短中編

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新入生を迎える春、休学期間ではあるが野球部は入部を希望する者を加え動き始めた。

「あら、来てたのね文月さん」

グラウンドに足を踏み入れた千歳に高島が声をかける。来ていた、と言うのも、休学期間のマネージャーの参加は自由なのだ。

『ええ、あなたのスカウトしてきた期待の新人も見ておきたいもの』
「こら、敬語」
『姑みたいな細かさね』

実を言うとここへ入学する前から高島の事は聞いていた。その頃のイメージが染み付いているせいか、ついつい普段通りになってしまう。

「まぁ、それだけじゃ無さそうね。あなたの弟も入部するのよね?」
『そうよ。私の自慢の弟が、あなたがスカウトしたおかげでね。選手を見る目も肥えてきたんじゃないかしら』
「…そうね」

よくまぁ年上に対してこれほど上から物を言えるものだと内心呆れる。

「(あれ…文月なんて子、今年スカウトしたかしら)」

千歳と同じ姓の球児を訪ねた記憶は無く、少しばかり引っかかった。
そして、表面上は滞りなくその一日を終えたのだった。

始業式が執り行われ、生徒達は新しいクラスに振り分けられそれに従い顔触れを変えた。部活でも見かける顔もいくつかあり、一括りにして扱われるのが容易に思い浮かぶ。2年に上がることで入ってくる後輩に思いを馳せる者も少なくはない。野球部の寮は縦割りの混合であるからして、他の生徒よりもいくらか接点が強い。同室の後輩を気にする者も少なからずいる事だろう。そんなことを考えながら、千歳は割り振られたクラスの、掲示された表に沿った座席に佇んでいた。肘を付いているにも関わらず、その姿から発せられる雰囲気は特異だった。ただの学校の備品であるはずのその椅子が、王族の為に作られた嬢度品か何かと錯覚するくらいのものだ。当人は目を伏せ、瞑想でもしているようだ。実際はただの仮眠なのだが。

「…なんだ、ありゃ」
「そっか、伊佐敷はクラス違ったから知らないのか。文月は基本あんな感じなんだよなぁ。話しかければ返事してくれるけど、用がなければ殆ど自分からは行かない」
「あいつ、クラスで浮いてたのかよ」
「それがそうでもないんだよ。愛想は良いし何せ美人だから、最初は告白する男は引っ切り無し。でもそれで女子に疎まれてる訳でもなくて、とにかく謎のカリスマ性っつーの?何だかんだで好かれてるみたいだな」
「ほー…」

敵を作りやすい性格をしているものの、世渡りの上手いタイプなのだろう、と伊佐敷は解釈した。1年時の秋、自主練中の差し入れの一件から急激に距離が近くなったように感じていたが、まだ知らないことは数多だ。容姿に惹かれたわけではない、だが、少し気になる程度のものは存在した。

「(いや、ねーよ。有り得ねぇ)」

頭の中で、それは否定した。

部活が始まると、普段とは変わった様子が見られた。グラウンドにやたらと女子が多い。練習を少しばかり見ていく程度なら珍しくはないが、今日は異常だ。

「なんか、今日女子多くねーか?」
「何、純の好みの子でもいた?」
「ちげーよ!」
「マネージャー希望だろ。多方、アイツ目当ての」
「あー…御幸か」

小湊の視線の先には、眼鏡の代わりにスポルディングサングラスを掛けている御幸の姿があった。新入部員の紹介の時の一番最後、堂々と正捕手になると啖呵切っていた生意気そうな奴。そんな印象が強く残っていたが、容姿にはかなり恵まれていた気がする。確かクラスの女子も、「今年の一年にすんごいイケメンいるんだって!」などと盛り上がっていたのを思い出す。ミーハーめ、と内心で毒吐き眉間にシワを寄せた。

「ま、監督辺りはそういうの切ると思うし気にすることじゃないでしょ」
「だな、本気じゃねーのは直に分かるだろうし」

話に区切りをつけると、グラウンドに向かうのだった。
その日の終わりに、風の噂で部員たちに広まったのは、あの文月千歳がマネージャー希望の女子を殆ど秒速で切り捨てたと言う話だった。

