短中編

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「あの、文月先輩」

何か言いづらそうにしている少年は、いくらか部活で見かけた顔だった。


呼び出しを受ける少し前のこと、千歳は隣のクラスから顔を出した貴子と話をしていた。

『それで、わざわざどうしたの?』
「…千歳、御幸君と何かあったの?」

その一言で察した。貴子が知っているはずの無いことだが、思い当たるとしたら一人だ。

『伊佐敷君から何か聞いた?』
「聞いたっていうより、話してるの聞こえちゃって」

先日の事を誰かに零していたと言う事だろう。特に隠すような事でもないので気にはしていないが、内容としてはこうだ。伊佐敷が見るに千歳は随分と深刻そうな顔をして旧倉庫に立ち尽くし、それを見つける前に御幸とすれ違っていた為、そう言う事なのだろうと思ったらしい。流石に少女漫画を愛読しているだけの事はある、と揶揄を込めて内心で呟いた。

『大したことは無かったわよ』
「そう、よね。だって千歳、選手と話すことあんまりないもんね。私が知る限りじゃ、御幸君と話してるとこなんて見たことないし…」
『けど、そんな噂されるなんて少し心外ね…後で文句言っておかないと』
「…でも千歳、そしたらなんで悩んだような顔してたの?」

予想と違う事実であったとしても、悩ましく見えたのは確かなのだ。その真意を掴まない事には納得とはいかない。千歳が暫し言葉を選び、口を開こうとした時、クラスメイトの声によって遮られた。

「文月さん、呼ばれてるよ」

にこにこ、と言うより、悪戯な要素を含んでいる。彼女が指さす方向にいる呼び出した張本人を見るに、察しがついた。

『(まぁ、あなたの予想とは少し違うのだけど)』

心の内で訂正しつつ、教室を出た。場所を変えたいという1年の男子と共に屋上まで歩く。雰囲気重視という事だろう。

『それで?私に用事って何かしら』
「あの、文月先輩」

少しの空白の後、言葉が紡がれる。

「俺、文月先輩が好きです。俺と付き合ってください!」
『…罰ゲームで告白なんて、あなたも可哀想ね』
「あ、やっぱバレてましたか」
『そのくらい分かるわよ』

自慢ではないが、本気で気のある相手に言われた時とは根本的に違うのだ。その言葉の重みが。ずしりと鉛ように感じるそれが、今の言葉には無かった。
難攻不落の美女と噂されているらしい事は、他の1年に聞いたことだ。誰にも靡かず、我が道を行き、全てを野球に捧げている。千歳にしてみればそんなつもりは無いのだが、人の目にはそう映り、それがある種の魅力のようなものになっている。男の恋愛観は博打のようなもの、それを掻き立てるには十分なのだろう。

「まぁこんなこと言ってからじゃアレっすけど、正直文月先輩は高嶺の花っすよ」
『そうかしら。それって聞こえは良いけど要するに敬遠してるって事よね』

その言葉に押し黙るのを見ると、もう話す事はないと踵を返した。


クラスに戻ると、先ほどと同じように貴子は待っていた。何だったのかと聞かれれば、1年の中で流行っている遊びだと説明する。貴子は少しばかり複雑な思いを抱えた。自分の友人が、よもやそんな悪ふざけの一環のダシに使われているのだから良い気はしない。しかしその少年達を糾弾するには、選手とマネージャーという近しい肩書きが躊躇わせた。それに、飽きればそのうちやめるだろうと、特に気にしていない千歳の姿を見てしまうと、やはり何も言う気にはなれなかった。

『それで、さっき何の話だったかしら』
「御幸君と千歳のこと。何も無いって言ってたけど、思い詰めてたって聞いたらやっぱり気になるし」
『思い詰めてたと言えば、まぁそうね。私はまた弟を守ってあげられなかった、それを悔やんでただけよ』

口に出した内容とは裏腹に、表情は至って穏やかな笑み。これはある種、千歳の仮面なのだろう。

「…そう言えば、千歳の弟って?確か1年の中には文月なんて子居なかったけど」
『言ってなかったかしら。御幸一也は私の弟よ』

さらりと告げられた事実は、貴子にとってあまりに衝撃的過ぎた。

「聞いてない!!」

部活以外で、これ程大声を出したのは後にも先にもこの時だけだと後に語った。



同時刻、屋上から撤退した例の1年はクラスの仲間の元に舞い戻った。

「どうだった?」
「ダメに決まってんだろ。あの人、罰ゲームで言わされてたこと気付いてたし」
「さすが、靡かねーな。むしろ誰なら食いつくんだ」

ゲーム感覚であったのは間違いない。そんな話を繰り広げていた彼らは、あるチームメイトに思い当たった。泡良くば何らかの手応えがあるのではないかと、離れたクラスへ押しかける。
その人物に事のあらましを説明するが、なんとも微妙な顔をしていた。

