短中編

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気が付いたら目で追っている?用はないのに何故か気になる?他の奴と話してると苛々する?
それらが当てはまることが恋の初期症状なんて事は言われなくても分かっている。長年愛読してきた少女漫画の鉄則だ。問題はそれを自分が体感しているということだ。元よりそれらの類に手を出すようになったのは姉の影響だし、描かれた人物たちが織り成す甘酸っぱい青春ストーリーを純粋に楽しんでいるだけで、別に自分がこんな青春をしたい訳ではない。
その筈だったのに、芽生えてしまったものはむくむくと体積を増し、とうとう無視できないものになってしまった。こんな時期にだ。
暑さを増していく7月、合宿を終え3年の最後の夏が始まる。地区大会を勝ち抜けた事はここ数年無いというが、今年こそ、今年こそは。そう願って死力を尽くしているのはどの選手も同じだ。伊佐敷も例外では無かった。尊敬する東と同じチームで戦えるのは、もう今年で最後なのだ。外野手への転向を気に、固定とは行かずともスタメンで使われることもあった。出来ることなら共に勝利を掴みとって、長い長い夏にしたかった。
予選が始まる。試合に臨む事以外の一切の思考をやめた。



焼けるような日差しが照りつけ、その暑さに負けないようにスタンドは力強い声援を送る。その渦中に入りながら、マネージャー一同も願う様にグラウンドの選手達にエールを送っていた。千歳は隣で貴子が付けるスコアを一瞥すると、再びグラウンドに目を向ける。打順は4、我が校の誇る怪物スラッガー東清国が打席に立つ。その気迫は相手投手に十分なプレッシャーを与え、チームの追い風にもなっている。一死二三塁、ここで一本出れば戦局は一気に変わる。相手のエースが投げる、一球目、外に外れボール。球は見えている。二球目、インコースに来た球を外野まで運ぶもライト線を切りファール。ほんの少し芯を外されたか。三球目、再びインコース高め、釣り球だ。だがそれもお構いなく、タイミングを捉え打ち込んだ。外野は長打に備えてやや下がっていたが、スタンドに入るボールを見送る他なかった。つまりホームランである。塁上の二人を帰し、自身もベースを踏み悠々とホームへ帰還した。2点差を覆し、更に1点リードと、試合の流れを劇的に変える一本だ。行ける、残り2イニング抑えきれば、勝てる。決勝に進める、夢の舞台への切符に、あと一歩。そう思った選手たちを誰が責められようか。
8回の裏、一度は満塁を招くものの、辛くも抑え抜いた。最終回の攻撃は息を吹き返したエースに抑えられ追加点は得られず。迎えた9回裏、左中間を抜ける長打に、イレギュラーなバウンド、同点に追いつかれる苦しい展開の末、四番のスクイズでサヨナラ負けを喫することになった。
西東京地区予選、準決勝敗退。今年もまた、長い夏休みが始まろうとしていた。

2日間のオフが言い渡され、各々に負けた悔しさややりきれない思いを消化する事に勤めていた。3年は引退となり、退寮する者はその支度に取り掛かる。残された1、2年も、新チームの結成と秋大会に向けて気持ちを切り替えて行く。まだ現実を消化しきれていない面々もいる中、時間は止まることなく進み続ける。この敗戦から目を背けるわけではない、しっかり向き合って尚、前に進まなければならないのだ。

「文月は、誰になると思う」
『何が』
「キャプテン」

隣に陣取り、視線を介さないまま告げる伊佐敷を見遣る。随分と、分かりきったことを。千歳はノートに記録をつける手を止め、迷いなく口にした。

『結城君、しかいないでしょう。貴方もそう思ってるんじゃないの。今までだってそう、私達の世代をプレーで引っ張ってくれたのは彼だった。柄じゃないかも知れないけど、結城君が新しいチーム率いるなら、強くなれると思っているわ』
「…だよな、悔しいけど、あいつ程キャプテンに相応しい奴いねーよな」

新チームの始動の前に、監督からの呼び出しがあるということは主将を決める際に何らかの関係があるということ。周りの意見を聞いておきたかったのだろうか、それとも…。そこまで考えて、やめた。自分はあくまでもマネージャー、過度な詮索は選手のケアには繋がらない。

「文月」
『なぁに?』
「来年は行こうぜ、甲子園」

1年後、最後の夏を指すのだろうその言葉は、どこまでも明瞭で力強かった。

『その前に秋大会ね。優勝すれば春の選抜確定よ?』
「当然それも狙うに決まってんだろ!」
『つまり春夏連続甲子園出場って事かしら。大きく出たわね』
「るせー!夢はデケー方が良いだろうが!」

揶揄い混じりに送るエール、それに当然のように返ってくる自信に満ちた答え。この感覚は、どこか心地がいい。

『そうね、進むことしか出来ないもの。とことん突き進みなさい』
「おう」

一言だけの、決意を秘めた返答を聞き届けた。

新チームが始動し、1年からも有力な選手がスタメンで練習試合を行うことも多くなった。それと共に、チームの姿を模索し時には意見の食い違いから選手間が対立する場面も増えた。この時期は、どの世代も苦悩の日々だろう。初めから出来上がっているチームなどない、試行錯誤して当然なのだ。
それでも、練習試合を重ねる毎に出来上がってくるチームの姿、仲間との信頼感。それが彼ら自身を強くしていった。

『噛み合うようになってきたのね』
「文月か。どうだろうね、確かに荒削りでも良いセンスしてるけど、まだ送球甘いことあるし」
『1年の経験値の差を差し引いてもその評価って事は、認めてるんじゃない』
「まぁ、アイツは良い目してるからね」

二遊間のコンビネーションに安定の兆しも見え始め、1年の倉持はスタメン確定も濃厚になってきた。俊足の盗塁は光るモノがある、脚のある選手は重宝すると言うわけだ。何せスランプがない。秋大の試合の中でもそれは際立っていた。最も、出塁率には難点はあるが。

「ところで、あそこでこっちを睨んでる駄犬どうにかしなよ」
『…私はスピッツには何もしてないわよ?』
「どっちにしろ文月が原因なんだけど」
『心当たりはないのだけど、あの不機嫌そうな顔から見てあれは嫉妬の類かしら』
「それが分かるなら察してやりなよ」
『嫌よ』

バッサリと切り捨てたと思えば、あの生意気な後輩を思わせる食えない笑みを浮かべて続けた。

『伊佐敷君が自分で言わない限りは私は気づかない振りしておくわ。そっちの方が面白いもの』
「…お前もほんと腹黒だよね」

小湊はやや自分より高い位置で悪戯に笑う千歳にそう呟くと、遠くで漸く我に返った伊佐敷が走り込みに出て行くのを見送った。



End

(蕾が花開くのを密かに待ち)

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