短中編

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文月千歳は変わり者だ。
そう、クラスで関わる人間や野球部に所属する殆どの生徒達は認識している。マネージャーである藤原貴子もそのうちの一人である。同じ学年の同じ立場、クラスは違えど接する機会は十分にあった。入部当初、初めての環境で物怖じする気持ちも多少はあった貴子とは裏腹に、千歳は全く臆する様子を見せず、強いては部員でも慣れないと面と向かうのを躊躇ってしまう片岡に対しても発言する声は清々しいほど明瞭で迷いが無かった。選手たちに向けられる言葉もそうだ。特に、まだ同じ一年を揶揄する声が多かった頃、それに対して先輩達に言い放った言葉は記憶に新しい。
―本気で努力している人を馬鹿にできる程、今の貴方達はやっているの?1日何百とバットを降り続けたことがあって?二軍とは言え試合に出られているからって、貴方達が下に見ていい権利なんて無いでしょう。そんな事で、一軍なんて目指せないわよ。彼らを揶揄する暇があるなら少しでも多く練習したらどうかしら?
気の強さが伺える凛とした口調で、彼らに反論すらさせなかった。
―マネージャーに何が分かるんだよ!
―そうね、試合に出ない私達マネージャーには選手の苦労なんて分からないわ。でも、それとこれとは話が別じゃないかしら。少なくとも私は、努力を惜しまない人間が嘲笑われることは許されることじゃないと思ってるのだけど?
その一件もあってか、千歳は他のマネージャーよりも選手から距離を置かれる事もある。彼女はそんなことを気にする様子もなく、マネージャーの仕事を全うし続けた。その姿勢は、支えになっている彼女を遠ざけても仕方のない事だと後に選手達に気付かせる事になる。千歳は初めてマネージャーを経験するとは思えない程完璧な仕事をこなしていた。要領が良いのだろう。
しかし、貴子は少しだけ違和感を覚えていた。自分たちとは根本にある何かが違うような、そんな気がしていた。部員全員分のドリンクを用意したあと、千歳に問いかけた。

「ねぇ、文月さん」
『何かしら』
「文月さんは、本当に野球好きなの?」

完璧な仕事をする千歳に唯一欠けているような、その根本的な思い。野球そのものへの熱意が見えてこない事を口にした。

『…まさか、あなたに見透かされるとは思わなかったわ』
「どうして…」
『私がマネージャーになったのは弟のため。来年入ってくるはずよ。あの子、傷つくことに慣れきってすぐに溜め込んでしまうから、私が守ってあげなきゃいけないのよ。年の差のせいで、私が先を行ってしまうのは仕方のない事だけど、姉が弟を護るなんて当然の事でしょう?』

とんだブラコンである。だが一つの目的を持ってそれを全力で叶えようとしている部分は、自分達と同じだ。動機はどうあれ、基本的に文月千歳は誠実で純粋なのだ。そのことに気付くと、それまで感じていた距離が縮まったように思えた。

「変わってるのね」
『よく言われるわ。小学4年の頃なんて、人間が出来すぎてて気味が悪いとはよく言われたものよ』

異常なまでに早かった成熟。そのせいか神童と持て囃される反面浮いた存在になる事もあったが、どちらにも心を揺らすことは無かった。

「ねぇ、千歳って呼んでも良い?」
『良いわよ。なら私も、貴子って呼ばせてもらう事にするわ』
「うん。改めてよろしくね、千歳」
『こちらこそ』

ただの同期から、友人と言う間柄に昇格した瞬間だった。

あれから数ヶ月、夏は地区予選で敗退し、チームは早過ぎる夏休みを迎えた。新チームには1年の何人かも引き上げられている。そして、転向を示唆される選手もいた。

『転向、するのかしら?』
「…文月…。聞いてたのか、さっきの」
『通り掛かったら偶然聞こえたのよ。まぁでも、考えどころよね。このまま投手への憧れを取るのか、このチームで生き残る可能性に賭けるのか。決めるのはあなたなんだから、悔いの残らない選択をしなさいな』