「文月が審査したってことっスか?」
「そうみたいだぜ。なんでも、監督からその役目を直々に任されたらしい」
「なんでまた…」
「さぁ、そこまでは…伊佐敷、お前同じクラスなんだし明日聞いてこいよ!」
「はぁ!?なんで俺が!」
「だって気になんだろ?直接聞き出してこい!あいつの事だからお前の顔が怖かろうと何もビビったりしねーって!」

同室の先輩命令とあっては、断るのは至難の業。伊佐敷にそれができるはずもなく、翌日それを決行するハメになった。

「おい、文月」

相変わらず毅然としたオーラを放ちながら席に腰を据える千歳に話しかけた。第一声が若干震えたような気がするのはこの際無視だ。

『あら伊佐敷君。何か用事?』
「あのよ、ちょっと聞きてー事あんだけど今いいか?」
『それは昨日のことと何か関係があるのかしら』

驚くほど察しがいい。この分だと、自分の事が噂になっていたことも見抜いているのだろう。

「マネージャー希望の一年の女子、全員切ったってあれマジなのか?」
『全員じゃないわ。今年の採用は二人、仕事の振り分けも考えなくちゃいけないわね』
「…即決だったって聞いたけど、何見て判断したんだよ。監督に任されたらしいし」

気になるところを端的に問いかけた。

『あの子達の殆どが部員目当てのミーハーだって事は一目見れば分かったわ。本当は数日マネージャー見習いをさせてから合否を出すらしいのだけど、そんなものをさせて見極めるなんて時間の無駄だもの、私から監督に掛け合って任せてもらったのよ』
「あの監督に直談判かよ…決め手は何だったんだ?」
『匂いよ。勿論体臭って事じゃないわよ?』
「ンなこたぁ分かんだよ!馬鹿にしてんのか!」
『去年の成績から見ても頭が宜しいとは言えないけど?』
「るっせぇ!つかなんで知ってんだ!」
『同学年や先輩達の粗方の成績は把握してるのよ。赤点を取って練習時間が減るのは避けたいだろうし、危うい部員には警告しているわ』

吠える伊佐敷に含み笑いで淡々と返す千歳の様子からして全く動じていないのは確かだ。しかし、その把握範囲は運動部のマネージャーの域を超えている。

「…マネージャーってなんだっけ」
『私の仕事は少なからず特殊な分野も含まれてるみたいね。苦ではないけど』

こいつ自身が特殊だからか?と伊佐敷はじっと千歳を見た。

『なぁに?』
「い、いや別に、何でもねぇよ」

用事はそんだけだから、戻るわ。と勢いのまま早口で伝え、さっさと自分の席に戻った。先輩からの命は存外簡単に達成した。
千歳はと言うと、話を振られたせいかその時のことを思い出していた。
あの時、マネージャーを希望してグラウンドに集った少女達は9名。全員1年で、グループとしては3つの派閥に分かれているように見受けられた。希望者の人数としては異例の数で、適正審査をマネージャー各自に希望者数名を引き受けて貰おうという大人の思惑が動いていた。千歳がざっと見てきた限りでは、今年の採用できそうな人材は極わずか。そのまま片岡に申し立てるべく足を運び、その旨を伝えた。
―今回のマネージャーの選定、私に任せて頂けますか?
―どうしてだ。
―あれだけの人数です、今のマネージャー総出で見ても時間の無駄と言っても良いでしょう。殆どは、野球そのものに何の興味もない少女達ばかり。希望する動機も見え透いた嘘ですし、魂胆は見えています。はっきり言って、彼女達のために私達が時間を割く義理はありません。本当にマネージャーとしてやって行ける人材だけ残して、後は帰ってもらおうと思うのですが。
たまにいるのだ、特定の人間の目当てにその立場になり、仕事を疎かにする者が。千歳の代でも居なかった訳ではない。その時は人数も少なく、技量を見定められて決定した。選手との交流だけに夢を見ていた少女は、その場でご用となったのだ。
―…分かった。仕事を増やして選手達へのサポートが乱れても困る。頼めるか、文月。
―勿論。
そうして片岡から委任され、高島と共に千歳は希望者の集うベンチサイドへと向かった。
千歳は希望者達を一人一人観察し、時折質問を投げかける。不意の質問には素が出やすい、それを含めて総合的に判断した。

