短中編
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例えば人には聞こえない音を聞けるとか、そんな霊能者的な力など持ち合わせていないが、一つだけ例外がある
他の奴には聞こえない声、それは地元に残してきた1つ下の友人のものだ
唐突にそんなことを思い出したのには理由などなく、地元に未練があった訳じゃない
ただ、あいつには俺以外に言葉を交わせる相手が居ない
それだけが気掛かりだった
ずっと野球だけは続けていたが、素行の悪さからどこからも声がかからず
それでも地元で続けることに拘りはなかった、だから声のかかった東京の高校に進学するのは自然の流れだった
頼るアテの少ないあいつを残して上京するのは少し後ろ髪を引かれるような感覚もあったが、あいつが俺に依存しきって離れられなくなるよりはあいつのためになるはずだと、そう言い聞かせて俺は青道行きを決めた
入学した先では、流石名門校と言うだけあって野球漬けの日々を過ごし、退屈はしなかった
そんな中でも不意に思い出す辺り、あいつがいない喪失感に負けてるのは俺の方なんじゃないか
はっきり言って俺とあいつはお互い気が合うようなタイプじゃなく、関係を持ったのだって俺がたまたまあいつの'声'を聞けるからであって、もしこれがなかったら顔も名前も知ることはなかっただろう
春に2年に上がり、あいつも地元の高校に進み元気にやってるだろうかと窓の外に視線を落とした
『―洋ちゃん!』
ふと聞こえた自分を呼ぶ声に反射的に顔を上げた
聞き覚えのある呼び方とその声色、当てはまるのは一人しかいない
「倉持、どうした?」
目の前でスコアブックを広げていた御幸に答える間もなく、呼び声の主は立ち上がりかけた俺に飛び付いた
「は…、千歳!?」
『―洋ちゃん!久しぶり、会えてよかった!』
ぱっと顔を上げた千歳は花が咲いたような笑顔を向ける
何で地元を離れてこの学校にいるんだとか、家はどうしたんだとか、聞きたいことが多すぎて中途半端にしか言葉が出ない
『―喋れてないよ洋ちゃん。嬉しくなかった?』
「そうじゃねーけどよ、お前どんな手使ってこっち来たんだよ」
『―必死にお願いしたの!どうせ高校に上がるんなら、洋ちゃんがいるとこが良かったから…あたしの声聞けるの、やっぱり洋ちゃんしかいないもん』
「だからって、家とか大丈夫なのかよ。俺は寮だからなんもいらねーけど、一人暮らしってことだろ?」
『―大丈夫だよ!…多分』
「多分じゃねぇだろ、なんでお前変なとこで適当なんだよ」
呆れ返った辺りで、ここが教室だという事を思い出す
すぐ近くにいた御幸はもちろん、下級生の乱入に驚いていたクラスメイトにも、俺が一人で喋っているようにしか見えなかっただろう
「とりあえず、教室戻れって」
『―えー…まぁ授業だもんね。また後で来るね、洋ちゃん!』
嵐のように去っていく千歳を見送り、どう説明するかと思案した
「…一応聞くけど、さっきのは?」
そう来ると思った
「中学の時のダチ」
「あの子、喋ってるようには見えなかったけど」
「声出せないからな」
「お前は話してること分かんの?」
「はっきりな。でもあいつがテレパシー使えるわけじゃねぇぞ。他の奴には伝わらないし、親も分かってないらしい」
「ふーん…」
御幸は大して興味無さそうに返事をした。それだけ分かれば疑問はないとでも言うように。執拗に根掘り葉掘り聞かれるよりは俺としても都合はいい
始業の鐘もそろそろ鳴り出す頃合いになり、席に戻った。戻った直後、同じ質問を投げかけられたのだが、これは致し方ないだろう
げんなりしてるうちに、昼休み、千歳は当然のようにクラスにやってきた
『―来ちゃった!』
「その言い回しやめろ」
下手すれば語尾にハートマークでも付きそうだ
「お前飯は?」
『―もう食べたよ。だからグループ抜けてきちゃった。筆談だとどうしても会話冷めちゃうから…』
交流関係については心配いらなかったらしい。どうやらこれまでも筆談だけで何とかなっていたようだ
「…ホントに会話してんのな」
「あ?」
『―あ、ごめんね洋ちゃん、友達と一緒だったのに…』
「いやダチじゃねぇよ」
この返答はもはや反射的だから仕方ない
「えーと、千歳ちゃんだっけ。俺は倉持のトモダチの御幸一也、よろしくな」
「てめ、何げにトモダチ強調して言ってんじゃねぇよ気色ワリィ」
「何、照れてんの」
「な訳ねぇだろ」
千歳が誤解したらどうしてくれんだと内心毒吐きつつ当人の方を見れば、丁寧な字で「よろしくお願いします」と書き綴ったメモ用紙を御幸に差し出し、屈託の無い笑顔を見せた
おいおいその顔は反則だろ
そんな笑顔向けられたら勘違いしてもおかしくない
いや、決して贔屓目ではなく
しかし、御幸は特に気にする様子もなく一言返すだけだった。そうだ、コイツの他人に対しての関心の低さを忘れていた
『―良い人そうで良かった』
「は?」
『―洋ちゃん、地元で拗れたままこっち来ちゃったし…心配してたんだ。でも良かった、洋ちゃんが独りじゃなくて』
わざわざそんな事のために…。単身で出てきて心細いのは千歳も同じだろうに
「千歳ちゃん、何て?」
答えあぐねている所に御幸が問う。お前には関係ねーよ
「ふーん?」
どっちにしろ俺は通訳人になる気はない。千歳も言う事があるなら先程と同様に筆を取るのだから、口頭か文面か程度の違いだけで何ら問題はない
それからあれやこれやと話した後予鈴を合図に解散した
去り際に、千歳が御幸に渡していた紙切れの内容は俺には分かるはずのないことだった
それ以来、千歳はよくクラスに訪れる
御幸には会わなかった1年間を埋めているようだと言われたが、千歳からそのような話が出た覚えはない
見る限りでは変わった様子はなく、それこそ、地元にいた頃に顔を合わせていた千歳とも大差ない
本音を隠しているのか。その答えに至った時、少しだけ胸が痛んだ
千歳のとった筆談という手段ではいくらでも気持ちを偽れる
その反動か、俺にだけはいつだって本音を言えていた
俺も千歳に心に無いことを言われた記憶は殆どない
それがなぜ、今になって、そんな思考が暫く頭から離れなかった
それから数週間が経ったある土曜の午後、それは唐突に起こった
この日の練習は午前のみ、昼食を挟んだ後は自由時間となるのだが、そのうち至る所で自主錬を始める部員たちが見受けられることになる
もちろん俺もその中の一人になる事はほぼ間違いない、そう思っていた矢先の事だ
『―――…!…――洋ちゃん…!!』
微かだが頭に響いた千歳の声に、自室に戻ろうとしていた足を止めた
「(…なんだ?)」
普段のものとは少し違う、思念そのものと言った具合だ
『―洋ちゃん…!聞こえたら返事して…!』
「(返事って…どうすりゃいいんだよ!)」
俺は無意識にも脳裏で千歳を思い浮かべながら、心内でそう叫んだ
『―洋ちゃん…?良かった、伝わってる…!』
「(今のでいいのかよ!)」
こんなにもあっさり解決するとは思わなかった
しかし、これじゃまるでテレパシーだな…
複雑な気持ちになりながら再び歩きだそうとするも、続けざまに送られてきた千歳の思念に、俺は再び立ち竦むことになった
『――助けて、洋ちゃん…』
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