‡龍が如く‡

□恋する瞬間
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峯さんは好きじゃない。

だって何を考えているのか分からない。


あの貼り付いたような笑みも苦手。

うまく笑い返せなくなってしまうから。





お兄ちゃんのおつかいで訪れた白峯会。

そこの会長が峯さんで、あたしたちはそこで知り合った。


後で聞いたらわざわざ白峯会に用事を作ったなんてしれっと言われたけど、自分のことはさておいてもあたしのことを心配してくれるお兄ちゃんの気持ちも汲んで、あたしは峯さんのこと、前向きに考えてみることにした。

――のだけど。


たぶん峯さんのことを、あたしは好きにならない。

それが峯さんと何度か逢ってみて出した、あたしの結論。


理由は最初に言った通り。

いくらお兄ちゃんのすすめでも、好きじゃない人とは付き合えないよ、ごめんね。


そんな風にお兄ちゃんに自分の気持ちを伝えた数日後、峯さんからお誘いのメールが届いた。


峯さんと逢うのはこれで最後にしよう。

あたしはそう決めて、了承の返信をした。





***





待ち合わせ場所に近付いた時、橋の欄干に肘をついて川面を眺めている峯さんが目に入った。

それと同時に、母親に手を引かれた子供がもう片方の手に持った袋を一番近くにいた峯さんに渡すのが見えて、あたしはふと足を止めた。


戸惑ったような表情の峯さんに何か告げると、子供は手を振りながら母親とともに帰って行く。

手渡された袋の中身も気になったけど、それよりあたしの意識を奪ったのは、初めて見る峯さんの表情だった。


目が離せず、そこから動くこともできなくなってしまったあたしの視線の先で、次に峯さんが見せたのは困惑。

そしてその後訝しむように袋の口を開けた峯さんを襲ったのは、その中のものを虎視眈々と狙っていた、鳩だった。


二羽の鳩が同時に飛びかかってきたせいで袋の中身がぶち撒けられ、それを狙って更に大量の鳩が峯さんに襲いかかる。

あたしはその瞬間、心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。


鳩に襲われる峯さんにではなく、その時峯さんが見せた表情に。

驚いて目を見開き、けれどすぐに困ったように目を細め、なんだかこの状況を楽しむかのような峯さんの屈託のない笑顔に。


そこにいたのは、一緒にいる時は垣間見ることすらできなかった――あたしの知らない峯さんだった。


***


「名無しさんさん」

その時ふいに声をかけられて、体がびくりと震えた。


そうだった。

あたしはその峯さんと待ち合わせをしていたんだった。


そのためにここに来た、はずなのに。


「来てくれてありがとうございます」

「――…っ!」

言いながら目の前に立つ峯さんを見上げた瞬間息が詰まるような苦しさをおぼえたあたしは、

「名無しさんさん?どうか…」

「やっ」

伸ばされた手を払いのけ、踵を返しそこから逃げ出していた。


この苦しさはいきなり走り出したせいだと自分に言い聞かせてみるけど、顔が熱いし耳もものすごく熱い。

見なくたって分かる…あたし今、真っ赤だ。





***





結局逃げきれなかったあたしは、薄暗い路地裏で峯さんの腕の中に捕らえられていた。


「離して、ください…」

「嫌です」

「あたし今日、もう峯さんとはお逢いできませんと言いに来たんです…!」

「そんな顔を見せられて、はい分かりましたと言えると思いますか?」

「…っ」

混乱した頭の中に浮かんだ今日の目的をあたしは口にしてみるけど、意にも介さない様子で言い返されて言葉に詰まってしまう。


すると、そんなあたしの頭の上に小さなため息が降るのが分かった。

「本当は俺も諦めるつもりだったんですよ。ですが、悪いのはあなたです。責任――、とってくれますね…?」


「や、峯さ…っ」

峯さんの腕が緩んだと思ったら、そのままあごを捉えられ上向かされて、あたしは唇を塞がれた。


重ねられているのはもちろん峯さんの唇で、だけど経験のないあたしは滑り込んでくる舌に翻弄されるばかりで、でも峯さんの腕の中から逃げ出すこともできず――…

気付いたらあたしはまた、峯さんに強く抱きしめられていた。





「さっきも言いましたけど、俺も今日で最後にしようと思っていたんですよ」

しばらくの沈黙の後、峯さんがぽつりと言った。

「あなたは、笑ってくれませんでしたから」


――え?峯さんがそれを言うの?


驚いたあたしは、

「そう見えたのなら、それは峯さんのせいです」

そう答えて顔を上げた。


当然峯さんも驚いていたみたいだけど、あたしはそれを見ないふりで言葉を続けた。

「峯さんが笑ってくれなかったからです。楽しくないのならなんであたしを誘うんだろうってずっと疑問でした。お兄ちゃんに紹介された手前しかたなくなのかな、とか…」


「…やはり笑えていませんでしたか」

「え?」

その時思ってもいなかった言葉で遮られて、俯きかけていたあたしはもう一度顔を上げた。


「俺は初めて逢った時にあなたを好きになりました。あなたを誘ったのはあなたに逢いたかったからです。ですが好きになればなるほど…、」

そこで一度言葉を切った峯さんは、これでも緊張していたんです、笑っていいですよと自嘲気味に笑った。


なんでもスマートにこなしてしまうような峯さんの不器用でストレートな告白に、あたしは顔が熱くなるのを感じながらふるふると首を振った。

そしてその胸をそっと押して少しだけ体を離し、まっすぐに峯さんに向き合う。


「正直、峯さんのことは好きにならないと思ってました」

峯さんの想いに応えなくちゃいけないと思ったから、あたしはごまかさずに伝えることにした。

「だけど、どうやらあたしはついさっき、峯さんに恋をしてしまったみたいです」


「名無しさんさん…」

峯さんは嬉しさと安心が綯い交ぜになったような表情であたしを見ていた。


これもまた初めて見る峯さんだと少し嬉しくなりながら、あたしは続ける。

「もっともっと見せてください。笑顔だけじゃなくて、いろんな峯さんが見たいです」


「ええ、あなたがそばにいてくれるなら…」

すると峯さんはそう言って、息を呑むほどのやわらかな笑みをあたしにくれた。


「愛しています、名無しさんさん――…」

愛の言葉と、優しいキスを添えて。










→おまけ。
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