気持ちが溢れるのを止められなくなってしまう。
でも、と小さく呟きながら佐々木の着物をぎゅっと握る。
「そんなことどうでもよくなるくらい…今は、さみしかった…」
佐々木は腕を緩め名無しさんを見た。
恥ずかしそうに俯くあごを捉え上向かせながら身を屈める。
そこに静かに唇を重ね、ゆっくりと簪を引き抜いた。
***
抱きしめられた佐々木の胸で微睡んでいた名無しさんは、ふと思い出したように体を起こす。
「お腹、すいてないですか?今火を…」
着物の前を軽く合わせ髪をまとめようとする名無しさんに向けて、佐々木の手が差し出された。
「これ…」
「こないだ踏んづけて壊したやろ」
「そんな!お気になさらないでください…!」
その手にあったのは、可憐な花のあしらわれた簪だった。
思ってもいなかった詫びの品に恐縮しきりの名無しさんだったが、せっかくの佐々木の厚意を無碍にするのも失礼だと思い直す。
「でも嬉しいです、ありがとうございます…」
名無しさんは受け取ったそれで髪をまとめ上げた。
「似合いますか?」
「…、ああ」
そのはにかんだ笑みに年甲斐もなく照れくさくなってしまい、佐々木は肯定の返事を返しながらも不自然に視線を逸らしてまう。
「柄にもないこと、してしまったと思ってますよね?」
そんな佐々木を見た名無しさんは、そう言っていたずらっぽくふふっと笑う。
しかし直後はっとした表情を浮かべ、そして申し訳なさそうに俯いた。
「ごめんなさい、また余計なことを…」
「また?」
「あの日も…佐々木様がとても苦しそうなお顔をされていたので…つい、口をついて出てしまって…」
『何か、あったのですか…』
あの日の名無しさんの表情と言葉を思い出し佐々木はようやく気付いていた。
見透かそうとしているわけじゃない、名無しさんはただ自分を見てくれていただけなのだと。
そしてそれこそが、自分がいつの間にか彼女に甘えてしまっている理由なのだと。
気付いてしまえばあとは余計な感情は必要なかった。
ただ愛しいという想いだけが佐々木を支配する。
佐々木は腕を伸ばし、目の前の体を抱きしめた。
名無しさんもそっとその背中に腕をまわす。
「お慕いしています、只三郎さま…」
それに応えるように力が込められたあと、まとめたばかりの髪が、もう一度静かに背中に落ちた。
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