『決まったわ』

そう告げると、9名の前に立つ。

『梅本さん、夏川さん、あなた達2人を正式にマネージャーとして歓迎するわ。他の方々はもう帰って結構よ』

名前を呼ばれた二名は、そのあっさりした決定に顔を見合わせる。ここで会って数回しか会話していない事も抜け落ちる程に、急展開だった。そんな中で抗議の声が上がる。

「待ってください!あたし達、まだ何も…」
「こういう場合、マネージャーの試験が有るって聞いてるんですけど」
『通常は有るわよ。私達の代でも実施されたわ。けど、今回の希望者の人数は異例なの。そんな悠長に全員を試用する暇は無いのよ。仕事ができるか見るためにも、私達は一度あなた達全員に教えなければいけないし、ミスをするようならフォローしなければいけない。その間私達は自分達の業務をこなせないのよ?それで選手へのサポートを十分に果たせなくなるなんて本末転倒じゃない』

そこで一旦言葉を区切ると、再び凛とした口調で話を続けた。

『それに、あなた達は何か勘違いしている様だけど、マネージャーの仕事に尽力するなら、選手と交流しようなんて思わない事ね。彼らから信頼を受けるのはマネージャーとして働けているからであって、マネージャーだから信頼される訳ではないのよ。特に、そこのあなた達3人はさっきまで、お目当ての男性に近づく為にこの立場を利用するなんて事を大声で話してたわよね。そんな人達を採用するとでも思っているの?後の4人だって同じでしょう?』

千歳の言葉が図星だったのか、彼女らは口を噤んだ。

『何か反論があるようなら聞くけど、私はこの選定を監督から一任されているわ。私に異議を唱えると言う事はつまり監督に直訴するのと同義よ?』

これが追い討ちになったのか、ふるい落とされた希望者達は何の反発もせず大人しく帰っていった。

ともあれ、この時点で2人も起用できるのは、マネージャー側の人間にとっては喜ばしい事だ。本気で取り組んでくれる見込があるからこそ選んだ訳だが、夏前の合宿辺りが一番忙しくなるのだ。4人だった去年に比べれば、人手が1増えるだけでもありがたい。
現実に意識を呼び戻すと、千歳は新人2人の育成スケジュールを立てる作業に取り掛かった。


「それにしても、うちの女子マネって偏差値高いよな」
「だよな。俺この前他校行った奴に羨ましがられたわ、お前んとこカワイイ女マネ多すぎだろって」

そんな会話が成されるのも無理はない。事実は事実なのだ。そして、入りたての1年だからこそ、そう言った話題も出て来るのだろう。いずれ練習の厳しさでそんなことを考える余裕も無くなってくるだろうが、今はそっとしておいてやるのがベストだろう。

「俺らの代だと夏川が学年でも上位だし、2年の先輩二人は揃って美女、3年の明音先輩も清楚系美人…」
「梅本もタイプの奴には好かれそうだしな」
「倉持、お前はどうよ」
「は?」

突然話を振られ、訳の分からないまま詰め寄られる。

「だから、マネージャー陣だったら誰がタイプかって話」

そんな話してたか?と内心疑問に思いながら、悩む振りをして時間を稼ぐ。その間に各々で言い合っており、自分が言いたいだけなのではと半目で見遣った。
そう言えば、と思い出し、学年きってのモテ男候補になりつつある御幸に目を向けた。あいつを狙う女子の多くはその辺気になるだろう。自分には一切関係のない事だが、あの性格の悪い野郎がどんな趣味をしているのか知っておくのも詰まらなくはない。

「あ」

ふと、既視感の正体に気付いた。

「どした?」

入部当初、足だけは速いよな、と言って来た為にムカつく野郎で印象が定着した。無駄に顔が整っているのもその要因の一つだ。決して僻みではない、決して。そのすぐ後、マネージャーの1人が声をかけてきた。部員の能力テストの結果を記した束を持っていたから、その方面を管理しているのだろう。大した会話はして無かったが、倉持は若干の既視感を覚えた。面と向かって話すのはそれが初めてであったはずなのに、だ。どうも引っかかっていたそれが、先ほどそれが腑に落ちた。
単純に似ていたのだ、あのマネージャー…文月千歳と御幸一也が。顔立ちもそうだが、雰囲気まで。

「(そう言うことか)」

恐らくどうでもいい事だが、引っ掛かりが消え去った事で靄のかかっていた気持ちが晴れた。

End

(再びその役を負い)

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