「頼むよ御幸、軽ーく言ってきてくれるだけでいいから」

やんわりと断っていた御幸にダメ押しの一声のつもりだったのだろうが、困り果てた御幸は前の席を陣取る倉持を見た。我関せずと言った具合で、助け舟を出してくれそうには無い。仕方無い、と腹を括り、誰も知り得ないであろう事実を話すことにした。あまり気乗りはしないが。

「あのさ、その人俺の姉ちゃんなんだよね」

周囲の空気が固まった。傍観を決め込んでいた倉持まで御幸を凝視している。

「だからそういうの、いくら何でも冗談キツイって」
「「嘘だろ!?」」
「ホントホント」

何の得にもなりえない嘘などつく訳も無い。思いもよらない事実に動揺するばかりだが、倉持はどこか納得したような顔をしていた。通りで似ている訳だ、そう言外で示しているようだった。
寮生活において噂話というものは、女子の口コミ並に広まるもので、翌日にはすっかりその事実が野球部全員が共通して知れ渡る事になる。

「おい文月!お前御幸と姉弟ってマジか!」

先日、何やら拗れた話を想像していた伊佐敷だったが、その噂話によって知り得た事を直接本人にぶつけた。

『すっかり知れ渡ってるのね。それは本当、私と一也は異父姉弟なのよ。でも結構似てるでしょ?』
「まぁ…ちょっと雰囲気似てんなとは思ってたけどよ。これまでそんな素振り全然なかったじゃねーか!俺はてっきり…」

そこまで言いかけて口を噤んだ。大方、これを言っては気分を害すのではと思い止まったのだろう。

『公私混合するのはあまり良い事とは言えないでしょう?部活の時は完全にマネージャーと選手のスタンスでしか話してなかったわ。でも、一度私情込みでやった事はあるのよ?春先のマネージャーの件、あの時は割と本音だったわね』
「はぁ?」
『だって一也は私の弟なのよ?そりゃあ贔屓目無しにも容姿は良いし、女の子にモテるのは当然だわ。でもそれだけしか見てない女に一也を任せるなんてとんでもない。少なくとも私が認めるくらい出来た子じゃなきゃダメね。マネージャー希望だった彼女達の殆どはそう言う目でしか一也を見てなかったもの、そんなの私が許すと思って?だからそういう子は例外無く切らせてもらったわ。正当な理由を添えて』

口を挟む暇もなく矢継ぎ早に述べられる本音とやらは、伊佐敷の想像を遥かに超えて、内にあった千歳のイメージを崩壊させた。そして、新たなものに塗り替えられた。

この女、どうしようもないブラコンだ。と。

「お前…残念な奴だったんだな」
『他人にどう思われようが関係ないわ。弟である一也を守るのは姉である私の役目、当たり前の事よ。私はこの役目を誇りに思っているわ』
「……」

完全に我が道を行っている。これをどうにかするのは不可能に近いだろう。実家で「姉」という生き物の面倒くささは嫌というほど味わっている伊佐敷には容易に想像できることだった。

『まぁでも、滝川君のことがあって、それが及ばなかったところはあるのだけど…』
「クリスの離脱が?でもお前、真っ先に立ち直ってたんじゃ…」
『…滝川君が抜けて、一也が正捕手になって、納得しきれてない部員も少なくなかった。あの子は野球に関しては年上にも平気で物を言うから、良く思われない事もあるじゃない?そこに今回の事、何度となく敵意を向けられて耐えていることに、私は気付いてあげられなかった。それが心底悔しかったわ。守れていなかったって、結論が出てしまった』

恐らくそれが、あの時旧倉庫で思い悩んでいた原因なのだろう。

『でも、貴方達には感謝してるところもあるのよ。合宿の時も、普段の練習でも、よくあの子に構ってくれていたのは知ってるわ。一也は一人に慣れ過ぎたのよ、だから少し騒がしいくらいで丁度いいのかもしれないわ』
「俺は別に…ただ、1年の中で一人だけレギュラーに収まったあいつが孤立すんのを見てらんなかっただけで。あと生意気だからな!先輩としてキッチリ上下関係をだな…!」
『つくづく思うけれど伊佐敷君って優しいわよね、見かけによらず』
「見かけによらずって何だゴラァ!」

揶揄いの言葉に間髪入れずに反応して吠える伊佐敷に、千歳は笑った。それはいつもの含みのある笑みではなく、悪戯に成功した子供のような幼い笑顔だった。

そういう笑い方も出来んじゃねーか。

伊佐敷の中には、当人も気付かないところでまだ名前のないものが芽吹き出していた。



End

(小さな花の芽を呼び覚まし)

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