短中編

□2
1ページ/1ページ



姿を見るだけで顔が熱くなったり、声を聞くだけで鼓動が速まったり、所謂恋煩いというものは一切なかった
ただ、そこにいるというだけで満たされる極めて静かな恋をしていたのだと気付いたのは、偶然にも隣りの席になった頃だ

私の心情は穏やかだった
染み渡るような彼の存在が、私をそうさせていた
彼はそんな事、思いもしていないはずだ

学業の終わりを告げる鐘が鳴ると同時にばらばらと校舎を去って行く生徒達
その波に紛れて私も正門を通り過ぎて帰宅する
あまり、帰りたいとは思わない自宅に

『ただいま、お母さん』

家屋では母と二人暮らしだが、彼女は冷めた視線を向ける

「千歳、前から言ってるわよね。その呼び方はしないで」

『…すみません、明音さん』

彼女は表情一つ変えず、視線を戻す事で許しを示す

私達の間に、親子という意識は全く無い
ただの紙上での関係でしかないのだ
追い出すつもりならいくらでもできるはずだが、そうしないのは近所からの評価のためだ
父親はとうに家族を捨ててこの町を離れている
周囲は表面上から憶測し、子供を押しつけられた悲劇の母親と認識している
自分が悪者でいるより、被害者面している方が何倍も生き易い
父の絶縁は、他でもない自分の不倫のせいだというのに
責任転換にも程がある

かれこれ5年、そんな人間と同じ家で暮らした事になるが、私には明確な居場所が無い
クラスでも相手にされない事は気付いているし、誰も寄せ付けない壁を作っている自覚もある
だから尚の事、声を掛けてくれる彼を気にしたのかもしれない

『…明日も、話したいな。御幸君』

堆く積んでしまったレンガを、少しずつ崩してくれるような気がした





若干の恋心を含んだ単調な日々
それはどこか心地よくて、進展と言う名の終止符は打てそうになかった

しかし、綻びはどこかにあったようで、少しずつほつれていく事になってしまった

「文月さん、ってあなた?」

見ず知らずの女子生徒からの呼び止めだった
リボンのラインの色からして上級生だろう

『私に、何か?』

常備した笑みのまま答える

それが気に食わなかったのか、眉を顰めて告げた

「あんたさ、調子乗らないでよ。最近ヤケに御幸君に付き纏ってるみたいだけど、あんたみたいな冴えない女、相手にされないから」

確かに私は人目を引くような美貌など持ち合わせていないが、付き纏っているとは甚だ心外だ
こういうタイプの人種とは話したくも無いので、軽蔑の意を込めた笑みを浮かべて黙っていた

「何笑ってんのよ。いい?金輪際御幸君に関わらないで」

名前も知らない上級生はそれだけ言って踵を返した
口答えしない人間だとでも思ったのだろう

『…約束なんてしてませんけどね』

ただ言い分を聞いただけに過ぎない
この事は、休み時間の会話の話題にした

「あー…たまにいるんだよな、そういう勘違い激しい人」

『想像力ぶっ飛んでるよね』

「正直、顔も知らない奴に人付き合い制限されるとかあり得ない」

『人権侵害も大概だよ』

「だな。っていうか、何だかんだ言って文月とは気が合うな」

『そう?平行線って感じするけど』

「…ん?反対なようで同じ事じゃね、それ」

『あ、気付いた?』

「文月の冗談とか初めて聞いたわ…一瞬分かんなかった」

『ギャップっていうの?』

「自分で言うもんじゃねぇだろ。なんか、文月って意外と面白いよな」

『話すような相手いなかったからね』

何気なく言うと、御幸君は小さく謝る
私は特に気にする事もないので、謝罪不要の意を伝えた

『御幸君は、最近よく笑うね』

「そうか?倉持辺りにはヘラヘラすんなって言われるけど」

『前は含み笑いだったけど、最近はちゃんと笑ってる。本当に笑うとね、笑窪できるから分かるよ』

「…そういうこと」

時折見る事が増えたその笑顔は少し子供っぽくて、惹かれた

「じゃあさ、文月が笑う時ってどんな感じ?」

『…さぁ、面白いって思う事あんまりないから』

最後に思い切り笑ったのは、遠い昔の頃かもしれない

「今は?俺と話してんのは楽しくない?」

そういう聞き方されると、困るよ。私はこの時間に一番救われてるんだから

『御幸君と話すのは、落ち着くの』

「…落ち着くの?」

『嫌な事考えないから』

「そっか」

精神安定剤代わりにするのは、少し気が引けるけど

それ以来、内面が出るような話題が多くなった
まるで心理戦でもしているような、しかし不思議と嫌ではなかった
それが好意による補正なのかは分からないが、本心が近付いていくような気がした



 呼吸するように君が好き
 (―そこにいるのが当たり前で)
 (君の気持ちには気付いてた)



.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