てっきりいつもの大声で反論が飛んでくると思っていたが、当の本人は黙りこくったままだ。真剣に向き合おうとしている事は目に見えて分かった。これ以上の言葉は不要だと判断し、千歳は背を向けて立ち去った。

それから暫くしてのこと。練習を終えた後で、結城が千歳を呼び止めた。

「文月」
『あら、どうしたの?』
「いつもの、多めに頼めるか?人が増えたんでな」
『…分かったわ。でも良かったわね、あなたと同じように馬鹿みたいにバットを振る仲間が増えて』
「練習は嘘をつかない。振った数だけ強くなれる、俺はそう信じたい」
『そうね』

そんなやり取りを出来るくらいには、千歳も大分彼らに歩み寄っている事が分かる。突きつけられる理想と現実のギャップ、それでも尚前を向き走るその姿に感服したのだ。努力が報われることを信じて、只ひたすら前に進む彼らを心から尊敬する。そんな彼らの支えになるなら、今はそれだけで動いてしまえる。ここまで引き込まれるとは思ってもみなかったが、案外、悪くはなかった。
千歳は帰りがけの貴子を誘い、最近の日課に取り掛かるのだった。

「急に千歳がおにぎり作るわよって言うから何かと思ったけど、こういうことだったのね」
『なんでも、ここで集まって自主練するのが流行ったみたいよ。初めは結城君だけだったのに。彼、1日500回、今まで毎日振ってたそうよ』
「ずっと!?春から!?」
『そうらしいわね。私も気づいたのは夏頃だけど。ほら、行ってきなさい』

差し入れを持ったままの貴子の背を軽く押した。まるでこれは自分の役では無いと言うように。

「…何言ってるの、千歳も来るの!」
『私はいいわよ。有り難がられたい訳じゃないもの』
「いいから」

半ば引きずられるように、自主練を続ける彼らの元まで向かった。

「あの!これ、良かったら…!」
「「おおー!」」

自主練中に美人マネージャーからの差し入れと聞いて嫌な顔をする男はまずいないだろう。

「マネージャーが作ったのか?」
「うん。言いだしっぺは千歳なの」
『ちょっと貴子、余計な事言わなくていいのよ』
「文月が!?」
「へぇ、気が利くようになったじゃん」
『失礼ね、結城君がここでバット振ってた時から差し入れは作ってたわよ』
「マジかよ」
「うむ。最初は塩がやけに多くてザリザリしてたな」
『それは忘れなさいって言ったじゃない』
「それホント?合宿の時は普通だったからてっきり…」
『うるさいわね、練習したのよ。悪いかしら?』
「いや?意外だっただけ。文月って何でもソツなくこなすタイプだと思ってたからさ」
『そう言う事にしておいてあげるわ』

そうして各々手に取り口に運んだ。味も上々で、小腹が空いたところへの夜食は随分と好評だった。中には具材のリクエストを言い出す者もおり、貴子は嬉しそうに頷いた。

「あ、おい、誰かマネージャー送ってけよ」
「お前が行けよ」
「なっ…!」
「なーに照れてんだよ!」

結局言いだしっぺの伊佐敷が駆り出される事になったようだ。

『私は別にいいわよ。貴子を送ってあげなさい』
「あ?オメーも同じだろーが、黙って送られてろ」
『あら、心配してくれるの?』
「べ、別にそんなんじゃねェよ!」
「ふふっ」

二人のやり取りがよほどおかしかったのか、貴子は堪え切れずに笑い出した。

「笑ってんじゃねぇ!」
『煩いわよ伊佐敷君。時間と場所考えなさい』
「お前のせいだろ!?」

そんな風に小突き合いながら、夜道に消えていくのだった。



End

(ただの人になり)

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